後悔立つ鳥後をたたず


 俺は茶碗蒸し専用滑走路のマーシャラーをしている。

 何故そんな常軌を逸した職業に就いているのかという説明は簡単だ。職業安定所で斡旋されたから。

 生来押しに弱く意志の弱い俺は、安定所の職員の勧めの全てに曖昧な返事しか出来なかった。そもそもアルバイトを含めた労働行為の一切をしたことのない身では、どのような職種を希望しますかという問いにまるで答えられないのである。そのさっぱり分からなさが職員にも感染したらしく、堂々巡りの末に出されたのがこの仕事だ。その頃には俺も職員も息も絶え絶えで、「それでいいです」と言わざるを得ない状况であった。そのままあれよあれよという間に職業訓練校に連れて行かれ、数ヶ月の訓練の後に就職した。

 マーシャラーというのは、主に空港で着陸した旅客機などを駐機場まで誘導する仕事のことである。ただこれは一般的なマーシャラーのことであり、俺の仕事は少し違う。

 まず茶碗蒸し達のことを話さねばならないと思う。

 茶碗蒸し達は飛び立つ。基本的には一年程度各茶碗蒸しメーカーの養茶碗蒸し場で飼育され、その後にこの茶碗蒸し専用滑走路へ輸送されて飛び立つ。目安は茶碗蒸しにセロファン状の羽根が生えてきたらだ。一年で生えてくるのが一般的だが、中には三年程飛び立たずにいる個体もいるらしい。無理矢理飛び立たせることは品質を下げることに繋がるので、自由意志に任せる。そして茶碗蒸し達は各々好みの販売店へ着陸し、そこで羽根を落として売られる。このようにして茶碗蒸しは家庭の食卓へと運ばれて行くのだ。我々が食べるときに蓋がめくりやすくなっているが、あれが羽根の落とし切られていない残りである。

 俺もここに就職するまではこんなことは知らなかった。卵とかが原材料なのだと思っていたのだけれど、実際に飛ぶ茶碗蒸しを見てしまったので疑う余地はない。疑問に思って「何故世間の人達はこのことを知らないのですか」と上司に聞いてみたが、「なんでだろうねえ」と返された。謎は謎のままで、ということなんだろうか。

 それでなんでマーシャラーが必要なのかというと、体の大きな茶碗蒸しは体の小さな茶碗蒸しを共食いしてしまうからだ。まるっきり自由にさせると、あちこちでそれが起こってしまう。そこで離陸するまでをスムーズに誘導する人間の必要が出てくる。

 ……というのを、研修で習った。

 多分こんなもんだと思うが、ちょくちょく意識を飛ばしていたのでもしかしたら漏れがあるかもしれない。まあそういうことで。

 目下気になっていることがある。

 茶碗蒸しのことだ。

 茶碗蒸し全体のことではなく、ある一蓋の茶碗蒸しの個体のことだ(この職場では茶碗蒸しのことをヒトフタ、フタフタと数える)。

 便宜上そいつのことをサットと呼んでいる。サットは小さな個体の茶碗蒸しで、同じメーカーの茶碗蒸したちの中でも一際小さい。どれくらい小さいかというと、この、あの、拳をぎゅーって……めちゃくちゃぎゅーってしたやつの半分くらい。分からない。とにかく小さい。ただ何センチだとか測れる程近くに寄ったことがない。目測で分かる人々のことを俺は心から尊敬している。

 そいつが名前の通りサットしているのだ。違う、サットしているからサットと名付けたのだ。俺しか呼んでないけど。口に出してもいないけれど。

 サットはすばやい。

 大きな個体にはない俊敏さがある。

 最初は特に気も付かずにその他大勢の茶碗蒸しと同じく誘導するつもりだった。滑空していく茶碗蒸しを一つひと……一蓋一蓋数えていく内に、予定よりも数蓋少ないことが判明する。まあこれは日常茶飯事で、秋の空と茶碗蒸しの心とはよく言ったもの。気紛れに飛び立つのを止める奴らは割と居るのだ。そういうことでその時点でも大して気にしていなかった。

 次の日、かなり立て続けに滑空のスケジュールが組まれていて、一人では捌ききれないと思った俺は分身した。ちょっぴり薄い二人目の俺と俺は協力する(この職場は仕事量に対するあまりの人手の少なさに、繁忙期は分身術を使用することを法的に認められている)。

 それでも足りずにもう一人。それでも足りずにもう一人。四人に増えてもまだ余裕がなかった。先輩が言うには、夏が終わって寒くなってくると奴らは飛び立ちたくなるらしい。専門家が言うには、寒いのに弱いらしい。暖かさを求めて飛び立つのだそうだ。

 俺は新米なので四人出すのが精一杯で、もう四人目は霧の向こうに居る様な有様だ。無理して出し過ぎると身体に良くないそうなので、ビビリの俺はまだいけるかな……と思ってもまず実行に移せない。そういう性格なのだ。心筋梗塞とか、脳梗塞とか、聞くだけで背筋が寒くなる。

 というわけで四人の俺でどうにかしなければならない。

 茶碗蒸し滑走路は滑走路とは言うが、実際のところ滑走階段になっている。放射状に広がる螺旋階段達の中心には地中に繋がる出口があり、そこを奥へ進む、茶碗蒸し達にすれば後に戻れば、茶碗蒸しの大きさ別に仕分けるベルトコンベアが長々と続く。そしてその前にはマーシャラーの仕事場がある。

 大きさのバラバラな茶碗蒸し達が時には一気に雪崩れ込んできて、小学生の中休みのような有様のそれを出来る限り早く誘導せねばならず、並大抵の集中力では出来ない。それを分身した状態でやるのだから、もうこれは大事であり、早急な人材不足の改善を求めるものである。

 場には三人の俺と、五人の先輩と、六人の先輩が腰を低くして構え、それからというもの、てんてこまいの五時間だった。更に上がる時に十二人の分身を解除する死にそうな顔の上司を見かけ、三人で慌てて肩を貸した。

 と、この出来事ですっかり頭から抜け出ていたが、この日、薄まった四人目の俺がサットを目撃していたのだ。

 あまりにも薄いので茶碗蒸し達に認識されない四人目の俺は、どうしようもないので迷子の茶碗蒸しがいないか辺りを見回っていた。何故サットが目についたのかははっきりしない。壁の際にひっそりと佇んでいたサットは、何かを注視しているように感じたのだ。

 次に発見したのは一週間ほど後だ。

 その日は中々の寒さで茶碗蒸し達が飛び立とうとしないので、とりあえず場を歩き回っていた。

 するとまた同じ場所で様子の変わった茶碗蒸しを発見する。前回はそこまで気が回らなかったが、通常の茶碗蒸しはなんとも言えぬ動き方を断続的にしており、じっとしていることは少ない。サットはまた壁の際からどこかを見ているような風にしている。

 俺は珍しい茶碗蒸しだなと思いそいつを眺めていた。

 十分ほど動かないでいるので、もしや死んでるのではと思った瞬間に、驚くほどのすばやさで視界の外へ飛んでいった。振り返っても何処にもいない。何が起きたのかよくわからず、とりあえずそいつの見つめていたような方向を見ると、大きな大きな茶碗蒸しがのっそりと動いていた。

 そこで俺はピンと来る。

 サットはあの大茶碗蒸しをずっと見ていて、振り返って見られそうになったから逃げたんだな。じっと見ていたのがバレたら恥ずかしいもんな。なるほどな。

「先輩、茶碗蒸しって他の個体に興味あったりするんですか?」

「うーんどうだろうな、興味があるって言ってもピンキリだろう」

「ほう」

 とにかく、俺はサットがあの大茶碗蒸しに何かしらの感情があるのだと仮定した。


 螺旋階段の最上段は、滑走路と言ってもいい、長い平面になっている。そこに辿り着くには。手負いの茶碗蒸しには困難だ。

 大茶碗蒸しは怪我をしている。それは大茶碗蒸しを見るサットを見る俺が一週間ほどで出した結論だ。なるほどわからんでもない。つまり、サットは怪我をした茶碗蒸しを心配して観察しているわけだ。毎日。甲斐甲斐しく。

 それならばと俺は筋トレと反復横跳びの訓練を始めた。

 サットがせっかく気配を消しているのに、それを見ている俺のせいでサットの覗きがバレてしまうのはいけないと思い、腕立て伏せ、スクワット、水泳、行き帰りの電車での片足立ちなど、色々なトレーニングをしてみる。

 サットのすばやさは相変わらずの目にも留まらなさだが、サットがその場を去った瞬間に俺も身を翻せるだけの俊敏さを備えた。

 そうこうして一ヶ月の時が過ぎる。

「先輩、怪我をしてる茶碗蒸しって飛べないじゃないですか、どうなるんですか?」

「ああ、まあここで余生を過ごす事になるよな」

「獣医……茶碗蒸し医とかは?」

「いるよ。治せるやつは治って飛んでく。治らなかったやつはどうしようもない」

「そういうもんなんすか」

「そうだね〜」

 可哀想だけどね、と残した先輩は昼食の食器を返すために席を立った。


 二ヶ月、三ヶ月と経つ内に、あれと思う。

 サットがいる場所が、少しずつズレている。ほんのちょこっとずつ。月単位で見なければわからないほどに。

 サット、お前、近づいてるのか! ダイに!

 ダイというのは大茶碗蒸しにつけた暫定的な名前だ。

 だるまさんが転んだをやっているのかと思うが、サットの目的はダイにタッチして一目散に逃げることではないだろう。サットはダイに近付きたいのだ。

 なんでだろうか? 同情、憐憫、それとも……?

 彼らは人間の言葉を喋らないのでわからない。想像するしかない。だが。何かしらの感情があるのだと、そう思いたい。

 この日から俺は、六人に増える決意をした。筋肉トレーニングの効果か、四人以上に分身してもさほど霞まなくなってきたのだ。その中の一人を常にサットに付ける。公私混同も甚だしいが、仕事効率はどちらかというと上がっているので許されたい。

 上司から怒られた。

 

 ダイの怪我は、足の片方が無くなっている大きな怪我だ。その巨体を片足で支えるのは難しいようで、いつも暗がりでぼうっとしている。たまに立ち上がろうとするとよろけて危うい。そういう時、決まってサットは小刻みに震える。人間風に見るなら、肩を貸してあげたい、そんな気持ちなんじゃなかろうか。サット自身にはなんの身体の負傷も無いので、まずこんなにも長い間飛び立たずにいるのは異常なのだ。並々ならぬものがあるのは自明の理だろう。

「あ」

 ダイがちらりと後ろ、サットのいる方を振り向く。

 サットはさっと去って——……

「あれ……?」

 去らない。

 何故? 今までならば絶対に目にも留まらぬ速度で逃げていたのに……。

 それどころか隠れていた壁から身体を全て出して、しっかりとダイの方を見据えている。そしてダイも狼狽えずに、じっとサットをみている。その姿から、今までずっと覗き見ていたことにバレていたのだ、と唐突に確信する。

 そのまま両者動かない。

 ……もしや。

 これは、見つめ合っている、ということではないか?

 もしや、俺はここにいない方が良いのでは?

 という考えが首をもたげる。

 抜き足、差し足でその場を少しずつ離れる。これは、サットの思いの本懐かもしれない。それを見るのは俺の役割じゃない。きっとそうだ。

 休憩室に転がり込むと、パイプ椅子のひとつに間宮ノ宮マミヤさんが座っていた。

 間宮ノ宮マミヤ。どう考えても偽名だ。まあ、ここがまともな職場ではないことは百も承知なので、三秒で思いついたような雑な偽名の人間がいてもさして気にはならなかった。というかむしろ、ちゃんと名前を覚えているのは彼女だけかもしれない。他人の名前なんか一々覚えていられないから。先輩、と呼んでお茶を濁して過ごしている。

 ボブカットの女性で、いつも瞼に真っ黒な化粧、ドギツイピンクの口紅を塗った人だ。

 彼女は懐から黒いスマートな煙草を取り出すと、サンタクロースを模したかなり大きめのユーティリティライターで火を付けた。

 普通なら屋内、しかも至近距離で煙草を吸われたら非喫煙者の俺は文句の一つでも言ってやるが、マミヤさんのそれからは何故か煙さとか臭さがない。むしろ金木犀みたいないい香りが漂ってくるのだ。とても喫煙所に行ってくださいとは言えない。金木犀は素敵な匂いだからだ。

 しかし、匂いは素敵でもこの人は挨拶してくれない。こちらから挨拶しても返してくれない。気まずい。二人だけの部屋が爆発的に息苦しい空間になっていく。

 普通だったら俺はここで口を噤み、ペットボトルの成分表とかをじっと読み続けていたところだが、今日はなんともテンションが上がっていて、あろうことか間宮ノ宮さんに話しかけてしまった。

「あ、あの、聞いてくださいよ! 俺ずっと見てた茶碗蒸しがいるんですけど、小さいやつが怪我した大きいやつをじっと見てて……」

 間宮ノ宮さんは煙草をふかしながら、ちらりとこちらに視線をよこした。それに気分を良くして、詳しいところを説明していく。

「つまり、なんちゅーか、サットとダイはラブ? 的な? 感じなんかと思うんすよ! よくないすか? ロマンチックっしょ!」

 そこまで言い切って、ずっと見られなかった間宮ノ宮さんの目を覗き込むと、…………そこには、見下すような表情がそこにあった。

「あ、ロマンチック、じゃないすか…………?」

「……あたし達が何の仕事してるか分かってんの?」

「え、……マーシャラーっすよね」

「茶碗蒸し同士の共食いを防止する為にあたし達がいんだよ。その二蓋は離さないと問題になる」

「な、……でもだって、引き離せって言うんですか⁉︎ サットはずっとダイを気にかけてて……ようやく両想いになったかもしれないのに」

 間宮ノ宮さんは深く煙を吐いた。心から呆れたと言わんばかりの冷えた視線が突き刺さる。

「てか、茶碗蒸し達の意思なんて分からないのに、勝手に恋愛感情を当てはめてるの、気持ち悪い」

 …………は?

 気持ち悪いって、言い過ぎだろ。

 こっちは気を遣って話題を出したっていうのに、なんなんだよ。

 こいつの目、あいつと一緒だ。兄貴と一緒だ。馬鹿を見下す目。自分は賢いからって周りを下に見てる目だ! 馬鹿なのはそんなに悪いかよ⁉︎ こんな底辺の仕事に就いてるくせに、自分は違いますアピールかよ。気持ち悪いのはそっちだろ。ていうか、動物の気持ちを勝手に当てはめたって別にいいだろ‼︎ 動物は動物で人間じゃないんだから‼︎

「は、ハハ、なんすか? 女の人は恋バナとか好きかなーって話したのに、キモイ呼ばわりですか? ノリ悪いっすね」

「ちょっと。その二蓋、死ぬかもしれないんだけど、話聞いてる? どこに居るのそいつら、早くしないと——」

「気分悪いんで帰ります」

 泣きそうになって遮二無二駆け出した。上司に適当言って早退して、帰って布団にくるまって耐えた。

 

 

 次の日持ち場につくと、共食いされてベチャベチャに潰れたとても小さな茶碗蒸しの残骸が落ちていた。

 



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