【第一部完】異界血風録~若返ったので、異世界でわしより強い奴へ会いに行く~

秋津 モトノブ

序章

「せんせー!さよーならー」「さよならー」「おじいちゃん先生、またねー!」




「おうおう、気を付けて帰るんじゃぞ~」




稽古が終わり、着替えをすませて家路につく子供たち。


さあて、わしも帰るとするかの。




「田宮先生、お疲れさまでした。もうお帰りですか?誰かに送らせましょうか?」




「よいよい、健康のために歩いて帰るわ」




声をかけてきた若い剣道の教師に手を振りながら、玄関を出る。


少し汗ばんだ体に夜風が心地よい。


明日はどこの出稽古も入っとらんし、釣りにでも行くとするか。


この時期なら・・・サヨリじゃな。






わしの名は田宮十兵衛たみや・じゅうべえ




しがない剣術家の端くれじゃ。


自前の道場はあるが、めっきり直弟子も減ったので今はこうして小学校やら中学校やらで剣道の出稽古をしとる。


それほど金に不自由しておるわけではないが、体を動かさんとすぐにボケるような気がしてたまらん。




夜道を歩くことしばし、我が道場に帰り着いた。




『南雲流武術道場』




わしの自宅にして、おそらくは終の棲家よ。




飯を食って風呂に入り、布団に入る。


こうして一人で家におると、いつもいつも考え込んでしまう。




思えばこうして剣術の道に入ってから、もう60年以上になる。


妻も娶らず、ただただひたすらに剣術に打ち込んできた。


・・・まあ、女遊びはそこそこやったが。




家族こそできなんだが、息子や娘のように思える弟子たちができた。


稽古先の子供らなんぞ、まるで孫のようじゃ。




技こそ鍛えられたが、最早若いころのようには体も動かず力も出せず、このまま緩やかに衰えて死んでいくことじゃろう。


悔しいが仕方あるまい・・・それが自然の摂理なんじゃ、それが当たり前のことじゃ。




じゃが時々、それが口惜しゅうてならんようになる。


心がザワついてたまらん夜がある。






――何故わしは、こんな時代に生まれてしもうた!




――何故わしは、戦乱の時代に生まれなんだのじゃ!




人生をかけて身に着けたこの技の数々を、思う存分に振るえぬ時代に何故生まれてしもうた!!






・・・馬鹿馬鹿しい爺の戯言よ。


このままでは、今夜は寝付けそうにもない。




道着に着替え、床の間に飾っている愛刀を掴むと、腰に差して道場の中心に座る。




目を閉じ、湧いて出た仮想敵を抜き打ちで斬る、斬る、斬る。


雑念と妄執と未練をも斬り捨てるように。






『それ』は、そんな時にやってきた。






『嗚呼・・・もったいない事よ。』






突如わしの眼前に出現した気配。




目の前には何もおらぬが、『何か』がおる。


日常では出会ったことのない、あまりに異質であまりに清浄な気配。


まるで、目の前だけが霊山の頂上にでもなったような違和感。




後方に跳び下がり、正眼に構える。




『これは驚いた、場所までわかるのか?』




「おぬしは、なんじゃ。物の怪・・・よりも格上かの。」




稚児か、童女か・・・妙齢の女にも聞こえる、鈴の音が転がるような声が、何もない空間から答える。


・・・わしがボケたわけでも、なさそうじゃの。






『格上も格上よ。我は神なるぞ、田宮十兵衛』






・・・ボケた方が幸せかもしれんの、わし。




「浄土へのお迎えかの・・・?」




『ああ、違う違う。我は別口ぞ。このままだとお前、あと30年は軽く生きるしのう』




「・・・ならば、こんな老いぼれに何の用じゃ」




瞬間、気配がわしの目の前に現れる。


咄嗟に合わせた斬撃が、不自然に空中で止まる。


・・・引くも押すもできぬ。


空気に絡めとられたような感触じゃ。




『ほお・・・我に当てよるか。ふ・・・うふ、うふふふふふ』




楽しそうな声が今度は後方から聞こえる。




『驚かせたかのう。十兵衛、お前・・・今の生活で満足か?』




「・・・藪から棒になんじゃ。禅問答かの?」




『だから、あそことは別口ぞ。ハッキリ聞こうか、十兵衛』






『お前、思うさま暴れてみたくないか?身に着けた技を存分に振るってのう?』






どくんと、心臓が跳ねた。




『お前におあつらえ向きの場所がある。そこへ行かぬか?』




「わしに・・・わしにあの世で人斬りの真似事でもしろと言うのか?」




『ちーがう、ちがう。お前は戦いたいのだろう?殺したいのではなく、のう?』






そうじゃ、わしは戦いたい。




誰彼かまわず殺したいのではない。




この技と、この愛刀と、この体で。




殺すか殺されるかの真剣勝負がしたい。




戦えもしない者を斬り捨てて、何の楽しさがあろうか!




自分より弱いものをいたぶって、何の甲斐があろうか!






『我はな、数多ある世界の狭間を行き来するもの』




『ここではさぞ住みにくかろう?さぞ生きにくかろう?』






『連れて行ってやる。ここではない世界せんじょうへ。ここではない世界いくさばへ』






謡うように、笑うように、啼くように。


四方八方から声が響く。




「それでおぬしに・・・何の得がある?」




ぴたりと声が止む。




「わしには、おぬしに差し出せるものなぞ、ないぞ」






『うふ、うふふ、うははははははははは!!!!』






道場に響き渡る笑い声。




『得!得とな!!ははははは!!!』




『良い!良いぞ十兵衛!!』




『何を勘違いしておる!』




『我が、お前を気に入っただけのこと!!』




『その行く末をしかと見届けたかっただけのことよ!!!』




『お前を、望みのまま駆け回らせてやりたかったのだ!!』




『呆れるほど無垢な願いを腐らせたまま、ここで朽ちさせたくなかったのだ!!』




不意に、刀を包んでいた何かが解けた。




同時に、目の前に尋常ではなく美しい女の姿があった。


なんと、これは・・・


年甲斐もなく、胸が高鳴ってしまいそうじゃ。






角度によって色を変える艶やかな長い髪。


長身の肉体を包む美しい色遣いの羽衣。


紅を引いたような赤い唇。


なにより、幾千幾万の宝石を混ぜ合わせたような瞳。


こんな綺麗なものは、生涯で一度も見たことがない。






『ふふ・・・我の瞳を正面から見返すとは豪傑よな。残りの寿命が消し飛んでも知らぬぞ?』




「・・・なあに、こんな極上の別嬪さんを拝めるのなら、老いぼれの寿命程度ではおつりが来るわい」




『おう・・・あまり口説いてくれるな。とこしえに手元に置いておきとうなったらどうする』




気が付くと、道場の姿は消え失せ、周囲は光に包まれていた。




『・・・それで、行くのか?行かぬのか?』




『よおく、よおく考えよ、十兵衛』




『行けば二度とここには戻れぬ。たとえ死んだとてな』




『どうする?』




女神の姿がそこかしこに見え、それぞれが言葉を投げかけてくる。








「――決まっておろう。行くさ、行くとも」








悩むことなぞ何もない。


ここに欠片の未練もない。


ただただ、この先が楽しみでしょうがない。






『よくぞ言うた!!』




『我が望んだことよ、いくつか便宜もはかってやろう』




『我を、我らを楽しませよ十兵衛。お前の思うさま振舞ってのう』




「・・・のう、女神さんや」




『礼などいらぬぞ、十兵衛。我が好きでしたことゆえ』






「もう一度、しっかりと顔見せてくれんかの。おぬしのような別嬪さんは、しっかと心に刻んでおきたいもんでな」






『ふ、ふふふ、はははは。おもしろき男よ!』




『心配せずとも、いずれまた会える』




『また会おうぞ、十兵衛!!』






それきり女神の声は消え失せ、すぐにまばゆい光が視界を包み込む。


そのまま眠るように、わしの意識は光に飲まれて消えていった。

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