第2話





「お前が好きだ。俺と付き合ってくれ」


 翌日、机の中に入っていた「ロージス・コリッド」からの手紙で昼休みに中庭に呼び出された。

 早速動き出すとは、その勤勉さを別の方向に使えないものかと呆れつつ中庭にやってきたハリィメルに、ロージスはやや硬い表情でそう言った。

 顔に浮かんでいるのは緊張ではなく、「不本意」という感情だ。嫌ならやるな。


 ハリィメルはこっそり溜め息を吐いた後で、精一杯の作り笑いを浮かべた。


「わかりました」


 ハリィメルの返事に、ロージスはちょっと勝ち誇ったような顔になる。どうせ、ダイアンとティオーナもどこかで様子をうかがいながら腹を抱えているのだろう。


 ハリィメルはロージスがなにか言い出す前にさっさと事前に準備していたものを取り出した。


「ですが、私とコリッド公爵令息では身分が違います。そこで、周りの人達にはこの交際は秘密にしましょう」

「え? あ、ああ」


 自分が言おうとしていたことを先に言われ、ロージスは目を丸くした。

 その目の前に、さっと一枚の紙を差し出す。


「では、こちらの書類にサインをお願いします」

「は?」


 ハリィメルから紙を受け取ったロージスはきょとんとした後で眉をひそめた。


「おい、これはなんだ?」

「見てのとおり。『甲と乙はこの交際を両者以外には秘密とする。甲、もしくは乙が第三者に交際の事実を暴露した場合、契約は即座に破棄され、交際関係の更新は継続されないものとする。』という誓約書です。私のサインは済んでおりますので」

「なんだその誓約書は!?」

「昨今は、下位貴族の間でも交際などの際に細かい約束事を書面にして契約するのが正式なやり方になっておりまして」


 要は、婚約や結婚の際に交わす契約と同じようなものだとうそぶくハリィメルに、ロージスは目を白黒させる。


「いや、なんでこんなものを持ち歩いているんだ!?」

「いざという時の備えです」


 適当すぎるハリィメルの言いぐさに思うところはあったようだが、周囲に交際を秘密にするというのはロージスの方こそ望むところだったので、不審に思いつつもハリィメルの差し出すペンを取ってサインした。


「これでいいか?」

「はい。しかし、身分違いの私達が親しく会話などしていては周囲に交際がばれてしまうかもしれません。なので、こちらの書類にもサインをお願いいたします」


 ハリィメルは淡々と二枚目の書類を差し出した。


「『甲と乙は互いに適切な距離を保ち、第三者の存在する場では会話をしないものとする。甲、もしくは乙が相手に話しかけた場合に、甲、もしくは乙が沈黙でもって応えても道義上の責任は追及しないものとする。』って、なんだこれは!?」

「要約すると、他人のいる場所で話しかけられた際に無視をしても許されるということです。ですから、たくさんの人がいる場所で私がコリッド公爵令息に馴れ馴れしく話しかけたとしても、コリッド公爵令息はそれに応える義務はないし、無視されたと私が訴えることもできないということです。もしも私が間違えて恋人面なんかしてしまっても、人前であれば無視してかまわないんですよ。いい条件でしょう?」

「そ……う、なのか? いや、なんか違う気が……」


 さすがに狼狽えるロージスだが、ハリィメルは強気でサインを迫った。


「よいではありませんか。この条件でコリッド公爵令息が困ることなど一切ないはずです! 一枚目も二枚目も、この交際を秘密にするという約束を守るためのものですもの。どちらかと言えば私がうっかり恋人面をするのを戒めるための誓約書ですので、どうかサインをお願いします!」

「う、うーん? しかし」

「交際を秘密にすることに賛同いただけないのであれば仕方がありませんが……」

「い、いや。秘密にすることはいいんだが、誓約書って……」

「賛同いただけるのであればサインを!」


 ロージスはかなり戸惑っていたが、何度文面を読み返しても、ハリィメルの言うとおり『交際を秘密にすること』以外の効力はない。サインをしたところでなんの損もない。

 わざわざこんな誓約書にサインをする必要はないと思うが、しかし、ここで渋っていたらまるで自分が交際を秘密にするのを嫌がっているかのように思われるのではないか。それはロージスのプライドが許さない。


「わかった。サインしよう」

「ありがとうございます! では、こちらは複写です。コリッド公爵令息が所持していてください。私が馴れ馴れしくしてきたらこの誓約書をかざせばいいのです!」

「あ、ああ?」

「では、何卒よろしくお願いいたします!」


 ハリィメルは呆然と立ち尽くすロージスを残してその場から歩み去った。


 取り残されたロージスは、手の中の二枚の書類をどうすればいいのかわからず途方に暮れていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る