小話──馳せる未来

「じゃ、今日のHRは進路についてです」


 夏休みも明けてすぐ。予鈴が終わったあと、先生が告げた言葉。

 何人かの生徒の顔が歪んで、ええ、とうんざりするような声が聞こえる。わからなくはない。自分の将来を考えなくてはいけないのは、少し憂鬱でもある。曖昧な将来像を具体的な形に固めていく道中に、いくつもの問題を認識することもあるだろうから。かくいう俺も、自分の問題と直面するのが怖いひとりなのだ。

 声をスルーした先生が、前の教壇に何冊もの分厚い本を置く。どうも情報誌らしい。


「いろんな大学について書いてある本がここにあるから、この時間は好きに持ってって」


 前からプリントが渡されていく。手元に回ってきたそれを見れば、進学先の希望を書く欄があった。最後まで回ったことを確認したらしい先生が、ひらりと一枚翻して、声を発する。


「最後に。進路が決まったら、今週中に紙に書いて提出してくださーい。別に後から変えてもいいから、今の時点のを書いてな」


 事項は伝え終わった、と言わんばかりに。先生はぱん、と軽く手を叩く。


「はい。じゃ、後は他のクラスの迷惑にならない程度に話し合っていいよー」


 教室内は、にわかに騒がしくなった。どうするの、全然考えてなかった、なんて声が飛び交っている。


 進路。……進学することは決まっているが、どうしたものか。

 頭を悩ませていると、前の席の楓真が振り向いた。苦笑いを浮かべて、


「もう進路とか考えなきゃいけないんだね」


「な。はー……どうしようかな……」


 頬杖をついて、握ったシャーペンを弄ぶ。


「茂部くんはとりあえず進学だもんね?」


 頷く。本当に、それ以上の大したことは決まっていないけれど。

 そういえば──彼の兄、優真さんはどこへ行くのだろう。頭がいいところ、くらいしか聞いていなかった気がする。


「優真さんはどこの大学行くんだっけ」


「兄さん? 兄さんは聡開大学だよ。家出て通うって言ってた」


「……本当に頭いいとこだ」


 聡開大学──都心にある、高偏差値で有名な大学だ。大学にそれほど明るくない俺でも名前を知っているくらいには。この高校から進学した生徒がいるという話は聞いたことがないが、もしかしたら優真さんが第一人者になるかもしれない。

 都心はそれほど遠いわけではないが、ここから通うよりは確かに一人暮らしをした方が便利だろう。


 ……でも。


「……寂しくなるな」


「……っふふ、兄さんに言っておくね? 絶対喜ぶよ」


「ちょっと、恥ずいからやめて」


 陽真くんも同じところを狙っていると言っていたっけ。そうなると、楓真も同じ目標を掲げている可能性は高いだろう。

 楓真も成績が伸びてきているようだし、学部や学科にもよるだろうが今から狙えば十分間に合うはずだ。

 

 ふと気になって、疑問を投げかけた。


「楓真もそこに行くの?」


「俺?」


 返ってきたのは、肯定ではなかった。素っ頓狂な声と、不意をつかれたような表情で。


「俺は…………」


 考えるように上へ視線をやって。うーん、と悩ましげな声があがる。楓真も決まってはいないのだろうか。

 とうとう諦めたように笑ってから、彼は口を開いた。


「……茂部くんは、どこに行くの?」


「え? ええと……」


 正直、人に話せるほど考えが固まっているわけでもない。


「さすがに優真さんと同じとこは無理だけど……都会の大学にしようとは思ってて。今の偏差値より、少し上のとこにしたいな」


「ああ、遊園地でも言ってたもんね。じゃあ、具体的に決めるのはこれからかな」


「うん。……でも、将来やりたいことも決まってないし。今週末までに決められるかわかんないな」


「とりあえずでいいんだから。焦る必要は無いよ──ああ、本持ってくるね」


 戻ってきた彼に、はい、と本を渡される。礼とともに受け取ればずしりと重く、これを全部見るには相当の時間がかかるだろうことがわかった。


「ちなみに、学部とかって優真さん言ってた?」


「医学部らしいよ?」


「……言葉出ないわ」


 優秀にも程がある。文系の自分としては、理系科目ができる彼には頭が上がらない。

 ぺら、と適当にページを捲る。ぎちぎちに詰まった文字の情報量に、頭痛がしてくる。ある程度条件も絞らなければ、探すにしてもキリがないだろう。


「……やっぱもう少し条件つけないと、探すのもしんどいよなあ」


「なら、兄さんと同じで都会の方にしない? ひとり暮らしとか楽しそうだよね」


「ああ──まあ、そうだなぁ。うん、じゃあそっちメインで……」


 言葉を交わし、該当の部分を読みながら、考える。

 楓真とはきっと離れることになるだろう。それが、どうも悲しい。


 もちろん、少しだけドジなところが不安ではある。だけどもう、俺たちは大人になるのだ。いつまでもこうして隣にいたいなんて、幼い子どもの願望だ。わかっている。楓真自身、出会った頃よりも成長しているというべきか、格段にミスが減っているのが目に見えてわかる。それに楓真のような優しさや人望がある人物ならば、俺以外にもサポートしてくれる人はいくらでもいるだろう。

 自分の場所を取られるようで物悲しいが、それが当たり前なのだ。妙な執着を覚えている自分がおかしいだけで。


 ぺら、とまた一枚捲ったページ。あ、と声が漏れた。

 目標にちょうどぴったりな偏差値だ。都心部で、探していた条件に該当する。学部としては法学部や文学部なんかがあるらしい。将来の仕事についてはあまり考えていなかったが──それに繋がるにせよ繋がらないにせよ、どちらも学ぶ対象としては面白そうだ。


 うん、ここが良いだろう。もちろん他にも大学を探すとはいえ、まずは第一候補として。


「……ここにしようかな。偏差値的にも、目標数値だし」



「ああ──うんうん、いいね。じゃあ、俺もそこで!」



「え」


 にっこり破顔した彼が、迷いなく第一希望欄に筆を走らせる。


「ちょ、いいの? 楓真なら、もっと上のとこ行けるんじゃ……」



「いいの。……俺、茂部くんと一緒のとこ通いたいから」



 冗談、とは到底思えないような声色だった。何も言えなくなる。正直──俺も、一緒に通えるのならそれは嬉しい。

 楓真にそう思ってもらえるのも。だけど、無理をさせてはいないだろうか。もし友だちが少ない俺なんかのことを考えて合わせているのならば、余りにも申し訳ない。


「……他に行きたいとこ見つかったら、俺なんかに遠慮しないでそっち行っていいからな」


「んー、遠慮とかじゃないけど……じゃあ、茂部くんも行きたいところ変わったら、教えてね? お願い」


 それにさ。


 楓真が付け足したひとことに、顔を上げる。俺を見つめる彼は、柔和な笑みを浮かべていた。



「都会だったら、兄さんたちともすぐ会えるし。……寂しくならないよ、大丈夫」



 もしかして──寂しいと零したことを、気にしてくれたのだろうか。だとしたら、俺の親友はどれだけ心が優しい男なんだろう。

 なんというか。俺は本当に、友人に恵まれている。心が震えて、優しい温かさが満ちるのを感じた。


「……うん。ありがとう、楓真……」


「何もしてないよ。勉強、頑張ろ。俺も頑張るから!」


「あ、ならさ。今日、図書館行かない?」


「いいね。よーし、やる気出てきた!」


 未来のことなんて、まだ想像がつかない。

 だけど高校を卒業しても。彼ら兄弟との関係性が少しでも長い間続けられるのなら、すごく──幸せだ。大学生になって、一緒にお酒を飲みに行っちゃったりして。時間が合えば会いに行って、この前みたいに遊んだりもできるだろう。


 ぼんやりと思いを馳せる未来は、どれもこれも夢物語で。実現させるには自分の実力はずっとずっと足りないが、小さく意気込む。


 彼ら三人と肩を並べる自分を想像して、口元が緩んだ。

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