壁にキスはしないでください!~偽りの番は甘い香り、ほんろうされて今日もキスをする~

星名 泉花

第1話「四ツ井 葉緩、主様の幸せを願うくノ一です!」

世界は主様と姫に色づいて、お守りすることが幸せなこと。

もう少し肩の力を抜いて、楽しく生きたいと願われここにいる。

そのはずだが、正座をしてピンと背筋を伸ばすこの状況。


「四ツ井家の家訓。【堅忍不抜】」


四ツ井家で毎朝が行われる会議、それを取り仕切るは当主・宗芭(そうは)。

長い黒髪を一つにくくり、顎にひげを生やした濃い顔をしている。

眉間に刻まれた皺が当主としての苦労を物語っていた。


「がまん強く志を変えない。そうして我らは主に長らく仕えてきた」


話を聞くのは16歳の少女・葉緩(はゆる)とその弟の絢葉(あやは)。

絢葉はまだ幼く、数えて9つの歳だ。

きりっとした目をして笑みを浮かべたまま、しっかりと宗芭に向き合っている。

だが葉緩は違った。

いつもはゆるゆるの口角を、この時ばかりはニッと引き締めて父の話を聞いている。

くりくりとした丸っこい目は藤の色。

艶々の長い黒髪をおろし、片側だけちょこんと結んで完成した幼い顔立ちの女の子だ。


家族構成はいたって普通。だがこの四ツ井家、普通の家庭ではなかった。


「良いか? 忍びの末裔として主をお守りし、忠誠を尽くせ。そして大切なのはわかっているな? 葉緩よ」


「はいっ! その一、主となる方に忍びの存在を知られてはならない! その二、主様の子孫繁栄のために全力を尽くすことであります!」


「……ヨダレが垂れているぞ」


四ツ井家、それは小さな島国にひっそりと存続する忍びの家系だった。

葉緩はその家系でくノ一として育った風変わりな女の子である。


「はっ!? 申し訳ございません、父上!」


慌ててよだれを拭い、口角を指で引き下げる。

誤魔化しきれないニヤニヤ顔を、宗芭の厳しい目が射抜く。

ダラダラと背中に汗を流すなかで、葉緩に出来ることは口角を結んで堂々と見せかけること。

心臓がバクバク鳴り、時計の針の音がやけに耳にさわった。


「(葉緩)」


葉緩にしか聞こえない声。

開いたままの障子扉へ目を向けると、庭からスルスルと一匹の白い蛇が滑り込んでくる。

それを見て葉緩は口を大きく開き、シュッと立ち上がった。


「それでは学校の時間になりましたのでいざ!!」


もくもくと白い煙幕が葉緩を包んだかのように見えたが、一瞬にして晴れる。

くノ一の装束をまとっていた姿が一転、ピンクのリボンが愛らしいブレザー制服に変わっていた。



「本日もまっとうにお役目をしてまいります!」


明るいはきはきした口調で言い放ち、風のようにその場を飛び出していく。

残された宗芭はため息をつき、頭を抱えていた。


「心配だ。アイツは能天気というかなんというか……忍らしくない性格をしている」

「……」

「絢葉、お前はもう少し喋ってもいいんだぞ?」

「影の役に徹するのもまた忍かと」


葉緩と違い、どこかひねくれた絢葉の姿に宗芭はますます息を深くつく。

悩みの種は尽きなかった。



***


「きょ~うも主様にお会い出来るぅ!」


能天気娘・葉緩は鼻歌を歌いながら軽快な足取りで学校へ向かう。

教室の引き戸を開くと、第一に葉緩の視界に飛び込むのは徳山 柚姫(とくやま ゆずき)だ。

茶色い毛先のふわふわしたロングヘアの愛らしい姿に葉緩は破顔する。


「葉緩ちゃん、おはよ~」

「姫! おはようございます!」

「はは……うん」


ハイテンションに柚姫のことを“姫”と呼ぶ葉緩。

それに対し、柚姫は苦笑いをして葉緩の袖を掴み、一言かける。


「ねぇ、葉緩ちゃん。そろそろ“ゆずき”って呼んでほしいなぁ」

「なんて恐れ多いことを! 姫をそのように直接お呼びするなど! それと私のことも葉緩と呼び捨ててくださって結構ですので!」

「あはは、善処します……」


今日の柚姫も愛らしい。

世界で一番高貴な姫君だと葉緩はにんまり顔をしていた。


「徳山さん、おはよう」

「き、桐哉くん。おはよう」


そこに現れるは赤混じりの茶髪、爽やかな顔をした美男子・松前 桐哉(まつまえ きりや)。

桐哉が声をかけると柚姫は小鳥のような可愛い声で返事をする。

頬を薄紅色に染める姿はまさに恋する乙女。

この瞬間が葉緩にとって、至高の時である。


「葉緩も、おはよう」

「お、おは、おはようございます! それでは授業が始まりますので失礼します!」


桐哉に挨拶されると葉緩は声を裏返らせ、途端に壊れたロボットのような動きとなる。

目をグルグルと回して大きく宣言すると、風となって飛び出していく。

その背を桐哉と柚姫があぜんと見送るのも定番と言ってよい。


「一限目って数学だよね?」


つまり教室での授業のため、葉緩が外に飛び出す必要はない。


「また授業サボるのかなぁ? よく進級出来たよね……」

「これは追いかけないとな」

「……そうだね、追いかけよっか」



一方、教室を飛び出した葉緩は白い壁に張り付いて胸をなでおろす。


「あー、危なかった! またこうべを垂れてしまうところでした!」


四ツ井家の者にはそれぞれ魂の主がいる。

出会った瞬間にわかるものらしく、葉緩にも主がいた。

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