#002.行為と結果

 ぐっ、と力を込めて左足の指で椅子を押しのける。


身体が前につんのめり、重力に従って首にロープが食い込む。


鼻筋が破裂するように痛み、続いてこめかみにチリチリとした痛みが押し寄せる。


腕に血が溜まり、しびれが指先を締め付ける。


吸うことも吐くこともままならず、明滅する視界に圧倒的な恐怖が忍び寄る。(死にたくない!)


必死に足を振り動かし、(いやだ!)椅子を探す。


(苦しい!)椅子の脚に触れる。


(誰か!)押しのけた際に倒れてしまったのだろうか。


(助けて!)朦朧とした意識で、(クソっ!)首に手を伸ばす。


(ああああ)しかし太い指はきっちりと絞められたロープの隙間には入らず、情けなくかりかりと音を立てて抵抗するだけだった。


(いやだ...)そして、生きることを辞めた。


 


 真っ白な空間だ。上も下も右も左も見渡す限り白く、「無」と呼ぶには少しばかり暖かい、そんな印象を受ける。それに、この目の前に堂々と、ふてぶてしさも感じるほど重厚な威圧感を放っている扉を前にして「無」と言えるはずもない。扉は両開きの引き戸で、恐ろしいほど静かに開き、吸い込むようにその場の全てを飲み込んだ。


 「...なんだったんだ..机?おい、誰かいるのか?」

「はい、こんにちは~~。お名前は?」

「名前?人に聞くときはまず自分から名乗るのが礼儀って教わらなかった?」

「名前は?」

「...あのね...まあいいや、月城。月城渚つきしろなぎさ

「つきしろ...なぎさですね...ええっと、これだ」

「ここはどこでお前が誰なのか教えてくれる?今は何をしてる?」

「どれが『一番』だ?」

「え?」

「質問の優先順位だよ。どの質問が『一番』大事なのか?よく考えてから口を開け。『一番』の部分が大切だ」

「...僕は死んだのか?」

「ああ」

「...そうか。にしても死後の世界がこんなにも殺風景だとは。一人じゃなくて本当に良かった」

「正確には、ここは死後の世界ではない。ここはいわば中継地点。生も死も時間すらもその存在を存分に発揮できない場所...そして、貴様のような人間が判決を受ける場所だ」

「判決...僕が生前に犯した罪ってこと?それに、中継地点ってことはまたどこかへ行かなきゃならないのか?」

「『一番』は?」

「あぁ.....判決ってのは誰が下すんだ?」

「その質問には答えない。貴様にとってそれは『一番』知りたい情報ではない。どこの誰が判決を下そうと、貴様はそれに従うまでだ」

「冷たいな...じゃあこれだ、僕はこれからどうすればいい?」

「そのための予定表を今...」

小さな溜息を渚は聞き逃さなかった。


「おい、おいおいおいおいっ、人の顔見て溜息つくってのはちょっとヒドイんじゃないの?さっきから気になるんだよ..『貴様』とか『一番』だとか...少なくともそれは接客業だろ?もう少しふさわしい態度ってものを考えたらどうなんだ?」

渚の眼前に指が突き出される。


「いいか?自分のことを棚に上げて人を批判するのは馬鹿のやることだ...貴様の『一番』は何だ?自分がスッキリすることか?『一番』欲しいものはそのスッキリしたという結果だけか?フン、惨めだな...」


「ぐぅ..なら僕はどうしたらいい?」

「自分で考えろ。貴様は一々他人と共有しなければ自分の気持ちすら理解できない浅はかなマヌケなのか?」

突きつけられた指が、頭の奥深くに刺さった棘と共鳴する。


「そうだ、僕は...僕は、あぁ..謝りたい。あなたに、謝りたい...今初めて気づいたよ...僕はいつだってそうだった。その場の空気に負けて...謝ることをせずに、強がって人を傷つけた。だから......ごめんなさい」

渚の目線と地面の間に手が差し伸べられる。


「その心を覚えておいてください。『一番』にすべきは結果ではなく行為です。あなたは今、心から私に謝りたいと思った。謝って、『許してもらう』という結果ではなく、『謝る』という行為を『一番』に思った。その心こそが人間の幸福です」


「ありがとうございます..!」

「では、これを」

「これは?」

「月城様の今後のご予定でございます。ご確認いただけましたら、あちらの扉からご退出ください。その後は予定表に従っていただけますと幸いです。それでは」


「それではって...あれ?どこ行った?」

渚が予定表に目を通す。

「......まじか」


 渚と予定表が再び、重厚な扉に呑まれた。



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