第34話 そろばん塾の作り方


「で、さっき言ってたすごいのってなに?」

 作業を終えギルドに向かうため家を出た吉井は、ドアに鍵を掛けながらみきに言った。


「焦った30歳前後の男は惨めですよ、吉井さん。もう少しゆっくりと楽しまないと」

 みきはすたすたと歩き出した。


 ギルドに向かう途中、あの家いいな、間取りどうなってるんだろ。えー、それならさっきの店舗一体型の家の方が。と軽自動車が1台通れる程度の道幅の道を、次住むならどの家がいいか、という視点で両側の建物を観察しながら街中を歩いた。



「さて、そろそろかな。では言っちゃいますけど。とりあえず理想の家はいくつかあったんで」

 

 みきは、にやにやと笑いながら吉井を覗き込む。


「ああ、今なんだな。タイミングって」

「これからわたし事務仕事するじゃないですか、主に計算の。で、で! 思いついたんですけど」

 みきは、指を上下にはじきながら続ける。


「そろばんですよ。そろばん! わたしたちにも作れそう、そして計算早くなりそう、そして、ここも重要なんですけど。夜に、夜にですよ」

 みきは通り過ぎた道を振り返って店舗一体型の家を指す。


「そろばん塾の経営ですよ! 最初はわたしたちが教えてもいいですけど、慣れてきたら近所の大学生を雇えばですね。そうなったらほっとけばお金増えていきますよ!」

「それでさっきの家が気に入ってたんだ。あそこなら塾できそうだもんなあ。じゃあ、きみはそろばん習ってたの?」

「まあ正直ルールすら不明なんですけど。ちなみに吉井さんは?」

「おれは1日だけ行ったな。その日で辞めたけど」

「あ、わたしもです。体験的なやつを1日だけ。何で辞めたんですか?」


 なんで、か。当時のことを思い出していると、付随して余計なことも浮かんできたので、「正直、電卓でいいかなって思った」吉井は当時の記憶を振り払うように早口で答える。


「電卓ですか。まあ時代ですね」

「あの当時のおれにとっては電卓がそろばんの上位互換だったんだよ。んでそっちはなんで体験だけだったの?」

「わたしの場合はおじいちゃんに勧められたんですけど」


 またおじいちゃんかよ。吉井は思ったが口に出さず、「ほう、それで?」と返す。


「顔を立てるために1回は行きましたよ。でもあんまり合わないなーって思って。だってね、これからは計算する能力より、計算する必要があるものを考えるほうが重要じゃないですか」

「うーん、でもあれ暗算も得意になるんだろ? それはいいんじゃないの」

「確かに。でもね、吉井さん想像してください、例えば英会話。20世紀の習い事で人気があったんでしょ? あれだってね、結局思うんですけど。日本語で会話もまともに出来ない人がね、英会話習ったって意味ないんですよ。できます? 知らない人と飼ってる犬がどうのこうの、みたいな話」

「言いたいことはわかるけどさ。結局あれだろ、エレベーターの中で2人になったとき2~3ターンの話して即沈黙。後は階数の表示が上がってくのを見てるだけ。みたいなやつが習ったって意味ないよ、ってやつだろ」

「そうそう。だからわたしは思うんですよ。英会話の前に人間力をつけないと。それに今なんてねえ、端末持ってれば変換してくれるんだから」

「まあこっちには英会話も端末もエレベーターもないけど」

「違います。わたしが言ってるのはあくまで現代基準で考えたときなので。あー、一回整理しましょう。ややこしくなってきたので」


 うーん、そうですね。みきはしばらく考え込んだ後、あっと手を叩いた。


「じゃあ時は幕末。黒船が来航してきました。みんなびっくりしています、なんだあれは? と言っています。そしたらなんか船から大きな人が降りてきました。髪も長いし金色に光りながらおまけにブルーアイ。みんな驚愕しました。あ、なんかやばい。やばいことが起こるぞ。で、その時です! 吉井さんが、着流しを揺らしながら近づき、英語で「長旅だったな。どうだい久しぶりの地面の感触は?」みたいなことを言います。外国の人達は、おいおい。こいつ話せるぞ、使えるな。みたいな空気になります。それをみた市井のみんなは尊敬します、なんかすげえ、と。そういう感じですよ」

「ごめん。前からなんだけどきみの話ってさ。今みたいに例えに例えをかぶせるから、元がなんのことかわからなくなるっていう」


 それにこいつ。この寸劇をわざわざするのは、英語のとこのセリフをネイティブ風の発音で言いたいだけだろ。前も似たようなのやってたし。その辺と横浜出身でマウントを取るつもりだな……。吉井は思ったがその部分については黙っておいた。


「はあ、またですか?」

 みきは大げさにため息をついた。


「簡単な話ですよ。物の価値というのは時と場所で変わるっていうことです。だから今、ここではそろばんなんですよ!」

「要はあれだな。ここは文明が未発達だから、現代ではきみ自身あまり必要としていなかったそろばんも、まだ利用価値があるっていうことか」

「違います。あくまで時と場所で変わるということです。それにこの世界とそろばん両方を貶めるような発言は許容できませんね」

「いや、でもそれはそっちが最初に」

「はいはい、言い訳はその辺にして下さい」

 みきはパンパンと手を叩く。


「じゃあ、どんぐり探しにいきますよ。その後ギルドです」

「え、どんぐりって。ああ、そろばんのはじくやつにするのか」

「そういうことです。見た感じ焼き鳥っぽいの売ってる店もあったので、その串を洗ってどんぐりに刺してですね」

「うん、絵は浮かんだ。やりたいことはわかったけど」


 そう上手くいくかなあ。吉井はどんぐりがきれいに串に刺さるイメージが出来なかった。


「ちょうどギルドの裏にあったじゃないですか。裏山」

「あったなあ。まさに裏山が」

「とりあえず仕入れに行きましょうよ。そろばんの玉になるどんぐりを。あー、なんか紙袋持ってくればよかった。どんぐりいくつあっても足りないのに。何か変わりになりそうなもの売ってないですかね?」

 とみきは周りの住宅街をキョロキョロと見回した。


 おれとみきの2つじゃなくて塾生のも考えてるんだな……。あ、そうだ。あそこ行ったらいろいろありそうだけど。吉井は一度行ったバザーのことを思い出したが、みきとそこに行った場合、今日そして明日、いや明後日も潰れそうなのでいつか機会を見て伝えることにした。


「とりあえず行ってみてさ。どんぐりはいくつかのポイントにまとめておいて、後でまとめて取りに行くっていうのはどうなの」

「集めておいて後で、ね」

 みきは吉井の提案を吟味するように何度か頷く。


「かなりリス的な感じになってますがいいでしょう。さすがにどんぐり泥棒は考えづらいですからね」

「おし。じゃあ向かうか」



 そのまま街中を歩き、昨日行ったカフェ、そしてギルドを通り過ぎて裏山に入った吉井とみきは、登山道が探せなかったので、適当に登りながら道なき道をうろうろと歩き回った。


「なあ、ちょっといい?」

 山に入ってから数十分後、吉井は真剣に足元を探しているみきに声を掛けた。


「なんですか? 声を掛けるのは見つけた時、と言ってたはずですけど」

「ちなみになんだけど。こっちに来て3年間でどんぐり見たことあるの?」

「どんぐりについては一度も見たことないですね」

「え。ちょっと待って。じゃあこの世界にどんぐり自体が無い可能性も」

 吉井はその場に座り込む。


「どんぐりがない? ばかな、そんな世界なんて存在しないですよ」


 その思考パターンはどうかと思うけどなあ。再び歩き始めたみきをしばらく見つめた後、吉井はゆっくりと立ち上がりみきの後を追った。



 吉井とみきは再び山を登り、頂上で少し休んでから逆側に降りつつさらに数十分間どんぐりを探し続けたが見つからず、とりあえずどんぐりが存在するかどうかを確かめてからもう一度探そう。という吉井の説得にみきが渋々応じる形で下山することとなった。



「じゃあ聞きますけど、吉井さんはどんぐり以上に適した物って思いつきます?」

「それはあるって。中世風の世界でも」


 山を降りた2人は昨日のカフェに向かい、空いていたので昨日と同じ席に座ってギルドを出入りする人達を眺めながら、それぞれ注文したサンドイッチを口に運んでいた。


「へえ、例えばどんなのですか?」

「うーん、いや。あるよ、間違いなくある。ただ今のおれの中にはないっていうか」

「言い訳はいいですから。戻ってくるまでに考えて置いて下さいよ」

 みきはそう言ってドリンクのお替りを注文するためカウンターに向かった。


 どんぐりだろ。まあ、どんぐりっていうか、あのそろばんの玉みたいなやつだろ。あるかなあ、中世風の世界で。吉井は20秒程度考えたが、だめだ。これ思いつかないやつだ。と諦めサンドイッチを手に取った。


「じゃあ、答えを聞かせてもらいましょうか」

 

 数分後、コップをテーブルに置き椅子に座ったみきは、どうぞ。と吉井に向かって手をかざした。


「どんぐりの代わりは思いつかなかったんだけどさ。作ればいいんじゃないかな。なんか鍛冶屋? とかそういうところに頼んで」

「ありえない」

 

 みきはそう呟いてからジュースを一口飲んだ後、もう一度「ありえない」と繰り返し言った。


「わたしたち特許のない世界にいるんですよ。ただでさえ細心の注意が必要なのに、そろばんの最重要部分を人に頼むってどうかしてますよ!」

「ええー。わからないって。何か穴の開いたひし形の玉を大量発注したところで、そろばんには辿り着けないよ」

「ねえ、吉井さん。そろばんが出来た経緯って知ってます?」

 みきは真剣な表情で吉井を見つめる。


「いや、知らないな。想像もつかない」

「わたしもですよ、だから怖いんです。人間の発想って場合によっては人間を超えますからね」

「例えばあれか。大量のそろばんの玉を発注したとして、その業者が箱詰め作業のときばーっと床に全部落としてしまったと。で、拾ったやつをテーブルに置いて数えていたら、あれ、これ便利かも!? みたいな感じか」

「そうそう、そういうことですよ。というか今の話の状況、かなりまずいですね。核心まで数センチじゃないですか」

「そうか? 大分遠い気がするけど」

「あ、それに注文するとしても玉を20個とかじゃないですから。2,000個、3,000個となってくると材料費もかさむと思うし」


 こいつそろばん塾に何人集めるつもりなんだよ。個人経営のレベル越えてるぞ……。


 それからみきは、玉を集めた後のそろばん作りについて話始めたので、終わりが見えなくなった吉井は、時間もあんまりないからとりあえずギルドに行ってみよう。帰りに詳しい話は聞くからさ。と会話を分断した。


「ちょっと。今の話は後ろに回せない大事な部分なんですけど」

「ほら、場所借りるとき敷金礼金も必要かもしれないだろ。金は早めにあったほうがいいと思うよ」


 うーん。みきは腕を組んで考え込む。


「そっか。敷金礼金は頭になかったですね。では今日こそはギルドの全貌を解き明かしましょう」

「いいねえ。じゃあ行くか」


 吉井とみきはゴミを片付けて食器を下げギルドに向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る