第4話 久方振りの御客
(もう持たない)
葵は引きつりかけた顔を必死に按摩する。
今朝丹華から文を受け取った中に、今日伺う、という内容のものが二通あり、まさかの同時来店だったのである。
どちらかを放置するわけにもいかず、結局二人揃って相部屋となった。二人共顔見知りだったのが幸いした。
なんとか会話を途切れさせることなく接待できたのだ。
しかし、二人の間に入り込まなければならないのはなかなかに気まずく、笑みをいつもの倍ほどの意識で固定していたため、冒頭に戻るというわけである。
ようやく二人が帰ったが、もう日が昇りかけている。
(取り敢えず疲れた)
葵がふらふらとしながら自室である瑠璃の間に戻ると、戸の前に誰かが立っている。
近づいて顔を覗くと、悲しげな表情をした
「どうしたの、小姐?もう夜明けだし、早く休まないと体力持たないよ」
葵が話しかけてもなぜか丹華は俯いたままだ。
「…とりあえず、中入って。お茶でも入れるよ」
葵が中に入ると、丹華は俯いたまま葵に付いて入ってくる。
「どうしたの?」
葵がお茶をすすめながら尋ねる。
「…なったの」
「え?」
「今朝言ってた宮廷の食材を選ぶのを仕事にしてた旦那様、、、来られなくなったの…」
「どういうこと?」
御客が突然来れなくなることは多々ある。用事だったり、仕事だったり忙しいこともあるからだ。
しかし、今の丹華の様子はまるで、二度とその御客が蝶天閣に来ることはないと言っているかのようだ。
「詳しくは知らないけど、罰を受けさせられるんだって、今日来た常連様がこっそり教えてくれたの」
丹華はただただ下を見つめてぼーっとしている。
「でも、どうして私にそれを?」
「葵は、、賢いでしょ?…私にはどうしたらいいのか分からないし、何があったのかも分からないけれど、葵なら他の御客から聞き出すのも上手くやれるんじゃないかって。…馬鹿ね、私。葵にはなんにも関係ないし、突然押しかけてこられただけよね、ごめん。勢い余っちゃった。」
丹華はそう言うと部屋を出ていこうとする。後ろ姿が寂しそうだった。
「小姐。分かるか分からないけど、それとなく聞いてみるから」
その声に振り向いた丹華は力なく笑って、ありがとう、と言った。
(罰せられる、ねえ)
葵はその御客と面識がないので、どうしようもないと言えばどうしようもないのだが、罰を受けるということは少なからず罪を犯しているわけで、そういうのは多少
尾鰭がつくことはあっても、市井に噂として回ってくるはずだ。
それが、わざわざ「こっそり」と話さなければならず、また何をしたのかさえも分からない、というのはいささか怪しいところがある。
葵がふーむと考え込んでいると、戸を叩く音がする。
返事をすると、わずかに開けた隙間から
「こんな時間だけど、御客だよ。準備しな」
女主はなぜか声を潜めている。
葵にはその理由が皆目見当もつかなかったが、女主の顔がいつもよりも険しいので、黙って従うことにした。
葵が女主の後ろに付いて部屋を出ると、他の妓女たちは寝入っているのか、物音はほとんどしない。稀に、いたしている声は聞こえてくるが、それも徐々に小さくなっていく。
階段を降り、店の入り口までくると、誰かが立っている。
昇りかけた朝日の逆光がもとで、よく見えない。
「お待たせしました。」
女主が恭しく頭を下げるので、葵も真似をして取り敢えず頭を下げる。
すると、その客の影も合わせてお辞儀する。
「どうぞ、ご案内いたします。」
葵が手引きすると、「ありがとう」と、聞き慣れた低い声が響く。
「
「そうだよ、疲れているだろうに呼び出して済まないね。少し話したいことがあって」
そう言ってゆっくりと段差を上がる。
女主が葵の耳元でそっと囁く。
「最近、ここに来る客足が遠のいていてね、ほら、高官たちがバタバタと倒れていっているって話があるだろ。恐らくあれのせいだと思うんだが、張様があんたにそのことで話を通しておきたいってことだから。誰にも気づかれないうちに、さっさと瑠璃の間にお通ししな。見張っておいてやるから。」
そう言うと女主はそそくさとその場を立ち去る。
張様は数十年前からの蝶天閣の常連だ。明け方頃に来たにも関わらず、女主がわざわざ通すのも、そこに理由がある。
「かけて頂戴。」
葵は張様を部屋に通すと、座布団を出す。
「いやはや、わざわざ申し訳ございません。このような初老を気遣って頂いて」
「そんなにかしこまらないで欲しいわ。なんだかむずがゆい心地がするもの」
葵は笑いながらお茶を出す。
「では、時間もないので早速本題に入りましょうか。」
「ええ、もちろんです。しかし、また一段と美しくなられましたな、見間違えるところでした。なにせここに来るのは四月振りでしょうか。色々あってなかなかお伺いできず、申し訳ございません。これからお話しするのも、その四月の間に起こったことです。」
そう言って、張様は話し出す。
「高官たちが倒れていっている件については順を追って説明いたしますので、まずは置いておいてください。事は半年ほど前に起こりました。帝の御妃様の一人がお倒れになられたのです。食事に毒が盛られていたことが原因でした。毒が遅効性だったために、毒見役も気づけなかったそうです。幸いにも、御妃様は一命を取り留められましたが、犯人は未だ分かっておりません。」
物騒な話である。
現在、この国の帝は妃をおよそ三十人ほど抱えている。先日、正室であった菖花后が亡くなってからは、未だ正室を迎えていない。
菖花后との間に男子が一人いるが、既に成人している。新たに子を儲ける必要性はそこまで感じ得ないが、周りが黙っていないだろう。いつだって妃とその子供は権力争いの火種となり得る。
「それで?」
「先日、その御妃様を除いて、年に一度の会合が行われました。内容としては、建国祭のようなものでしょうか。帝と、御妃様全員と高官たちが勢揃いで行う宴のようなものです。そこで事が起こりました。」
張様は大きな息をつく。
「そこで高官たちが倒れていったと?」
「おっしゃる通りです。当時の食材選びを担当していた男が、昨日捕まりました。毒草を食材に混ぜ込んだと聞いております。」
「毒草…料理人は気付かなかったの?」
「ええ、見た目は全く問題ないように見えるものだったと。料理人たちもそれ相応の罰は受けるようですが、さほど重いものではありません。」
「もしかすれば主上の御命も危なかったかもしれないのに?」
「はい、今解雇すれば人が足りなくなるからと」
馬鹿げた話である。
「いくらでも当てはあるでしょうに」
「そこは今は深堀りしないでおきましょうか。実は医官たちも具体的な毒物の指定をしていないのですよ。これっておかしいと思いませんか?」
大抵、症状を見ればどんな毒物を取り込んだのかは察しがつくはずだ。というのにそれを述べないというのは、本当に分かっていないのか、あるいはーーー。
「深く考えない方がいいわね」
張様はコクリと頷く。
「私の口からお願い申し上げたいことがございます。」
張様は改めて正座し、姿勢を整える。
「来週、毒を盛られた御妃様の全快祝いと称して、宴会が行われます。そこに、踊り子として参加していただきたいのです。」
「は?」
「驚かれるのも無理はありません。しかし、そこでまた毒が盛られたとなると、今度こそ御妃様の御命が危ない。是非とも犯人の特定を急ぎたく、お願い申し上げる次第でございます。」
〇●〇
張様が帰られる頃には日は完全に上がってしまっていた。他の客たちに紛れて帰らせたが、上手く誤魔化せたろうか。
それにしても。
(めんどくさい、めんどくさい、厄介だー)
葵は布団に大の字になって寝そべる。
自ら貴族の中に入り込むことほど厄介なことはない。ただでさえ、先の皇后の手掛かりを掴めていないのである。
結局、蝶天閣の妓女たちを踊り子として招く、ということで片が付いた。この身一つで飛び込む勇気は流石にない。
葵は机の上に載った鷹の印のついた文が目に付いた。
気だるげに立ち上がって中を開くと、今日の疲れの三倍くらいの重さの疲れがのしかかる。
(まじか)
そこに書かれていたことは。
『毒を盛られた妃・貴光妃に対し、毒を盛った犯人を探し出せ。』
すなわち。
『御妃様の侍女となり、潜入せよ』
厄介事とは積み重なるものなのである。
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