さよなら

 頼れるクラスメイトが、私のことをいい感じに殺してくれるらしい。それを聞いてからこっち、ずっと浮かれている。肩の荷が降りた気持ちだ。足取りがふわふわして、ちょっとしたことで嬉しくなる。

 数週間でいいと言う言葉通り、園原くんはその位で準備を終わらせた。それを教えてくれたのは突然だった。物理の授業が始まった直後。物理は移動教室で、通年席が氏名順。私と園原くんは隣の席になる。先生が授業を始めますと宣言して、まだ教室内がざわついている時、園原くんは私に耳打ちした。「いつでもいけるよ」私の胸は高鳴った。というより、不意打ちだったのでかなり驚いた。心臓が肋骨にぶち当たって若干の痛みを感じる。でも、口元が緩んでいることも感じた。園原くんの目を覗き込むと、向こうもニヤリと笑って応えてくれたのだった。善は急げということで、私達はすぐに実行に移した。

 私のことをどういう風に殺してくれるのかは訊いていない。正直どんな死因でも死ぬことには変わりないので、どうでもいいかなと思っているのが半分。もう半分はぎりぎりまで内緒にして、最期のお楽しみにしようという気持ち。私は好物は最後まで残しておくタイプなので。一応、園原くんには甚振り殺すとか苦しめるとか拷問じみたのは止めてくださいと頼んでおいている。何を当たり前のことをと呆れていたが、こっちとしては結構な大問題である。バラバラにされるにしても、出来れば死んだあとの方がいいと思うのは人情ではないだろうか。そう言うと「私をなんだと思ってるんだ」と訊かれたが、友人だと思っている。

 決行日は土曜日。父親は仕事のない日は殆ど自室で眠っている。母親は友人とお茶をしに出掛ける。園原くんの指定通り、制服に着替えてかなり早い時間に出る。母親に鉢合わせても、学校に忘れ物したとか部活のなんたらとか言って誤魔化せる。友達と遊びに行く、と本当のことを言ってしまってもいいだろうと思う。

 案の定台所に居る母親と会ってしまったが、着ている制服を見て向こうから「学校に行くの?」と訊いてきた。都合がいいのでそこに乗っかる。

「うん、忘れ物したから」

「何?」

「……お弁当箱」

「ああ! そういや昨日出てなかったね」

 へへへと笑ってからそんじゃと言いつつ出発する。上手く誤魔化せたと思う。というか、こんなこともあろうかと本当にお弁当箱は忘れてきておいたのだ。なので、ほぼ本当のこと。嘘を吐いている気がしなかった。ただ、私はこれから学校には行かない。人生初の帰らない遠足に行くのだ。

 待ち合わせは二人の家から徒歩圏内の駅、の近くの路地裏。土地勘のある人がたいそう急いでいる時にショートカットで使うような、ほぼ人の寄り付かない場所である。といっても別に治安が悪くて怖い人がたむろする訳でもなく、ただ味気ないブロック塀と民家とぼうぼうの雑草があるだけ。大通りからはしっかりと確認しないと人が居るとか居ないとかは分からないし、気にもならない。ここに、前もって決めておいた時刻ぴったりに着かないといけない。早すぎても遅すぎてもいけないのだ。覗かないと見えない路地裏と言えど、覗く人間が絶対に居ないとは言い切れないし、近くの民家の住人に目撃されるかもしれない。されない確率の方が高いが、微かな可能性に殺された人々は沢山居る。さっと集まって、さっと場所を移動しようという話だった。勿論私はそれに賛成した。園原くんを殺人犯にしない為に、目撃情報は少なければ少ない程いい。それに、こういう一つ一つのことが私の胸をちょっぴり躍らせた。何だか秘密のごっこ遊び、あるいは悪戯をしているような気分になる。非日常であることは確かだった。

 待ち合わせ場所に着くと、園原くんと思しき人物が佇んでいた。薄いグレーのシャツに黒のパーカー、ジーンズと薄い水色のスニーカー、グレーのキャスケット。そのどれもがロゴやブランドマーク、ワンポイントなどのないぼんやりとしたラインナップ。出来る限り人の記憶に残らないように配慮されているのだと推測される。髪も編み込まれてキャスケットの中に押し込まれているので、一見して長さが判別出来ない。そしてマスクをしていた。この時期ならばマスクを着けている人なんて沢山いる。真夏でもしている人がいる位だから、特に不審ではないはず。目立ちすぎず、怪しくならずのバランスがいい。

「それじゃあ、行こうか」

「うん」

 それに何より、隣に制服が居るのだ。印象に残るなら圧倒的にそちらで、園原くんに視線が集まることはない……と、いいなあ。

 人通りの多い道では、寄り添うように歩くことはせず、たまたま近くに居る位の距離を置く。最寄りの駅からではなく、隣の駅から出発しよう、と提案された時、私はそのあまりの「それっぽさ」に一も二もなく頷いた。一つ駅分歩くのは中々骨が折れるけれど、こういう「それっぽさ」を何よりも重要視する私にとって、それは大した問題ではなかったのだ。

 わざと遠回りをしたり、それぞれ違う人に着いて行ってみたり、少し後に合流する道を別れて進んだり、大いに遊んで歩いた。そうして商店街や住宅地、公園なんかを眺めていると、見慣れたどうということのない風景の筈が、これも見納めなのかと、なんだかとても惜しいような気持ちになってくる。人生で一度しか見ない風景なんて幾らでもある筈で、その時はそうとも知らずに気にも留めないのに、どうしてなんだろう。

 そういえば、不審がられないことに集中し過ぎて忘れていたけれど、あれが母との最期の会話だったのか。どうなんだろう。どうもこうもないけれど。喧嘩別れして、それがそのまま死に別れになったなんて話はよく聞くから、ましな方だろう。多分。

 線路の脇を抜けて人通りの全くない住宅地に入った。小さな森が側にあって、確かその奥に神社があった筈だ。そちらへ曲がると来た道に戻ってしまうので、真っ直ぐ進む。休日の午前なんだからもっと人の気配があっていいと思うのに、ここら一帯はまるで誰も居ないような静寂だった。それとも、休日の午前だから人が居ないのだろうか? 生活音とか、子供の何を言っているかさっぱり分からない叫びとか、そういうものがない。不思議だとは思うけれど、都合がいいので言わないでおくことにした。大体こういうものは、口に出すと打って変わって都合の悪いことが起こる。

「園原くん」

「うん?」

「ありがとうね、本当に」

「どうした、改まって」

「いや、改まるとしたら今かと思って」

「別にいいよ。ついでだから」

「何のついでなの?」

「…………、さあ……」

「何言ってんの?」

「何にも考えずに言ったわ」

「そう……」

「定型文で言ったわ」

「そう……」

 確かに定型文っぽい。

 仮についでならば私は何のついでに殺されるのだろう? 散歩のついで。ウォーキングのついで? あんまりにも気軽過ぎる。最高の友人とはこういう人を言うのだろうか。持つべきものは友、という言葉を生まれて初めて心から思う。

「いや、それはもう少し頻繁に思っとけ?」

 森の木々から一斉に鳥の群れが飛び立つ。羽ばたきが静かな住宅街にいやに響いた。少しぎくりとする。悪いことはしてない。してない、筈なのに。どうしようもなく罪悪感が胸で波打っていて、逃げ出したくなった。

 自然と足が早くなっていく。このブロック塀を右に曲がれば、川を渡る橋に出る。

 出るのだ。

 出る、筈だった。

 

「……ん?」

 そこには川もなければ橋もない。ブロック塀とレンガ塀、金網に竹柵、下はコンクリ、アスファルト、石畳に大理石にタイルに砂利、あらゆる景色から少しずつ拝借してパッチワークしたかのような景色が伸びていた。その先には道を挟んだ左右に何かの店と見える建物がずらりと並んでいる。

 こんな場所はない。少なくとも、記憶の中にはない。あまり立ち寄らないとは言え、ここは地元も地元。こんな場所があるなら知っている筈だ。

 更に私の頭を混乱させるのは、道を曲がった途端に流れ込んで来た轟音。思い付く音楽全て——クラシックとジャズと祭り囃子とポップと民族調とロックとエレクトロとデスメタルとなんだかんだを一気に演奏したような悪夢染みた何かが、先程までは確かに聞こえなかった筈なのに、信じられないような大音量で鳴っている。てんでばらばらの音楽達が時折思い出したかのように協和音を奏でるが、その数瞬後にはまた耳を塞ぎたくなる不協和音に帰る。ノイズと一言で片付けるには何か意思が介在しているような、吐き気を催すようなメロディ。

「…………はあ?」

 思わず低い声が出る。

 視線を逃がす為に空を見上げると、そこには背の低い、巨大な観覧車があった。その巨大さを支えるには心許ない、針金か何かかと言いたくなる位の細い支柱。そして回っているゴンドラが大きい。私が見た事のあるゴンドラの二倍、三倍位はあるのかもしれない。

 その奥には、広葉樹の枝の様な伸び方——伸び方でいいのだろうか?——をしているビルに見える何かしらがあった。それも一本ではない。右には蜘蛛の巣の様な伸び方——伸び方なんだろうか——をしているビルディングみたいな概念を実在させたもの。左には今まさに吹き戻しの様に伸びたり縮んだりしているのかもしれない建造物らしきよく分からない物体があった。その三本がのっぽというだけで、ここから見えない高さにまだ幾つもあるんだろうな、と何故か確信してしまう。

 音楽に掻き消されてしまっていたが、人間に限りなく近いんじゃないかなと思う二足歩行の方々のざわめきも徐々に聞こえてきた。店に入ったり出てきたり、飲食をしていたり、歩いていたりする。

 隣の園原くんの顔を振り返る。園原くんの顔は私のしているだろう表情の半分も取り乱した色がなく、凪いでいると言ってもいい程である。訳が分からな過ぎて虚無を感じているのだろうか。それとも、このお祭り横丁は興奮し過ぎた私の幻覚なのだろうか。それならそれでいいけれど、いや、そちらの方がいい。いきなり何処か分からない不気味な場所に入り込んでしまっただなんて、ちょっと今日の予定がリスケに成らざるを得ないというか、まずここから帰れるのかな、というレベルの出来事だ。変に遊んでよく知らない道を歩いたのがいけなかったのかな? どうしよう、……ど、何か言って園原くん……!

 園原くんは辺りをゆっくり見回すと、ふうと息を吐いた。

「およそ通常ではないけれど——、私達は通常に通り抜ければいい。早く行こう、こんな所は拓良坂の死に場所には相応しくないからね」

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