第35話「これは隠れ身の術です!」
***
里の隅にあるかやぶき屋根の小屋。
連理の枝を確認した後、山菜を積んで布袋に入れて帰路につく。
「ただいま戻りました」
「ああん? なんだ、葉名か。飯はまだか?」
古びた板の間に肘をついて寝転ぶ滋彦。
鼻のてっぺんまで赤くし、何度もしゃっくりをしている。
小さなおちょこを手に葉名をジロリとみる。
帰ってきたばかりの葉名に食事はまだかと問うほどに思考は働いていない。
「義父上、こんな時間からお酒を飲んでいてはまた里の者に何を言われるか……」
「うるせぇ! 養ってるのはオレだろうがっ! 文句言ってんじゃねえ!」
「きゃあっ!?」
おちょこが投げられ、葉名の横を通過する。
壁にぶつかるとおちょこは真っ二つに割れていた。
こうして滋彦が苛立ちを葉名にぶつけるのはよくあること。
着物で隠れてはいるものの、時折葉名の身体にはあざが出来るようになっていた。
「まったく、トロい女だ。くノ一ならばこれくらい避けて当然だ」
こうして何度も葉名は侮辱の言葉を受けている。
幼い頃より言われていたため、刷り込まれたように葉名も自身をそう思っていた。
ビクビクと何も言えず俯くばかりの葉名に滋彦はため息をつく。
小さな声で謝罪し、震えていたところ帯から蒼依にもらった貝殻が落ちる。
「あ……」と声をもらして手を伸ばそうとしたときにはすでに遅かった。
「所詮、良家と繋げるために拾ったようなもの。枝さえ結び付けば……おっ?」
地面に落ちた貝殻を見て滋彦は目を丸くする。
よたよたした足取りでそれを拾い、中を確認するやニヤリと口角をあげた。
「なんだぁ、ずいぶんと高い塗り薬だなぁ。まさか“あの坊ちゃん”にもらったのか?」
“あの坊ちゃん”とは蒼依のことである。
里の長の長子である蒼依を特定する言葉として裏でそう呼んでいた。
ニヤニヤと赤くなりながら滋彦は貝殻をふところにしまってしまう。
「お前もやるなぁ。よくお前に絡んでくるもんなぁ。そちらの才能はあるようだ」
「私は……」
とっさに蒼依を巻き込みたくない、と滋彦に抵抗を示す。
だが威圧感のある滋彦の目つきに葉名は言葉を奥に引っ込めた。
「必ず蒼依をものにしろ。ムカつくが長の息子だ。そうだな、蒼依がダメならば弟でも構わん」
おちょこが割れてしまったため、徳利に入った酒をそのまま喉に通す。
「いいか、必ずだぞ!」
「……はい」
あぁ、とても悲しくて悔しい。
まるで儚い桜が舞い散ってそれを踏みつぶされている気分だ。
蒼依の代わりになる者はいないというのに、軽く扱われると苛立ちさえ募る。
(なのに私は反論が出来ない)
前向きに物事をとらえられない。
蒼依を好きという気持ちにさえ、後ろめたさばかりで言葉は音にならなかった。
***
夜の大樹の下、闇に浮かび上がる白い番の木。
忍びの里は夜が遅く、月が高く昇った時間でも夜目が効くため暗がりに怖がることはない。
誰もいない番の木まで歩き、夜空に枝を伸ばす木を見上げた。
葉名の白い枝は誰にも絡んでおらず、着物をかき寄せて身震いする。
光る幹に手を伸ばすと、じわりと胸が締め付けられて涙が浮かんでしまう。
16の年になるとき、この枝は誰に伸びるのか。
そんなどうしようもない不安がいつまでもつきまとう。
皆がその結果を受け入れ、喜びに抱きしめ合ったりと幸せが満ちる日だ。
たいていは想い人と結びつく。
決定的な悲恋というものは表立って見えることはなかった。
(ありえないことです)
葉名の想い人は蒼依だが、あまりに遠い存在にしか思えないため、16の年に枝が示す結果ことが怖くてたまらない。
現実を直視する日は嫌でも訪れる。
葉名の忍ぶ恋に答えが出るくらいなら、いつまでもおぼこい娘でありたかった。
「葉名?」
「えっ? 蒼依くん……?」
振り返ると蒼依がおり、夜目で蒼依の瞳の色をとらえてしまい目元が熱くなる。
暗闇に慣れた忍びの目を持つのは蒼依も同じことで、目を見開いて急ぎ足で葉名の肩をつかむ。
「泣いてるのか!? また殴られたりしたのか!?」
「な、泣いてません!」
慌てて着物の袖で涙を拭い、葉名は木の裏に駆けていく。
たどたどしい手つきで姿隠しの布を取り出し、身体を幹に隠した。
あまりに不器用な姿に蒼依は苦笑いをする。
「それ、隠れてるつもり?」
「これは隠れ身の術の練習です! こう見えて私はくノ一ですから!」
返事をしている時点で隠れる気がない、と蒼依は思うのだったが焦る様子の葉名に向けるイタズラ心に火がつく。
「ふーん、隠れてるんだ。そっかぁ」
普段は真面目で品行方正な蒼依であったが、必死になって隠そうとする葉名には比較的ゆるさを見せる。
クスクスと笑って幹に手をつき、葉名の両サイドを塞いだ。
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