風の音 水の調べ

入江 涼子

第1話

  時は平安の世である。


  私は左大臣家に生まれた姫であった。周囲からは二の姫とか呼ばれていたが。本来の名は風香といった。

  また、世間では風音(かざね)の姫君とも呼ばれていた。私は楽に関しては才能があまりないが。ただ、歌う事だけは才能があった。漢詩やお歌に節をつけて歌うのが好きだった。それと私には何故か前世の記憶があるのだ。その記憶には高層ビルとかアスファルトで固められた道路、電線に電柱が浮かぶ。道路を歩く人々は私達が着ているような着物ではなくティーシャツにズボン、ブラウスやスカート、靴も革靴だったりスニーカーなどであった。いわゆる洋服で家も狭くて壁はベニヤ板だったとかを今でも覚えている。


  私は平安時代よりも千年以上も後の平成の時代に生きていた。なのに何でこんな昔に転生したのか。小さな頃は不思議でたまらなかった。

  現在で17歳になっていたが。今ではあまり考えないようにしていた。さて、歌のことだが。私は平成の時代でとある女性歌手の大ファンだった。それに洋楽にも関心があっていろんな曲を聴いていた。そういう曲を思い出しては口ずさんでいた。

  中には友人と作詞作曲をした曲もちらほらとある。曲名は「凛とした君」といったりしたか。


「……君のことは忘れない~。ただ、今は迷うだけで~」


  それをちょっとだけ歌うとすぐに我に返る。周りに人がいないかチェックした。誰もいない。

  ホッと息をつく。けど油断はできない。私はその後は歌ったりせずにただ静かに過ごしていた。



「……風香。ちょっと良いか?」


  部屋に入りざま、声をかけてきたのは左大臣こと父親だ。左大臣は背が高くてすらりとした体躯の男性だった。


「はい。何でしょうか?」


「ちょっと困った事になってな。そなたの結婚が決まった」


「……えっ。それは本当なんですか?!」


  私は手に持っていた扇を落とした。がしゃんと音が辺りに響く。


「ああ。実は結婚相手は今東宮様でな。そなたが歌う歌が珍しいと聞きつけられたんだ。それが聴きたいから入内を思し召しになったとか。なので風香。今からそなたは妃がねだ。腹は括っておくんだぞ」


「……わかりました」


  私は頷くしかなかった。その後、話を聞きつけた母や他の女性陣もとい、女房達はてんやわんやの騒ぎで支度を始め出した。

  やれ、姫様の袿がダサいだのこれでは他のお妃方になめられるだのはっきり言ってうるさい。うんざりしながらも入内の支度を手伝うのだった。



  入内が決まってからあっという間に一カ月が経った。母や父は私の支度に大忙しで他の兄弟達は二の次だ。今日は私もさすがに女房達から逃げてきた。避難先は三歳上の姉の対屋だ。姉は名を香屋子(かやこ)と言って学問がよくできて歌などの風流ごとも得意、書く字も流麗という才女だった。しかもとびっきりの美人でスタイル良し、性格も明るくおおらかとなれば、婿候補も引く手数多だ。が、香屋子姉さんは私の結婚が決まるまではとてもじゃないが結婚はできないと言う。なので二十歳になった現在も独身を貫いていた。


「……風香。あなたもさすがに嫌気がさしたみたいね」


  姉さんは優雅に扇で顔を隠しながら言った。私も頷いた。


「そうなんですよ。あまりにお父様やお母様が騒ぎ立てるから嫌になって。逃げてきました」


  三歳上の姉さんは家族の中で唯一私が前世の記憶を持っているのを知っている。それもそのはずで姉さんも同じ転生者だ。姉さんは平成から令和の時代になって一カ月後にこの世を去ったと言っていたが。それでも同じ21世紀に生きていた同志だ。大事にしなきゃと思う。


「……姉さん。いえ。裕子さんは何で結婚をしないの?」


「いきなりね。そうねえ、あたしの好みの男性がいないというのが理由かしら。けどここは平安時代でしょ。皆、背が小柄なのよ。だからね」


「はあ。確かにそうだけど」


  まあ、仕方ないかと思った。香屋子姉さんこと裕子さん(前世の名前ね)はこちらの女性にしては背が高い。たぶん、立ったら159センチはあるだろうか。平安時代で160近くある女性は少ないだろう。平均身長がいいところ、150センチだろうから。そんな事を考えていたら裕子さんは扇を閉じた。


「風香。ううん。史華ちゃん。あたしの事よりも今はあんた自身のことでしょ。もう戻りなさい」


「はあい。じゃあ、また来るね。姉さん」


「もし宮中が嫌になったらあたしの所にいらっしゃいな。その時はお父様に嘘をついてでも匿ってあげるから」


  姉さんはにっこりと笑う。私は機会があったらねと言ってこの場を後にしたのだった。

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