第3話「文句も言えないファーストキス」
(これは姫の気配! 主様不在の今、私めがしかとお守りいたします!)
「とりあえず壁に隠れて見守りに徹するのだ」
察したのは柚姫の気配であった。
桐哉不在時、葉緩は柚姫の守りに徹する。
ただし余計な介入はしないと決めており、壁となって見守ることが大半であった。
(忍法・隠れ身の術!)
慣れた手つきで壁にくっつき、得意の忍術で姿を隠す。
そこに柚姫が現れ、教室の中へと入ってくる。
小さくため息をつきながら、落ち込んだ様子で帰宅の準備をしていた。
(姫、元気ない)
「こんなこと思うの、嫌になるな。 せっかく出来た友達に嫉妬しちゃうなんて、ほんとにやだ……」
ぐすっと鼻をすすり、涙を流す柚姫。
壁に隠れた葉緩は目を見開き、ひどく動揺した。
(な、何故泣いて!? 誰が泣かせたのですか!? 姫を傷つけるとはなんたる無礼を!)
腹を立てながらも壁から離れることの出来ず、悔しさに目をそらす。
魂の主である桐哉の幸せを願い、悟られることのないよう一定の距離を保つ。
それは必然と柚姫に対しても同じことだ。
ただ平穏に結ばれてくれればいい。
葉緩は余計なことをせず、隠密に行動する。それが忍びだ。
キュッと締め付けられる胸に耳を塞ぎ、シクシク泣き出す柚姫を眺めた。
「……望月くん?」
スッと壁になった葉緩の横を通り過ぎ、葵斗が柚姫のもとへと向かう。
気配もなく現れた葵斗に葉緩は青ざめる。
忍の葉緩に気配が探れないのは大いに違和感のあること。
気だるそうなわりに隙がないと睨んでいると、葵斗は高身長からじっと柚姫を見下ろす。
「徳山さん、泣いてるの?」
葵斗の問いかけに柚姫は涙を拭い、笑って誤魔化す。
「やだ、見られてた? 恥ずかしいなぁ、忘れて」
「桐哉のことで悩んでるの?」
「……わかるの?」
「うん。見てればわかる」
「そっか」
トントンと進む二人が理解し合う会話に葉緩はついていけない。
決定打となる単語がほとんど入っていないからだ。
(どういうこと? 見てるって、まさか望月くんって姫に好意を抱いてるの!?)
パニックになり、思わず暴れそうになる。
(ダメダメダメー! 柚姫は主様の嫁! なんとか阻止せねば! ああ! でも今は壁だから邪魔出来ない!)
人のことを初心だと愛でるわりに、葉緩は葉緩で鈍い。
すっかり勘違いをしたまま会話を拾っていく。
「望月くんは何も思わないの?」
「んー、思う事はあるけど大丈夫。ちゃんと証拠はつけてるから変な虫はこないよ」
「えー、それは知らなかったなぁ。 ちゃんと見てみよっと」
(な、な、望月くんはすでに姫に手を出してると!? そんなことは認めない! 姫には主様がっ――)
そこで一気に冷める。
葉緩は自分の気持ちがよくわからなくなっていた。
桐哉は魂の主、柚姫はその伴侶となるべき人。だが葉緩の友人でもあった。
(これは”ワガママ”だ。 姫の気持ちを考慮してない。 ……でも私はずっと主様の幸せを願ってて)
「ありがとう、望月くん。少し元気出た。これからも仲良くしてくれたら嬉しい!」
「うん、いいよ」
にこっと緩く微笑む葵斗に、柚姫は調子を取り戻しキラキラとした眩しい笑みを浮かべる。
「それじゃ、あたし帰るね。ちゃんとリセットして頑張らないと。望月くんもあんまり寝てばっかりだとダメだからねー」
もう涙はない。
凛として顔をあげると、カバンを手に教室から出ていく。
それを見送ることも出来ず、葉緩は壁に隠れてうつむくしかなかった。
(……姫、帰ってしまわれた)
葵斗が教室に残っているため、壁から離れることが出来ない。
話してスッキリしたのだろうか?
そんなもやもやが付きまとう。
(出来れば姫には主様を好きになってほしいんだけどなぁ)
ガタっと椅子が動き、葉緩は息をひそめて顔をあげる。
障害物となる椅子をずらし、まっすぐに歩き出す葵斗を壁に隠れながら観察する。
葵斗が教室から出ていったら壁から離れて帰ろう、そう思い声を引っ込めた。
(あれ、なんか近いぞ? んん……?)
扉に向かっている……はずだったのに気づけば葵斗が目の前に立っている。
特殊な布を使い、壁と一体化して見える状態の葉緩は首を傾げるばかりだ。
そんな隙だらけの葉緩に、思わぬ出来事が訪れた。
(ん? んん? なんぞや、これ。なにか、感触が……? 壁布になにか押し当たって……)
その感触が離れたあとも、葉緩は言葉を発することが出来ない。
葵斗の瞳に映るのは“壁”だ。
(……おかしいですよね? 私はなにをされたのでしょうか)
「やっぱ、いいな」
クスッとやわらかく微笑む葵斗。
マシュマロのようにふわふわした姿に葉緩は無表情で硬直した。
「絶対に振り向いてもらうから」
再び布越しに不思議な感触が重なる。
無表情を貫いているが葉緩の思考がグルグルとまわっていた。
(心臓がおかしいです。だめ、動揺は気配隠しに影響が!)
しばらくして満足したのか、葵斗が離れるとあっさりと教室から出ていった。
葉緩は腰を抜かし、布を手放して壁伝いに床に座り込む。
「なんだったの? 壁にキスとか……いつも眠そうだけど寝ぼけすぎては?」
(そもそも彼はボディタッチが多すぎです。いくらなんでも壁にキスをするのはどうかと思います)
観点がずれている認識はアホの子・葉緩にはない。
隠れていることはばれていないと、それが葉緩にとって重視することだ。
結局のところ、葵斗の奇行でしかなく、壁にキスをする物好きとして葉緩は認識した。
「よくあるぬいぐるみにチューする感覚? でも壁だよ?」
考え込みながら唇に触れてみる。
長いまつ毛を伏せたキレイな葵斗の顔を思い出し、葉緩は赤く茹で上がった。
いつもの謎めいたボディタッチとは違い、唇を重ねることには意味を感じた。
「……私のファーストキス。 いや、壁越しだからノーカン……」
桐哉と柚姫のキスならばどれだけ興奮したことだろう。
よくわからないまま重ねてしまった唇に、葉緩の思考はショートした。
「……帰ろう。 今の状況、無為無策なり」
結局、現実逃避。
無心になろうと葉緩は素早い動きで帰路についた。
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