第1話『医師生活、10年目』
それから数日後、新米医師たちの中にはそろそろ仕事についていけるようになった者たちも現れてきた。人の面倒を見ることが好きなとあは、新米医師たちの指導には毎年やりがいを感じている。だから、自立していく新米医師を見ていると、少し寂しい気持ちもあった。(フランスでは9月が新学期だが、この病院は9月以外にも4月に新米医師や新米看護師がこの病院に就職してくることも多い。)
変わらず、あの日から、とあは仕事に励みながらも結婚を急いでいた。ある日、とあは病院の休憩室でコーヒーを飲んでいた。
(私だって…一緒に暮らして寄り添ってくれる人が欲しいよ。でも私、こんな奴だから結婚相手なんて早々見つからないよね…。)
そんなことを思っていたときだった。
「私はどう?」
「え?」
急に、背後から誰かに話しかけられ、慌てて振り返る。そこには、とあより年下の28歳の女性看護師のジャクリーヌ・ド・パランジェの姿があった。彼女は性別は女性ではあるが、短い金髪、スレンダーな高身長、中性的な顔立ち…といったボーイッシュな見た目をしているのと、『そこらへんの男性よりもかっこいい!』と周りの女性から言われ、女性たちからモテているのだ。
「あら、ジャクリーヌなのね。お疲れ様。ところで、どう?…っていうのは?」
とあが聞くと、ジャクリーヌはとあの耳元に口を寄せた。
「結婚したいんだろ? 私と結婚するのはどうかな?」
「え…。」
いくらジャクリーヌが男性のような容姿だとはいえ、彼女だって女性である。ノンケのとあからすると、これでは同性愛になってしまうのでこういうのは抵抗があったのだ。それ以前に、恋仲になってすらいない相手といきなり結婚すること自体がありえない。
「ちょっと待って。まさか、私が考えていたこと…あ…。」
そう言ったとき、とあはあることを思いだした。そういえば、ジャクリーヌは目の前の人間が心の中で考えていることが理解できる特殊能力を持っていることを。
「…私が結婚を急いでいることを知っていたのね?」
「ああ。」
「それで? 何故あなたと私が結婚するっていう話になるの?」
とあが問うと、ジャクリーヌはそっと、とあの頬に触れた。
「私が、ドクターとあのことが好きだからだ。」
「え?」
目の前の年下の看護師の綺麗なエメラルドグリーンの瞳と白い肌、整った中性的な顔立ちに、とあは目が離せなくなった。ジャクリーヌが女性にモテる理由がわかる気がした。
「ちょっ…離して。あなたの気持ちはわかったけど、私はあなたと結婚するって決めていないわよ。」
そう言うと、そっとジャクリーヌはとあの頬から手を離した。
「そうか。それなら、私は、君が私を見てくれるまで待つよ。すぐに私のことを好きになってくれなくてもいいから、せめて君の隣にいさせてくれるかい?」
「…わかったわ。あなたがそれでいいのなら。」
こうして、とあとジャクリーヌはこの日から仕事以外は一緒に行動することが多くなった。
仕事が終わり、とあは病院の寮で過ごしていた。日本にのこした家族とLINOでメッセージのやりとりをしているのだ。とあは幼い頃に父親を亡くしており、母親と弟と三人で暮らしていた。今、メッセージのやり取りをしている相手は弟だ。彼の名は帝 正彦(みかど まさひこ)。26歳だ。彼は日本の私立高校で化学の教師として働いている。正彦はとあとは異なり、その明るい性格と親しみやすい雰囲気のおかげか、とっつきやすいと言われているためか生徒たちとは親しい。とあたち姉弟はふたりそろって理系なのだ。
「久しぶり、正彦。最近、仕事の方はどう?」
「姉さん、久しぶり。生徒たちの指導はうまくやってるよ。僕は子どもが好きだからこの教師という職業を選んだからね。」
「仕事がうまくいっているようで何よりだわ。」
「姉さんの方はどうなの? やっぱり医者って忙しい?」
「そうね…確かに忙しいわ。それに、私ももうアラサーだし、日本にいる高校時代の友だちも結婚しているから私もそろそろ…。」
「いや、まずは仕事第一だと思うよ。それ言ったら僕だってギリギリだけどアラサーだし。」
「そうよね。確かに急ぐ必要はないわよね。でも、友だちの結婚式の写真を見ていると羨ましくて…。」
「そうか。でも、無理に相手を探す必要はないと思う。案外、気づけばそういう人は近くにいるだろうし。」
「そうよね。正彦は、まだ結婚願望はない感じ?」
「僕は教師の仕事が忙しいから結婚どころじゃないよ。まあ、忙しい方が充実していて良いんだけどね。」
「正彦らしいわね。」
とあがそう返すと、正彦はLINOのメッセージに既読をつけたまま、数分経っても返信を返さなかった。忙しいのだろう。とあはLINOのアプリを閉じた。
先ほど、正彦のメッセージにでてきた”そういう人は近くにいる”という発言で真っ先に思い浮かんだ相手はジャクリーヌだった。実は彼女に頬を触れられたとき、ドキドキが止まらなかったのだ。頬に触れられたときの感触を、とあは思いだしていた。彼女は自分の頬が火照っているのを感じた。
”あんなの、急すぎるわ…それに、彼女、見た目が綺麗すぎるうえにかっこよすぎる。女の子たちにモテるのもわかる気がするわ。でも、そんな綺麗な彼女が私みたいな根暗と一緒にいてもいいのかしら?”
とあはそんなことを思っていたのだった。
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