第38話「何を思われても構わない」

***


番の木は里の入り口付近に立つ。


里は忍びの秘術がかけられており、そう簡単に外の者には見つからない。


葉名は積雪の草原を越えたあと、番の報告でにぎわう里をトボトボと歩いた。


雪のせいなのか、視界がかすむ。


家までの道はこんなにも遠かっただろうか。


「はーなっ!」


突如後ろから肩を組まれ、ビクッと反応してしまう。


振り返ると依久がはりついたニコニコ顔で葉名を覗き込んできた。


いたずらっ子のような姿を見ると、鼻を甘い香りが刺激する。


この人が夫となる、と嫌でも実感させられ直視できなかった。


「蒼依じゃなくて残念だったね?」


「……私は、別に」


嫌味な言い方だと、唇をとがらせると依久はケラケラと笑いだす。


葉名の肩をポンポンと叩きながらこの状況を楽しんでいるようだ。


「家柄的にはハズレだけど、これはこれでありだなぁと思うよ」


「な、んで……」


「蒼依はずっと大切に育てられててさぁ。オレは比べられてきたわけよ」


誰にも見せなかった依久の闇を垣間見たような気がした。


里は長子を重んじ、男尊女卑の傾向が強い。


蒼依の影となり、育ってきた依久が多少ひねくれてしまうのも無理はなかった。


「ま、気楽でいいんだけど。ただつまらねぇ人生だなって思ってよ」


こうして笑っていられるのは強さなのか、諦めなのか。


灰色の瞳からは何も読めなかった。


「だから意外な結果が出て面白いと思ってるよ。見た? 蒼依のあの情けない顔。コイツもこんな顔するんだって思ったらおかしくておかしくて」


「バカにしないでください。これは番の木が示した答えです。蒼依くんは正しい相手と結ばれた。……それだけです」


蒼依を侮辱されるのだけは許せないと依久の言葉に斬りかかる。


だが最後まで自信のなさからくる悲しみに、言葉尻はあいまいだ。


本音と建前の揺れが生じ、気持ちに目を背けるのは辛い。


恐れを力に変えることも出来ず、連理の枝が示す結果が葉名を縛り付けていた。


「だからこれも正解というわけだ」


わざとらしく葉名の髪を一房手に取り、匂いを嗅ぐ。


「まったく女としてあんたに興味はなかったが、さすがにこうも良い香りがすると気になるものだ」


にやりと笑い、葉名の髪を指で梳く。


何が面白くて笑っていられるのかと葉名は依久の手をふりはらった。


「あなた、性格悪いって言われませんか?」


「よく言われるなぁ。蒼依がいい子ヅラしすぎなんだよ」


「……そうですね」


蒼依は品行方正で真面目だ。

里の期待も高く、葉名には遠いばかりの人だ。


あまりに背負いすぎたその姿に寄り添いたいと思うことさえ、おこがましいと自己否定に繋がった。


――蒼依の枷になりたくなかったのだから、これでよかった。


(この匂いに身を委ねればいい。依久くんの匂いは……ただ甘いだけだから)


高嶺の花より身近な花、枝はそう告げている。


葉名に蒼依を幸せには出来ない。


それが運命であり、天から告げられた意志だ。


ここで泣くのは卑怯だとわかってても、さめざめと泣くしかないのが腹立たしい。


「お前……」


(あぁ、どうしよう。委ねてしまえば楽なのに……)


本能と理性の矛盾に心が追い付かない。


これでは依久が困るだけだと涙を拭おうとして、その手を掴まれる。


「んっ……!」


気づいた時には葉名と依久の唇は重なっていた。


何も考える余裕もなく依久の肩を突き飛ばすと、後ろからの引力に足元のバランスが崩れた。


「葉名に触れるなっ!」


唇が離れたと認識した頃には事が大きく変動していた。


青色の波が押し寄せ、依久を葉名から引き離そうと力強く睨みつける。


「蒼依く……!」


手を掴まれ、葉名の足は勝手に走り出していた。


耳まで真っ赤になった後ろ姿から目をそらせない。


この色を知っている。


葉名の耳もまた、同じ色をしているだろうから。


溢れ出す涙が後ろへと流れていった。


ざわめきたつ里の声など、耳にも入らない。


世界でただ二人、走るときの短い息づかいだけが耳に届いていた。


***


里の奥にある森を駆け、小さな滝が岩を叩きつける音が響く。


その裏側にある空洞に葉名は問答無用で引っ張られ、暗闇に浮かび上がる輪郭に唇が濡れる。


少しずつ息が長くなっていき、心臓の音がやたらと耳にはりついた。


(力が強い。振りほどけない)


「こんな山へと入って何を。里の者が不審に思いま……」


こんな時でさえ周りの顔色をうかがい保身に走る。


葉名の評判がさらに落ちるのはどうでもいいが、蒼依には大打撃となるだろう。


冷静になろうと言い訳がましくしていると、蒼依が切羽詰まった様子で葉名の両肩を掴み岩壁に押し付ける。


「何を思われても構うものか! 真面目なふりをするのはもうやめだ!」


「んっ!? んぅ……!」


水音が鼓膜を震わせる。


青い瞳はまつ毛に伏せられて目にすることは叶わない。


森林の澄んだ香りと水分の多いしっとりとした空気が肌に触れた。

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