第9話
私は夜になり香屋子姉さんに話したいことがあると言って引き留めた。
香屋子姉さんは不思議そうにしながらも了承してくれる。そうして東宮様--春仁様には今日はお渡りは遠慮してほしいと無理を言って取りやめにしていただいた。これで準備は万端だ。自分の寝所に姉さんを招き、2人して袿袴姿というくつろいだ格好になった。
「……久しぶりね。史華ちゃんとこうやって喋るのは」
「うん。裕子さんとパジャマパーティーみたいなのするのは久しぶりだね」
「……で。わたしをわざわざ呼んだということは。何かあった?」
早速、本題を突いてくる。私は居住まいを正した。
「……ねえ。裕子さんはこのまま、恋もしないで結婚もせずに過ごすの?」
「いきなり何を言うかと思えば。わたし、言ってなかったっけ。前世の旦那を探してるって」
「そうなの?」
私が首を傾げると裕子さん--香屋子姉さんは讃岐が用意してくれていた唐菓子を口に入れてぽりぽりと良い音を立てながらこくりと飲み込んだ。そうして私の額をつんと人差し指で突いた。
「……でなかったらとっくの昔に諦めて結婚してたわよ。でもこっちに前世の旦那が生まれ変わっているかもって10年前に気付いたの。実はね。陰陽師の安倍様--晴明様のお孫さんがわたしの母の知り合いでね。そのお孫さんが占いでわたしに前世の記憶があるって言い当ててくれてね。ついでにあなたの背の君だった方もこちらに来ているって教えてくれたのよ。だから探す気になったの」
「へえ。陰陽師さんってすごいね。そんな事もわかるんだ。じゃあ、裕子さんの旦那さんってどんな人かきいてもいい?」
「……そうねえ。名前は斉藤祐介って言ってすごい真面目な人だったわ。結婚して15年くらいは経っていたかしら。息子が2人いてね。上の子は史華ちゃんと同い年だったかな。下の子は中三でね。2人ともやんちゃで。よく外に遊びに行っては服を泥だらけにして帰って来てたわ」
裕子さんは懐かしそうに話して聞かせてくれた。私は唐菓子で餡ドーナッツみたいなのを選んで口に運んだ。
「私は。お父さんとお母さんと3人で暮らしていて。友達の桃香ちゃんと沙由里ちゃんと一緒によく遊びに行ったりしてたわ。お父さんは商業会社の課長で。いつも忙しそうにしてたなあ」
「ふふ。桃香ちゃんはけっこう可愛い子だったのよね。明るくて。あたし、娘も欲しかったわ」
裕子さんは笑いながら私の頭を撫でた。
「史華ちゃん。あたし、宮中にもしかしたら旦那がいるかもって思ったのよ。だから無理言ってあなたの付き添いになったの」
「そうだったんだ。裕子さん、本当に旦那さんのこと好きなんだね」
「好きというか。すごく愛していたわ。今も向こうさえ良いと言ってくれたら。生涯添い遂げるくらいには好きで居続ける自信があるわね」
裕子さんはにっこりと笑いながら言った。その笑顔がすごく大人っぽくてどきりとした。
「……裕子さん。私も生涯添い遂げるくらい、好きになれる人現れるかな」
「……もういるじゃない。史華ちゃんには」
「春仁様の事?」
「ええ。東宮様は史華ちゃんの事を好きでおられるじゃないの。生涯添い遂げようとは思えない?」
「……嫌いではないよ。けどまだわからない」
そう言うと裕子さんは苦笑した。私をそっと抱きしめてくる。ほのかな荷葉の薫衣香が鼻腔に届く。
「焦らなくてもいいけど。でも善は急げというから。明日、東宮様にさっき言っていた事を正直に伝えてみなさい。きっと聞いてくださるはずよ」
「うん。裕子さんのアドバイスは聞いておくよ。明日、春仁様に伝えてみる」
「その意気よ」
裕子さん--香屋子姉さんは優しく背中を撫でてくれた。何だか、お母さんに抱きしめてもらっているようで鼻の奥がツンとなったのだった。
その後、唐菓子をほとんど食べてしまった私達は一緒に寝た。同じ布団だと狭いので隣同士でだけど。香屋子姉さんはくすくすと笑いながら子供の頃のようだと言う。私もそうだねと頷いた。
「……姉さん。今日は色々とありがとう。だいぶ、すっきりしたよ」
「それは良かった。風香は色々と溜め込んでいそうだから。時々はあたしを呼んでくれたらいいわ。それで2人でお話しましょう」
「うん。本当に姉さんの言う通りだね。おやすみ」
「おやすみ。風香」
「……明日もよろしくね」
そう言うと姉さんは返事の代わりに私の頭を撫でてくれた。その手の柔らかさと温もりにうとうとし始めた。香屋子姉さんが前世の旦那さんと再会できますように。そう願いながら眠りに落ちたのだった--。
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