あやしのあめ

おくやゆずこ

覚悟決まれど未来は知らず

 葉太は嫁をいじめることにした。六月。ジューンブライド、と結婚式場が騒ぎ立てる月。夏目葉太は嫁をもらうことになった。十八歳の少女。母親が葉太に分家から彼に今日嫁を連れてくるのだ、婚礼は今月中に行うのだと嬉しそうに伝えた。当の本人は、驚くわけでも喜ぶわけでもなく、息を大きく吐き出した後「ふうん」と答える。やるべきことが葉太には沢山ある。だから、驚く暇などないのだ。雨が窓を伝っていくのをじいと見つめていた。少し肌寒い。藤色の羽織を引っ張ってきた。高級品。夏目家はいわゆる金持ち、上流階級と揶揄されてもおかしくない家であった。それも少し特殊な家であった。歴史の刻まれた、幾度となく踏まれ続けぎいぎいなるようになった廊下。その廊下を誰かが歩く音がした。葉太の花嫁の登場である。

「こちらが葉太さんのお部屋っす」

 どたどたという足音。お手伝いという名目で働いている青年のいつもの声がして、葉太はようやく自分は嫁を持つのだ、これは現実なのだという感覚が持てた。非日常。

「葉太様、末永くよろしくお願いいたします」

 額を手でさすりながら花嫁は言う。先ほど部屋に入ってくるときにつまずいたのかなんなのか、何もないところで転んだのである。転んじゃいました、と彼女は笑っていた。可愛らしい笑顔を葉太は不気味だと思った。葉太を見る彼女の目は恍惚としていた。自分の花嫁にそっぽを向いて葉太は引き出しを漁る。後ろで花嫁がおろおろしているのを面倒に感じながらお目当てのものを取り出した。

「あの、えっと……葉太様、どういたしましたか」

 睨むようにして花嫁を一瞥する。長い艶のある黒髪。血色のいい唇。大切に育てられたのが一目でわかった。白い腕が、足が、透き通るようで美しい。彼女の絶えることのない微笑みは歳の割に大人びているように思えた。大人のふりをしている。彼女がまだ十八なのを葉太は知っている。大人ぶったって葉太の前では意味がない。それを彼女はきっと知らないのであろう。

「これ、お前にやるよ」

 葉太が花嫁に放り投げたのは絆創膏の箱。可愛らしい花柄である。数日前購入したばかりの新品だった。不思議そうに葉太と箱を交互に見る彼女を見ていると、なぜだか笑えてきた。薄い笑い顔を勝手に表情筋が作り出した。

「牡丹はそそっかしいな」

 牡丹、という単語に花嫁が反応する。彼女の名前だ。「そうでしょう、自分でも嫌になってしまいます」なんて、まるで大人みたいな微笑みは崩れることはない。落胆のような感情が葉太の中に生まれた。がっかりだ。牡丹が照れくさそうに言う。絆創膏、もらいますね。彼女は何も知らない。葉太は決心した。この少女を、追い出すこと。牡丹から、嫌われること。こんな家よりも、もっと良い場所を求めようと彼女がこの家に、そして葉太に見切りをつけるまでそれを続ける。そう決心した。

 なぜなら彼女は、そう遠くない未来で人を殺すから。雨が降っている。ついでと言わんばかりに、魚が一匹降ってきた。

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