第25話
「じゃあ、ハグして? 仲直りのハグ」
わたしはみさきに向かってゆっくり両腕を広げた。
不敵な笑みを浮かべて。余裕たっぷりの目で。
でも内心ドキドキだった。
別にわたしだって、慣れてるわけじゃない。誰かと抱き合ったことなんてないし、恋愛的な経験値で言ったらみさきと変わらない。
みさきは一歩前に出ると、おずおずと腕を伸ばしてきた。
わたしの腕の下に手を差し込んで、一度固まる。目で「いいの?」と聞いてくる。あえてなにも答えないでいると、みさきはゆっくり手をすべらせてきた。
背中にみさきの腕が届く。
距離が縮まって、みさきの赤らんだ顔が目と鼻の先にくる。
鼻の位置がわたしより少しだけ高い。てか鼻そのものが高い。そのくせ小鼻は小さい。鼻ごとわたしと取り替えてほしい。
わたしは両腕をだらんと下ろした。
みさきに主導権を与えた……とかではなく、ただの意地悪。
ノーリアクション女に対して、みさきがどうするのか。試す。
みさきは案の定困った顔をした。
形だけは抱きしめる格好になったけど、腰が引けてる。これであってるの? これからどうしたらいいの? っていう焦りが伝わってくる。
わたしは耐えきれずに頬を緩めた。
普通に笑っちゃった。みさきの困ってる顔を見て喜んでる。だって面白いんだもん。かわいい。
なにか勘違いしたのか、みさきもふっと頬を緩めた。
わたしが笑ったから、安心したのかもしれない。急にみさきの腕に力が込められて、体が密着する。
……え?
なにこれ、すごい。
胸の奥がきゅうってする。なんだかまるで、心臓ごと抱きしめられてるみたい。
柔らかい。あったかい。いいにおい。
お互いの胸同士が圧迫されて、潰れる感触がする。
これ、やばい。ちょんってキスされるより、はるかに危険。
体の芯から幸せが押し寄せてくる。頭がふわふわになっていく。後のこととか先のこととか、どうだってよくなってくる。
服越しなのにこれって、もし裸で抱き合ったらどうなっちゃうんだろう。
「未優?」
名前を呼ばれて、はっと我に返った。
わたしいま、飛びかけてた? もしかして変な顔してた?
慌てて強気な顔を作って、効いてないアピールをする。
「なに?」
「ど、どうかな? 仲直りいける?」
「うん、全然ダメ」
全然ダメになる。わたしが。
「だ、だめ?」
「ダメダメのダメ」
ハグはほんとに危ない。やめよう。
そっぽを向いて突き放すと、みさきの腕の力が緩んだ。わたしはだらんと下げていた手を上げて、みさきの肩を押しかえした。
「じゃ、帰りま~す」
おどけた口調で言って、身を翻す。
正直どうしようか迷ってた。心臓ドキドキが収まってない。今日はもう出直したほうがいいかなって。
「だめ! 帰さない!」
叫びとともに体が背中にぶつかってきた。
ぎくっと驚いて身がすくむ。背後から両腕ごと乱暴に抱きしめられる。
「ち、ちょっとっ……!」
慌てて身をよじる。
けれど、ちょっとやそっとで離れそうにない。さっきより全然力が強い。
胸がたわむほどに押さえつけられる。背中にもみさきの胸が当たってる。
体がぎゅうっと締め上げられる。心臓がきゅうっと締め付けられる。
かあっと顔が赤くなるのを感じる。きっと耳も首も赤くなってる。
頭が一気に真っ白になっていく。その頭に近い位置でみさきの声が響く。
「だからごめんって謝ってるじゃん! 怒らないでよぉ!」
「わ、わかったから! 一回、離れて!」
「やだ! 許すって言うまで離れない!」
「ゆ、許すから! もう怒ってないから!」
「ほんと? 怒ってない?」
「逆にこれ以上やったら怒るよ!」
そこまで言うと、やっとのことで体を開放された。
いまのは本気で焦った。呼吸が荒ぶってる。
当のみさきは「あはは……」みたいな感じで恥ずかしそうに頭をかいている。
いやあははじゃなくて。殺す気か。わたしの心臓がおかしな鼓動になってるのだが寿命縮んだのでは?
「一回ちょっと、座ろう? 座って落ち着こう?」
わたしはみさきにソファに座るよう促す。
落ち着け。落ち着かせないと。わたしとしたことが取り乱した。
けどなんか今のわたしが折れて、負けた感じ。
みさきにこのわたしが負ける? いやいやご冗談を。後ろから不意打ちしてくるのは反則だから。
どのみちこのままじゃ帰れない。
やられた分はやり返すって、当たり前だよね?
みさきはわたしの言う通りにソファに腰掛けた。ここはおとなしい。
わたしはその正面に立って言う。
「じゃあ、ちゃんと仲直りしようか?」
みさきはうんうん、と大きく頷く。
わたしはその顔に笑いかけて、片膝をソファに乗せた。足を開いて、もう片方の膝をついて、腰を下ろす。
「ち、ちょっ、み、未優っ……?」
わたしはみさきの膝の上にまたがっていた。
とっさに立ち上がろうとしたみさきの肩を押して、前に体重をかける。太ももを太ももで挟んで動けなくする。
驚いたみさきは、ぽかんと口をあけてわたしを見上げる。間抜けづら。
「あの……未優さん? どこに座ってるんです?」
「んふっ」
「いや、『んふっ』じゃなくて……」
笑みが漏れてしまう。もう怒りなんてどこかにいっていた。
それどころか、なんだろう。
たのしい。うれしい。たのしい。
体の血が騒ぐのを感じた。
「お、重いよ未優……」
「誰が重いって? 口ごたえしない」
わたしはみさきのほっぺをつまんで引っ張った。
わりと強めに。手をのけたら怒られると思ったのか、みさきはぎゅっと目を閉じて耐える。
それにしても、我ながらすごい格好してる。
みさきに足を開くな、なんて言っておいて、今のわたしははしたなく足を開いて、みさきの上にまたがっている。
「ん~痛い~?」
「いたぃぃ~……」
みさきが涙目になりながら、わたしを見上げてくる。たまらなくかわいい。わたしは一度ほっぺたから手を離してやる。
「やっぱりまだ怒ってるじゃん未優ぅ……」
「ごめんごめん。でも昨日から変だったよね、わたしたち。おいで、ちゃんと仲直りしよ?」
わたしはみさきの顔の前で手を広げてみせる。
泣き出しそうだったみさきの顔に、喜びの色が浮かぶ。
みさきは声もなくわたしの腰に手を回して、胸元に飛びついてきた。わたしは彼女の頭を受け止めて、ぎゅうっと抱えた。
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