電気の自産自消
草木大好
電気の自産自消 草木大好
遭遇は必然であった。若手の有望なアストロ・ジオロジストであるM博士は月へと向かう自動運転スペース・カーに乗っていた。政府から要請され、月にある化石燃料を探査するミッションを負っていた。月面まであと8万キロメートルという地点でスペース・カーの主電源であるソーラーパネルが太陽を背にして止まってしまった。故意に仕掛けられた事故であった。この広い宇宙のどこかに人間と同じような知的生命体がいることは承知しているが、きっとその生命体が発した電磁波を受けてしまったのだろう。日本が月面の開発に着手して以来、この種のジャミングを受ける機会は増えていた。
さて、どうしたものか。博士には修復できない。地上からレスキュー隊を呼ぶか。思案しつつバッグからテレスコープを取り出し、別のスペース・カーを探してみた。その目には見たことのない飛行物体が映った。こちらは丸腰、専守防衛さえできない。攻撃されれば勝ち目はない。すぐにSOS信号を発信してみた。幸い、シグナルは受信され飛行物体は流れ星のごとくハイスピードで近づいてきた。それは噂で聞き知っていた光速コンバータプレインであった。ただし、どこの星のものかは知られていなかった。
博士は宇宙語電子信号トランスミッションを膝に置き─これで交信できればいいが─宇宙語生成AI翻訳ソフトを立ち上げ、音声入力し、電子信号に変換して幾つかの宇宙語で所属の惑星名と国名、職業、到着地が月で、そこでの目的と、ソーラーパネルの不具合などを送信してみた。幸運にもハビタブルゾーンに属する星の言語がキャッチされた。相手は、自分のものよりも優れた宇宙語翻訳デバイスを使っているようだ。博士の話す日本語は相手に理解され、相手も流暢(りゅうちょう)な日本語で語りかけてきた。そのテクノロジーと口調からして、高度な知能を持つ生命体であることが察せられた。
博士が日本人で、その目的を知ると、コンバータプレインの船長からは勝手に月を開発し、植民地化することは許容できない暴挙だ、即刻中止するよう語気強くアドバイスされた。まるで、宇宙の安全・安心・治安を維持する使命をもつポリスのような高圧な言葉であった。それもそのはず船長は、日本の太古から現在にいたるまでの文明の盛衰について十分な知識を持っている、とも伝えてきた。現在の日本を末期高齢者社会と呼んだ。
博士はその知識を試そうと、日本について百科辞典に書いてある主要な歴史的事実と日常のふるまいについて瑣末(さまつ)な質問をしてみた。すぐに返ってきた答えの正確性と理解力からして人間よりもはるかに高度な知能を持つ生命体であることが明白となった。ただし、いくら訊いても、船長はどこのなんという星の住人であるのかは教えてくれなかった。
月の開発について、博士は決して日本のためだけじゃなく、国際連合で決めた宇宙条約に沿って、宇宙のあらゆる生命体のために活用するという計画趣旨と目的を伝えた。
この説明は一応、受け入れられたようであった。が、船長は博士が月面でしようとしている化石燃料の探査方法に格別の興味を示した。そのテクノロジーをしきりに詰問してきたが─相手はどこの星の生命体であるのかを教えないわけだから─国家機密だったこともあり、博士は説明を強く固辞した。その代わり、船長は化石燃料を探査する理由を執拗に訊いてきた。博士はソーラーパネルの修復をお願いする見返りに、世界と日本における化石燃料の枯渇、気候変動と電力危機などを説明することにした。その間、人間と似た姿形の3つの生命体が船外に出てソーラーパネルの修復作業をしてくれた。
博士は船長と次のようなやり取りをした。
「人間は過去2世紀にわたり、化石燃料を使い、文明を進化させてきた。そのツケは地球の温暖化となって今、人間を苦しめています」
「自業自得です」
船長はポツリと言った。
「この温暖化を抑止しようと2015年には産業革命からの平均気温の上昇を1・5度に抑える世界目標を設定しました」
「が、うまくいかなかった」
冷たい言葉が届いた。
「はい。その段階で、すでに1・1度上昇していましたから。地球の温暖化はサイクロン、洪水、害虫、パンデミック、熱波、氷床の融解を頻発させ、生態系を破壊し、人命をも奪っています」
「原因は人間が作った」
また鼻で笑っているような冷たい言葉が届いた。
「人間は猛省し、後悔もしました。国際連合の司法機関である国際司法裁判所が温暖化を抑止しないことを犯罪行為として法的処罰の対象にしたため、各国は化石燃料の使用を止めました」
「とは言っても、あなたの国は石炭の使用を全廃しなかったようだが。ふっふっふっ。温暖化対策に後ろ向きな国に贈られる『化石賞』の常連受賞国となっていた」
船長は皮肉たっぷりにそう言った。
博士は─そんなことまで知っているのか─気まずそうにウンと首を下げてから続けた。
「というのも、原油の推定埋蔵量はあと50年もすれば、枯渇します。石炭は使えず、天然ガスもいずれは枯渇します」
答えが返ってこないので、博士は続けた。
「もちろん、代替エネルギーとして水力、風力、波(潮)力、地熱などから電力を作るテクノロジーも開発しましたが、どれも異常気象によって常時稼動できないという欠点を克服できませんでした」
「ふ~ん。他には?」
船長は、訊いても無駄かな、という声音だった。
「日本では家畜の糞や間伐材を使うバイオマス発電を試みました。でも発電の過程で二酸化炭素が排出されるという難点がありました。汚泥からメタンを取り出したこともあります。水を分解して作るグリーン水素にも挑みましたが、費用がかかり過ぎました」
船長の─そんなことは知っている─、
「あなたの国では他に、もっと信頼を寄せていた─想定外の大惨事を起こした─電力源があったでしょ」
と訊いてくる声はなんでもお見通し、と言いたげだった。
「原子力発電ですね。しかし、たびかさなる事故のため稼動を停止する期間が長く、信頼できる電力源ではなくなりました。事故の主な原因は耐用年数を40年から60年に延ばしたためです。また、核のゴミや放射性物質を含んだ汚泥の処分と保管をめぐる問題が解消せず、水で薄めて、海中へも放出しました」
「で、海洋生物が死滅し、人間は貴重で、かつ巨大な食糧庫を失くしてしまった」
また冷たい言葉の後に「太陽光があるでしょ」と船長は訊いてきた。
ウン、とうなずくしかなく博士は答えた。
「はい。太陽光だけは安定して入手できます」
「ありがたいことに無料(ただ)だし」
小バカにしたような声音だった。
「ところが気温の上昇による降雨が頻発し、既存の大規模なプラントには頼れなくなりました。そこで個人の家屋のみならず、あらゆる建物にはソーラーパネルを設置し、自家発電と蓄電に努めましたが、蓄電にも限りがあります」
船長からはなにも言葉が届かなかった。
「他方、世界の人口は増え続け、100億人を超えています。温暖化、サイクロンによる農地の荒廃、大量に発生した害虫による食害も勃発し、人間の胃袋を充たす食糧生産が追いつきません。また、穀物生産国への理不尽な領土侵攻によって、その国から世界への穀物輸出が滞る事態も発生しました。食糧危機と大量の飢餓難民の受け入れ騒動は戦争へと発展してしまいました」
「少しは賢くなって、戦争などしない時代だと思い込んでいたのだろ? が、時代錯誤もはなはだしい愚かで脳ミソの襞がプチ~ンと切れたヤツが皇帝のごとく君臨していたから」
これ以上ない適切な皮肉の後で、一転して船長は心配げに訊いた。
「じゃあ、食糧はどう確保しているの?」
「牛や羊が出すゲップやオナラも温暖化を促進することから飼育は止め、肉は大豆から作る植物ミートに切り替え、主たるタンパク源は昆虫に求め、コオロギやバッタを養殖する工場が稼動しています」
「その工場にも電力が必要だな?」
この言葉もいやみっぽく聞こえた。
「100%の稼動はできていません」
博士は将来、月に昆虫の養殖工場群を建設する計画については口にしなかった。月を植民地化する計画に気づかれそうだったから。話を化石燃料に戻した。
「あらゆるものに電源を求め、活用してみましたが、もはや限界という結論を下し、探査の域を宇宙へ広げ、早く化石燃料を見つけたいのです」
埋蔵する星を知っているなら教えてくれ、と言いたげだった。
「で、今あなたは、月へ向かっているわけだ」
「火星での探査計画もあります」
思わず、口を滑らせてしまった。
火星という言葉に船長は一瞬「ううん?」と眉をひそめたが、諭すようゆっくりとした口調で言葉を届けてきた。それは電力危機への解決策を示唆してくれていた。
なんのことやら。しばし黙考した後、博士は脳内の思考回路をつなぐニューロンにスイッチが入りなにかがパチンと弾けた。目から鱗が落ちる感覚に襲われた。開発すべきテクノロジーは自分が思い浮かべたもので正しいのかを確認するよう訊いてみた。が、船長からはなにも答がなかった。この無言の答を自分の頭で考えろ、という意味に受け取った。博士は船長が持つ日本人に関する洞察力と豊富な知識量に畏怖を感じさせられていた。
ソーラーパネルが稼動をはじめると、お礼の言葉を伝えるやいなや─すでにコンバータプレインは飛び去っていたが─博士は地球へとユーターンした。
あの日の遭遇から50数年という年月が流れた。地球は温暖化を過ぎ、沸騰していた。すでにティッピング・ポイント(臨界点)も越えてしまっていた。
ハビタブルゾーンの片隅にあるアンノーン・プラネットから1人の〝新人種〟が日本に降り立った。時刻は午後8時過ぎ。場所は港町を見下ろす森の中であった。新人種と呼ぶのは、人間と同じ姿形をしているが、その知能においてはるかに優れていたから。IQは300以上あった。生まれながらにして身に付いた高度な知能(ギフテッド)のその源は染色体の数に発していたかもしれない。人間の染色体は46本。この生命体は4本多く、50本あった。
地球訪問の目的は学術調査であった。この学術調査ができるのも異星人とのコミュニケーションを可能にする宇宙万能自動翻訳器ニューラルを持っていたからである。学術調査の主たる目的は人間による電力の生産テクノロジーの進展度を知ることであった。なぜなら人間は過去2世紀にわたりその原資源である化石燃料を使い切り、その過程において二酸化炭素を出し続け、地球の温暖化を放置し─人間に聞けば、抑止の努力はしてきた、と弁解するであろうが─もはや地上のみならず海洋でもその生命を維持することができない環境にあったから。
これらの解決策として、人間は宇宙への移住と化石燃料の探査のためにロケット・衛星の打ち上げ、ステーションの建造などをしてきたが、それが宇宙の治安、安全、秩序を乱してきたことも問題視されていた。
一般的に、電気は金属の線をグルグル巻いたもの(コイル=発電機という)と磁石を使って作ることができる。コイルとコイルの間で磁石を回すとコイルに電気が起こる。大規模な発電所では、タービンという大きな羽根車を蒸気や水、風の力で回し、タービンとつながっているコイルが一緒に回ることで電気を作る。タービンは、音や振動、温度差などでも回すことができる。
人間は再生可能・代替エネルギーと呼ばれたもの以外にユニークな電力源を開発しているのか。それを知りたい。
都心に近づくにつれて人の数が増えてくる歩道を進みつつ、建物に目をやるとその屋上と庭には大きな送風機のような機器が設置されていた。研究員は前方から進んでくる若者に声をかけて訊いた。
「あの送風機みたいな物はなんですか」
若者は一瞬おびえたような顔つきをしたが─この時代にあの機器を知らない人間がいるのか─という珍奇な生き物でも発見したかのように弾んだ声で答えた。
「あれは大昔にあった扇風機の原理を応用した家庭用風力発電機ですよ。ソーラーパネルじゃ足りませんから」
嘲笑するようニヤッと顔を歪め、足早に行った。
最初に、学術調査員は夜というのに煌々(こうこう)と光のついている大きなスタジアムを訪問した。その光は宇宙空間からも視認できた。相当な電力消費量である。アストロビッグデータで検索し、ここがベースボールのスタジアムであることを知った。ナイトゲームがおこなわれていた。スタジアムのある街中にはかつてあった電線も電柱もなかった。いたる所に巨大なスピーカーのような器物が設置されていた。それを不思議な表情で見上げた。すぐ横を走る電車には架線もパンタグラフもなく、ソーラーパネルが備えられていた。
スタジアムの壁面には蔦(つた)が絡まり阪神甲子園球場と書かれていた。入り口に近づくにつれて、鼓膜を破られそうな人間たちの歓声、笛、太鼓、トランペットの音が襲ってきた。一歩、足を踏み入れると、音量は倍加された。思わず、耳を両手で塞いだ。
「なに事だ? この騒音は」
ここでもあらゆる所に設置された巨大なスピーカーのような器物が目に飛び込んできた。
「あのでかいスピーカーはなんだ?」
バックスクリーンには、ジャイアンツ、タイガースという文字が縦に並べて書かれ、その右側には得点が並んでいた。ゲームは7回の表が終了したところであった。突然、騒然とするスタジアムにカラオケのメロディが流れはじめた。観客は総立ちになり手拍子やメガホンを打ちはじめた。そして大合唱が起こった。
♪♪六甲おろしに さっそうと・・・フレ フレフレフレ♪♪
スタジアム全体が大きく揺れ、大音量を発していた。どうやら、7回裏タイガースのラッキーセブンで、『六甲おろし』(『阪神タイガースの応援歌』)が合唱されているようだ。バックスクリーンの上部には「現在の発電量3万キロワット」という表示が現れた。その瞬間、学術研究員は理解した。巨大なスピーカーは集音マイクであった。また音を吸収する薄型パネルがスタジアムのすべての壁面に設置され、集音マイクで音を掻き集め、これらの振動でタービンを回し、発電していた。
ゲームは8対7でタイガースが逆転さよなら勝ちした。ゲームが終了するとファンはまた『六甲おろし』を大合唱し、すぐにはスタジアムから出ようとしなかった。発電量は2万キロワットであった。
スタジアムの外は人、人、人の大波であった。ここでも勝利の美酒に酔ったタイガースファンたちが円陣を組んで、『六甲おろし』をがなり立てていた。信号機の上部にある発電量表示板には6000キロワットという数値が出ていた。
「なるほど、自分たちが出す音を電力源にしている」
主要な都市にあるスタジアムの中でも甲子園球場のある街では、時代を超えて虎キチを自称するタイガースファンのみが発する音量を電力源として活用できていた。まさに虎キチ様様であった。
この一連の光景を学術研究員はカメラに収めるとともに、ホログラ・ボイス・レコードに音声入力した。
歩道にあるベンチに腰を下ろし、ビッグデータを検索してみた。かつて家庭内では、親が子供を叱るときの怒声、夫婦喧嘩の罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)から発する音量を回収し、タービンを回して電気エネルギーに変換するテクノロジーが試されたことがあった。学校では、熱血教師が生徒に雷を落とすときに発する罵声や稲光する眼光が電気エネルギーに変換された。教室内の至る所に組み込まれたセンサーがオンになり、教師の怒りのエネルギーを回収した。生徒の騒ぐ音も回収され、電気エネルギーに変換された。1990年代後半に社会現象となった学級崩壊も生徒たちのその熱量や音量を回収するために利用されていた。各教室は校長室のモニターで監視され、発電量を見るだけで教室での授業の活発度が計測された。生徒たちに覇気がなく、発電量が基準を下回ると、ペナルティとしてトイレ掃除をさせた。教師は減俸された。
というそんな時代もあったようだが、この発電システムはもはや利用されなくなった。少子社会における親の子供への過保護、ジェンダーギャップ解消意識の高まりから夫婦喧嘩もしなくなり、発電量は微々たるものであったから。ずる賢くなった教師たちはPTAや教育委員会からの突き上げによりすっかりサラリーマン化して、熱血指導をしなくなった。生徒たちも過保護で温厚に育ったため、反抗期もなくすべてにおいて従順だったから。そのため電力源としては不要になってしまったのである。
音といえば、盛り上がったヘビメタ、ロックバンドのライブでシンガーたちが興奮した客席にマイクを向けているのもその音量を回収してタービンを回すためである。
演芸場では客の爆笑を電力源として回収していた。そのため客の爆笑がないと灯りも点かず、笑いをとれない落語家・漫才師・浪曲師・コント芸人、マジシャンたちは仕事をもらえなかった。
翌日、学術研究員はビッグデータでフィットネスクラブを検索した。最近、地下鉄の駅に隣接して開業したジムがヒットした。紹介記事によると最新式の機器を多数備えているようだ。
このジムは一週間も通えば、希望通りの体型に変身できる、体力の維持ができるというふれ込みで、多くの会員を集め、料金もリーズナブルで連日、利用者たちで込み合っていた。
それに対応するため、10レーンの50メートル温水プール、腹筋を鍛えるアブクランチと大胸筋を鍛えるチェストプレスが、それぞれ80台、アイアンアレーが600個、懸垂用の鉄棒500機、ランニングマシンにいたっては1000台が用意されていた。これに100畳の床でエアロビクスダンスの指導もあった。
学術調査員はオーナーにインタビューを試みた。
これだけの機器を動かすわけだから消費電力も電気料金も莫大になるだろうと思いきや、「そんな心配はご無用。なにしろ、最新式の機器ばかりなのでね。初期投資は回収済みです。はっはっはっ」とオーナーは高笑いした。
どんな省エネ機器を備えているのか。機器の中でもランニングマシンの稼動率は100%であるとのこと。いや、必ず100%にしている、と言う。このベルトの上で老若男女が猛スピードで両足を動かしている光景は持久力を鍛えるというよりも苦行に耐えているようにさえ見える。苦しくなってランナーが設定スピードを緩めようとすると、横に立つトレーナーがニッと口元を歪めて設定速度を元に戻す。いったん、ベルトに乗り走り出すとマシーンを止めることは許されない。体脂肪を燃やすためである。4時間も走り通しの者もいる。利用者はさまざまなマシーンを使ってメニューをこなしていく。まるで室内でトライアスロンをしているかのようである。そんな利用者たちの表情が苦しげに歪むほど、それを眺めているオーナーの微笑みは「筋肉が 悲鳴を上げるほど、発電力はアップする。はっはっはっ」と爆笑に変わった。
なにを隠そう。このジムの機器や床、壁の内側には発電用のタービンが設置されていた。ランニングマシンはそのスピードに3倍したワット数の発電ができた。100人の利用によって一時間当たり9万キロワットを発電できた。5キログラムのアイアンアレーは持ち上げるたびに500ワット、20キログラムのチェストプレスでは600ワット、懸垂や腹筋では1回ごとに700ワットを発電できた。
温水プールでは泳ぎとともに発生する波の力で壁面に埋め込まれたタービンを回し、発電していた。エアロビクスダンスでは床に圧力がかかると電気が発生する「電圧性結晶」を埋め込み、圧力エネルギーによって床下のタービンが回る仕組みになっていた。
こうした発電力でもって、ジムの電気を確保していた。もちろん、すべての機器の初動電源は備蓄電池でまかなえられた。創業以来、外部から電気を購入したことはない、と言う。むしろ、使わない電力は蓄電し、それでも余裕があれば地域住民に小売りしている、とほくそ笑まれた。
大勢の人間が集まるところではこの発電システムがごく普通に利用されているようで、駅の自動改札や電車内の床やナイトクラブの床にも利用されている、と事もなげな説明を受けた。事実、電車の発着電光掲示板には発電量が表示されていた。
まさに体脂肪を燃やすエネルギーで発電用のタービンを回しているのであった。こうした発想の根源をオーナーに訊いてみた。
「大昔にあったでしょ。ペダルを漕いで自転車のライトを点ける、あのアイディアを利用しただけさ」
こんな単純なメカニズムを知らないのか?という顔をして、シラッと返された。学術研究員は感心しつつ、これらの情報をホログラ・ボイス・レコードへ記録した。
次に、学術研究員は街中を観察してみた。公園の周りの歩道を大勢のご老人ランナーたちが苦渋に満ちた表情をして走り過ぎていく。ビッグデータで得た知識のとおり、人間は身体を酷使するのが好きらしい。ベンチでペットボトルを口にしているご老人に声をかけてみた。
「毎日、どのくらい走るのですか」
「私は、ウォーキングだね。1日5万歩がノルマだよ」
ニコニコと笑みをこぼした。
ウエアーについても訊いてみた。
「通気性のいいのものですか」
ご老人は未開人を見るような─知らないのかという─目をして説明してくれた。
「このトレーニングウエアーは太陽電池を織り込んだものだよ。太陽電池はシリコン製で、ポリマー樹脂を含み、蓄電できる」
「着心地は?」
「肌着やパジャマと変わらんよ。こうやって折ることもできるし、洗濯だってできる」
と、ウエアーの裾を乱暴に折って見せた。
「これはまだカジュアルだけど、あちらの方が着ているウエアーはブランド物だよ」
斜め向いのベンチに座るご老人を指さして、ニコニコと笑みを浮かべた。
「なるほど、そうですかァ」
学術研究員は、そのベンチで休憩している─黄色のTシャツ型ウエアーを着ている─ご老人にも学術調査と断ってから訊いてみた。
「そのウエアーはカジュアルじゃないですよね」
一瞬、分かり切ったことをなぜ訊くのだという訝る顔をされたが、丁寧に答えてくれた。
「この素材は人体の動きから発生する振動エネルギーを電気に変換する布からできている。ゴムのように伸縮性と防水性、通気性も良く、振動とともに電気を発生する素材でできている。とても軟らかいので服に織り込み、身体に直接こうして付けることもできる」
「なるほどォ」
学術研究員はいかにも感心したという声をもらした。
すると、ご老人は、「便利な時代だ。こうして自分で使う電気は自分で生産できる。電気はこれに溜めて、家電品、キッチン、洗濯と風呂に使う」と首にかけたUSB型蓄電器をかざし、「運動するときに出る汗を電気に変換する「超薄型バイオ電池」を身に付けている方もいるよ40~50年前にあったペロブスカイト太陽電池の進化型だね。そうそう、運動をするときの高くなった体温と外気温との差を利用して発電する「体温発電器」も売られているようだけど」と付け加えた。
人間が着ている上着のみならず、目の前を散歩させている犬の胴に巻かれた布地も電源となるソーラセルと摩擦帯電ナノ器を織り込んだ素材を使い電力を発生させているとも教えてくれた。
もちろん車はすべてEVで、ドア、屋根、ボンネットはフィルム型の超薄ソーラーパネル仕様であった。自転車やバイクの車体、ヘルメットも同様のパネルが使われていた。すべて太陽光を使い動きながらにして発電をしていた。もはや化石燃料による発電は太古のものとなっていた。
太陽光は無限に降り注ぎ、しかも無料。老若男女、健康寿命を延ばそうと身体を動かすことにやっきになっている社会。電力源のビジネスチャンスもそこにあった。なんてことはない、これはM博士が若かりし頃に地球外知的生命体から受けた電力危機への解決策の一つであった。
《あなたの国では、ご老人はもとより若者たちも健康寿命を延ばそうと四六時中身体を動かし熱量を消化する努力をしている。この努力を電気に変え、自分のために活かさない手はない。努力にともなう泣き笑いも活かせる。ここにヒントがある》
地球へ帰還後、博士はこの解決策を政府に提案していた。渡りに船、藁をも掴む思いで政府は聞き入れ、企業と大学、公的・民間試験研究機関に莫大な開発資金を援助し、製品化が実現していたのである。そして博士も研究テーマを変えていた。
学術研究員はユニークな電力源のテクノロジーの進展と成果を調査し終わり、帰還するために人波でごった返す歩道を光速コンバータプレインが停留している森を目指して歩いていた。が突然、その足を止められ聞き耳を立てた。
薄汚れた白衣姿の老博士が街角で通行人に声をかけていた。
「涙、涙をください!」
哀れみを含んだその声に1人の男が歩み寄り、声をかけた。
「涙をもらってどうするつもりですか?」
老博士は訴えるように答えた。
「はい。涙から電気を作りたいのです」
「ええっ。目から火花が出るっていうけど、涙から電気ですかぁ?」
男はあざ笑うように訊き返した。
「そうです。私は22歳のときにこのアイディアを得て、この歳になるまで実験を重ねてきました。その結果、ついに見つけたのです。涙の中に電気となる成分のあることを」
老博士の声は自信に満ちて弾んでいた。
「どんな成分ですか?」
その弾んだ声につられ、思わず男は訊いていた。
老博士は相好を崩して、説明した。
「涙には水分のほかに塩素、ナトリウムが多く含まれ、あとはタンパク質、糖質、カルシウム、カリウムなどが含まれています。このタンパク質が重要です。その前に発電を説明します。ものに圧力を加えると弱い電気が生じます。これを利用してライターやコンロに着火させています。この現象はピエゾ(圧電)効果と呼ばれるもので、人間の涙に含まれるタンパク質でも確認できました。そのタンパク質はリゾチームというもので、これを結晶化させてフィルム状に加工し、圧力をかけると弱い電気が生じるのです。私はこの電気を実用化したいのです」
男は顎に右手の掌をそえて、信じがたいという声音でちゃかして訊いた。
「涙といっても色々あって、うれし涙、悲しい涙、怒りの涙。これらに違いはあるのですかね?」
この素朴ではあるが的を射た質問に老博士は笑みを浮かべ、少年のように目を輝かせて答えた。
「あなたはいいとろに気がつきましたね。実は、涙にも味の違いがあります。怒りの涙、悔し涙ではカリウムイオンと水分が少ないので味が濃く、塩辛さも濃くなっています。一方、悲しい涙、うれし涙は薄味です」
「へーッ、そうなんだ~」
わざと語尾を伸ばし、感心したという声をもらした。
老博士はさらに続けた。
「もちろん悲しい涙と悔し涙だけを電気に変換できればいいのですが、いずれにしろ不純物が多すぎると……」
男は─よく分からん─要領を得ない気持ちを言葉にした。
「実現すれば、ノーベル賞ものですなあ」
この一言に顔色をさっと変えた老博士は怖い目をして、語気を強めて言い返した。
「私はそんな賞や名誉、ましてや金など望んでいません。ただ自分の発見を実用化したいだけなのです。これは生涯をかけた夢なのです。若いころ、地球外知的生命体から受けたアドバイスを実現したいだけです。あの遭遇は必然だったのです」
男は、その迫力に押されている自分を感じつつ、地球外知的生命体という言葉に怪訝な表情を浮かべて、
「どんなアドバイスだったのですか」
と、訊いてみた。
老博士はニッコと笑みを浮かべ、
「電気の自産自消ですよ」
と、明るく弾んだ声を返した。
男はこれまでに開発されてきた電力源のことで自分も着用しているエレクトリックウエアラブルスーツの類を想像した。そして労わるよう優しい声で言った。
「涙なら誰からでももらえるでしょ。この世の中、辛くて泣きたいことばかりじゃないですか」
「それが駄目なんです」
老博士の声は沈んでいた。
「なぜ?」
「涙であれば、なんでもいいという訳ではありません」
「誰のどんな涙が欲しいのですか?」
「本当は他人への思い遣りを含んだ涙がいいのですが、この時代、そんな涙を流される方はいません。そこで赤ん坊の涙が欲しいのです。あの母親のオッパイをおねだりする天使の涙を」
老博士は覇気のない声で続けた。
「ところがこの話を聞き入れてくれる親御さんはいません。それに超少子社会で赤ん坊もほとんどいません」
「年寄りならたくさんいますよね」
男は語気強く励ましてみた。
が、老博士は顔を伏せたまま抑揚のない声で答えた。
「不純物が多すぎます」
「といいますと?」
男は理解しかねていた。
「多くの年寄りは長年、善いことも悪いこともたくさん見て、本来、純粋だった成分が汚れているのです」
「白内障みたいに。それでまだ純粋で穢れのない赤ん坊の涙がより望ましいと」
男はなんとか理解できたようだった。
「そうです。実用化するためにはより純粋な涙をもっと集めなければなりません。純粋であれば、年齢は関係ありません」
老博士の口調は熱をおびていた。
「年寄りでも純粋で穢れていない人間もいますよね」
男は食い下がってみた。まるで自分がそうだと言わないばかりに。
「いいえ。私もそう信じてたくさんのサンプルを採取してきました。でも、駄目なんです」
その声はまた沈んでいた。
「じゃあ、駄目な人間とはどんな人間ですか」
男は自分が否定されたかのように、詰問していた。
「典型的なのは政治家です。彼らの流す涙はかなり穢れています。嘘八百の世界、権謀術数の世界を見るばかりですから」
「なるほどォ。一理ありますね」
男はなぜか納得できた。
老博士は微かに笑みを浮かべ少し元気な声で答えた。
「そんなわけで純粋で穢れのない涙を探し続けているのです」
「でも、それじゃあ、いつまでたっても入手できないでしょ」
男はあえて歯痒い思いを口にしてあげた。
「そうなんです。なので、不純物を取り除く研究に着手しましたが、手間取ってこの歳になってしまいました」
そう言うと、老博士は禿げた頭に手をそえてから視線を落とした。
「不純物を……。そりゃあ、大変ですなあ~」
見ている世界が違うというか、独特な感性についていけなくて、男はぎこちなく笑みをつくり、老博士の禿げあがった頭頂部へこう一声かけて行ってしまった。
学術研究員は、気づかれぬよう老博士の後を追った。帰還の期日を延期し、老博士の行動を観察した。
実験室では、今日も老博士がため息をついていた。
「はァ。この涙にも不純物が混ざっていたかァ」
そのサンプルの入った試験管には妻と印字されていた。
愚直で研究一筋の人生を支えてくれる妻を思うとき、老博士の目から水晶のように輝く涙がこぼれた。惜しくも老博士はそれに気づいていなかった。
学術研究員は、この研究の意義・成果・実現可能性をホログラ・ボイス・レコードへ記録し終わると、バッグに仕舞い、敬意を込めて黙礼し、目には慈愛の涙を溜め、老博士にエールを送った。それから調査活動を振り返りつつ、ゆっくりと森を目指して歩を進めた。(了)
電気の自産自消 草木大好 @heoh2-20
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