肆 扉 その一
こんにちは。
スミレと言います。
以前は、イヴェント関係の仕事をしていました。
今は違うんですけど。
こんな言い方って、変ですよね。
それも私の話を聞いて頂いたら、分かってもらえると思います。
つかぬことをお聞きしますが、皆さん人間ですよね?
いきなり大変失礼なこと訊いてしまいましたよね。
すみません。
何しろ、人間とお会いするのが、随分久しぶりなもので。
でもそれも、これからの話を聞いたら、納得頂けると思います。
信じて頂けたらの話なんですけどね。
早速始めますね。
ことの発端は、あるイヴェント会場で、翌日の催し物の会場設営をしていた時でした。
催し物に使う道具が足りなくて、倉庫に取りに行ったんです。
ところが、その会場で仕事をするのは初めてだったので、倉庫の入口が分からなくて、迷ってしまったんですよ。
困ったなと思いつつ、あちこち探していると、扉が一つ見つかったんですよね。
近づいて見ると、何となく倉庫っぽかったので、取り敢えず開けて入ってみたんです。
中は真っ暗という訳ではなかったんですけど、かなり薄暗くて、照明のスウィッチを探して室内に入ったのが、間違いでした。
私が入った途端、扉が消えてしまったんです。
最初は目の錯覚かと思いました。
何しろ薄暗かったので。
でも、いくら探しても扉は見つからなかったんです。
それどころか、そこにあったはずの壁すら、なくなっていたんです。
怖いなんてものじゃなかったですよ。
悪い夢でも、見てるんじゃないかと思いました。
夢だったら、良かったんですけどね。
現実だったんです。
途方に暮れるというのは、あの時の私のことでしょうね。
言葉の意味を実感しちゃいました。
少し落ち着いて、周囲を見回したんですが、何も見当たりませんでした。
真っ暗闇ではないので、何か物があれば、目が慣れて見えると思うんですけど、何も見えなかったですね。
ただ薄暗い空間だけがあるという感じでした。
――このままここで、死んじゃうんだろうか。
そう思うと、涙がぽろぽろ出てきました。
すると、暗闇の中に何かの気配を感じたんです。
それは本当に気配だけでした。
説明しにくいんですけど、実体がある訳でもなく、かと言って幽霊のように姿を認識できるものでもなく、何かが気配として
そしてその気配が、私の方に近づいて来るのを感じました。
私は逃げようとしましたが、その空間の中では方向感覚が掴めず、結局追いつかれてしまったのです。
気配は私の体の表面を、
まるで私の全体像を認識しようとしているようでした。
そうこうするうちに、その気配は徐々に明確になり始めました。
もちろん実体がある訳ではなかったのですが、存在感が増して来たという感じですかね。
その時私は思ったのです。
その気配は、私を通して何かを知ろうとしているのではないかと。
私が紛れ込んだ、その何もない世界には、その気配しか存在していなくて、それまでは他というものを認識することがなかったのではないかと。
そして私を通して、初めて他の存在があることを認識したのではないかと。
気配は私に憑いたまま、離れませんでした。
ただ、実害はなかったので、そのうち気にならなくなったんです。
慣れって、恐ろしいですよね。
その時の私は、どうしたらその世界から抜け出して、元の世界に帰れるのだろうと、ずっと考えていたせいも、あったのかも知れません。
その世界では、不思議なことにお腹も減らず、眠くもなりませんでした。
もしかしたら、自分の実体がなくなって、幽霊のようになっているのかと思いましたが、自分では体に触れることが出来たので、少し安心したのを覚えています。
もう時間の感覚はなくなっていたのですが、それからかなりの時間が経過したと思った時、私に憑いていた気配が急に大人しくなって、やがて動きを停めたのです。
――何が起こるのだろう。
私がそう思っていると、突然目の前に扉が現れたのです。
私は嬉しくて飛び上がりそうになりました。
しかしすぐに、この気配をくっ付けたまま、元の世界に戻ってよいのだろうかと思ったのです。
それでも我慢できなくて、私は恐る恐る扉に近づき、そっと開きました。
扉の向こうは、明るい世界でした。
でもそこが、私が元居た世界とは違うことは、すぐに認識出来ました。
景色が全く違っていたからです。
私はそちらに行こうかどうか、一瞬躊躇しましたが、そのまま薄暗い世界の中にいるのが怖くて、結局その世界に入ったのです。
そして私が入ると、予想した通り扉は閉まり、消えてなくなりました。
私に憑いていた気配も、一緒についてきていました。
元居た薄暗い世界の時とは打って変わって、興味津々という雰囲気で、活発に動き始めたのです。
その世界の景色の、何が違っていたかというと、色ですね。
私たちの世界とは、色の配置が全く異なっていたんです。
その世界の住人たちは、私たち人間とよく似た形をしていましたが、明らかに人間ではありませんでした。
その者たちに、危害を加えられることはなかったのですが、集まって来て、じっと私を観察するように見るのには辟易としてしまいました。
こちらから話し掛けても、返事は一切返ってこなかったので、言葉は通じていなかったようです。
もしかしたらその世界には、言葉というものが存在しなかったのかも知れません。
そして私に憑いていた気配は、すぐにその世界に興味を失くしてしまったようでした。
何故なら、次の扉が現れたからです。
そして私の界渡りが始まったのです。
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