第3話 洋館

「……何だこれは?」


 それは巨大な洋館だった。

 表面は赤黒い煉瓦レンガ造りで、全体を黒っぽい植物のつたでびっしりと覆われている。屋根から突き出た曲がりくねった煙突からは、灰色の煙がもくもくと上がっていた。


 もしもこれが石畳いしだたみで整備された城下町にあるのならば自然なのだろう。だが、薄暗い不気味な森の中では、それはただただ奇妙な異物でしかなかった。


「なァ、煙突から煙が出とるで。どうやら中に人がおるみたいや。今日はここに泊めて貰おうや」


 マジカが弾んだ声で言う。


「マジカ、それ以上その建物に近寄るな」


 不用意に洋館に近づこうとするマジカを、ユウキが静かに引き止める。


「……何でや? 久々に屋根の下で休めるかもしれへんっちゅうのに」


「いいや。十中八九、あの建物は敵の罠だよ。そうでなければボクたちにとって、あまりにも都合が良過ぎる」


 ユウキが左手でメガネを押さえながら、冷静にそう分析する。


「わたしも同感ですね。触らぬ神にたたりなし。得体が知れないものには極力関わらないに超したことはありません」


 ナマグサもユウキと同意見らしい。視線を洋館に向けたまま、僅かに後退あとずさる。


「……せ、せやけど、中に誰かおるっちゅうことは、罠に掛かった人が捕まっとるいうことかもしれへんやないか。やっぱり中の様子を確認した方がええんとちゃうかな?」


 マジカはまだ洋館に未練があるようで、何とかして中に入る口実を探している様子だ。


「ならばオレが調べに行こう」


 オレがそう言って一歩前に進み出ると、ユウキとマジカが驚いたように顔を見合わせた。


「……ケン、一体どういう風の吹き回しだ? お前が自分から危険な役を申し出るなんて」


「死に過ぎて頭変になってしもたんか?」


「失礼な奴らだな。……なに、オレもマジカ同様、フカフカのベッドが恋しくなっただけだよ。もしもこの館がセーフハウスとして暫くの間使えるなら、捨て置いておくのは惜しいだろう?」


 オレが館の中で休みたいことは事実その通りだった。

 そろそろ全員の心と体に蓄積された疲れがピークに達しつつある頃合だ。ここで一息つければ、この後の冒険が随分楽になることだろう。


 ただ問題なのは、館の住人がオレたちにとって敵なのか味方なのかわからないということだ。もしも中にいるのがオレたちの敵ならば、戦闘は避けられない。


「異変があればすぐに伝える。お前たち三人は外で待機していてくれ」


 オレはそう言って、館の方へゆっくりと歩を進める。


「いや待て、それは駄目だ。今ここで戦力を分散させるのは得策ではない。館へは全員で行く。それならたとえ館が罠であっても、敵を倒せる確率は単独で乗り込むより格段に上がるだろう」


「……だが、それじゃあリスクが高過ぎる。それにユウキ、お前は館に入ることに反対なんじゃなかったのか?」


「ボクとしては勿論反対だが、現にこうして意見が真っ二つに分かれてしまった以上、パーティーとしてどちらか一方を選択しなければならない。そして今最も避けるべきは、ボクたちがこの森の中でバラバラに行動することだ。それに比べれば敵の用意した罠に掛かるリスクなど、どうということはないさ」


 ユウキがそう言ってオレの肩にそっと手を触れる。すると一瞬、全身が鉛のように重くなったような奇妙な感覚がある。


 ――ユウキがオレに『強化』の魔法をかけたのだ。


「そうと決まれば今すぐ行くぞ。ナマグサもそれでいいな?」


「……構いませんけど、わたしは絶対に戦いませんからね」


 ナマグサが下唇を突き出して、いじけたように呟いた。


 玄関の扉は高さ三メートル以上ある、黒い巨大な鉄の塊であった。フクロウの装飾が施されたドアノッカーを鳴らしてみるも、反応はない。


「……よし。それじゃあ開けるぞ」


 オレは汗で濡れた手で恐る恐る丸いドアノブを握る。すると扉はあっさりと開き、オレを先頭にして、ユウキ、マジカ、ナマグサの順に中へ入った。


 玄関ホールは天井から吊されたシャンデリアで煌々こうこうと照らされていた。

 床は血のように赤いカーペーットで敷き詰められ、玄関から向かって正面には真っ白な天使の像が飾られている。まるで貴族が住む豪邸だ。


「あッ、待て!! 扉を閉めるなッ!!」


 すぐ傍から鋭い声が飛んできたときには、玄関の扉は既に重々しい音を立てて閉まった後だった。


「……ちッ、遅かったか」


 そう呟いたのは、黒いフードを被った銀髪の若い女だ。褐色の肌をしていて、露わになった太股は筋肉で引き締まっている。恐らく、かなりの手練れだろう。


 黒フードの女の言葉が気になったオレは、扉を開けようと試みる。しかし、幾ら力を込めてみても扉は少しも動きそうにない。


「無駄だ。その扉は内側からは絶対に開かない。そういう強力な魔法がかけられているからな」


「……ほゥ、面白い。お前ら、少しオレから離れていろ」


「おいケン、何をする気だ?」


 オレは鞘から剣を抜くと、扉に向かってノータイムで斬りかかる。ユウキの魔法で攻撃力が『強化』されている今のオレなら、鉄の扉を切り裂くことくらい朝飯前だ。



「……あー、それはあまりお薦めしないな」



 それが起きたのは、黒フードの女が言い終わるのとほぼ同時だった。


 ――斬りかかった筈のオレの胴体が、何故かよろいごと袈裟けさに切られていた。


「……がッ、馬鹿なッ!?」


 鋭い痛みと共に、傷口から勢いよく鮮血が噴き出す。


「ケンッ!?」


「この館の壁や床は決して破壊できない。もしも物理攻撃や魔法で破壊しようとすると、その攻撃は100%の威力で自分に跳ね返ってくるよう魔法でプロテクトされている」


「……それ、もう少し……早く言えよ……な」


 オレは薄れゆく意識の中で女にそれだけ言うと、記念すべき通算百回目の死を迎えた。

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