水仙のおもひで
ある日の昼下がり、俺はいつものように野依の部屋の前で彼女を待っていた。
「あれ…野依姉ちゃんかな?」
その時遠くからやって来た不言色の着物…
それと六尺ほどの大きな影。
歳の割に頭が回ったと思う、その男は将校だったから野依の馴染みの客だろうと考えたのだ。
(仕事中か…じゃあ声はかけられない。)
しかしなんとも仲睦まじそうに並んで歩いている。
野依の事を一番分かっていた気になっていた俺はそれが何とも面白くなかった。
「好きなのかな…あの人のこと」
それからしばらく部屋の前で彼女を待った。
俺の近くには女将が飼っている三毛猫の寧々丸が居た。
「寧々丸…猫に人の気持ちはわかんないよね。」
「ナーン」
それでも寂しい俺を慰めるように寧々丸はしばらくそばに居てくれた。
3月の終わりはまだまだ寒い。薄い着物一枚では冷えた体も心も温まらなかった。
その時部屋の戸が開き野依が出て来た。
「ハチちゃん!ごめん!ずっと待ってたの?」
彼女は自分の羽織を俺にかけた。
「ナーン」
「ああ寧々丸も一緒だったの待っててくれてありがとねぇ。」
野依が持って来てくれた握り飯にも寧々丸にも今は興味が向かない。それより気になるのは-
「野依姉ちゃん…さっきの大きい人って誰…?」
「大きい…ああ蓮二さんのことかな?近くの練兵場の将校さんよ。」
「ふーん」
野依が怪訝そうな顔を浮かべる。俺がいつもと違うからだ。
「どうしたの?ハチちゃん。」
「…その人のこと好きだったら僕のことおいてっちゃうのかな、と思って。」
彼女はハッとして俺を抱き寄せた。
「そんな事しないわよ」
「あの人はお客様、ハチちゃんは“家族”でしょ?」
家族…
「初めて言われた…ぼくが家族でいいの?」
野依はさらに俺を抱きしめる
「当たり前よ!こんなに大切な人他にいないもの!」
「うん!」
いつも俺のことを真っ先に考えてくれていた野依の事だ、本当に家族のように思ってくれているのだろう。
母にも息子だと言われた事がなかったから嬉しかった。そして変に妬いてしまった事が申し訳ない…。
「そうそう蓮二さんはねキャラメルをくれた方なのよ。」
「えっ」
むしろ妬くどころか礼を言わなければいけない人だった!
「蓮二さん、色んな珍しいものをくれるのよ。今日は西洋から来たお花。」
そう言って手にしていた置筒に生けた一輪の水仙を見せてくれた。
「すごい!真っ黄色だ!」
「ね!綺麗でしょ?これお母さんに渡してあげて。病気の時は花でもあれば少し気が晴れるんじゃないかと思って。」
「うん!母さん絶対喜ぶ!」
そう言って野依から花をもらった。
野依の着物と同じ綺麗な不言色の水仙を。
握り飯も2人分持たせてもらい俺は家へ向かった。
「じゃあね!野依姉ちゃん!ありがとう!」
「はあい、またね!」
後で知ったのだが黄色い水仙の花言葉は「もう一度愛して欲しい」というらしい。
しかし母にその思いが伝わることはなかった。
気が荒くなっていた母は筒ごと水仙を表に捨てた。
朝になって見ると水仙は萎れていた。
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