第47話

「覚えて、いろぉ!!」


 レックスの姿を見るや否や。


 風薙ぎを名乗った魔族は、血反吐をまき散らしながら逃げ出した。フラッチェ一人ですら仕留めることが出来なかったのに、レックスまで戻ってきたら勝ち目がないと踏んだのだろう。


 この、プライドもない掌返しの様な逃げ方は成る程、冒険者時代の風薙ぎそのものだった。


「あ……」


 フラッチェはそんな逃げ行く風薙ぎじぶんを追いかけようとして─────、その足を止めた。


 彼女の身体能力は、ちょっと鍛えられた程度の少女のものだ。手負いとは言え魔族に追い付くはずもない。


 ────少女は、人より「受け」が得意なだけの凡人なのだ。


「……逃げられた、すまん」


 少女剣士は、哀しそうに小首を振りレックスを見上げる。


「そ、そうだな。逃がしたな?」


 何時もとは違う、彼女の所作。

 

 まるで自分を責める様な、哀しそうな少女の声色。それは、普段のフラッチェと言う少女からは想像もつかない程に……落ち着いていて。


 仲間のアホフラッチェだと思って話しかけたレックスは、誰だコイツと内心で混乱した。


「こいつは、殺しておく。剣貸してくれ」

「……はい」


 せめて、気を失った魔剣王だけでも。レックスはフラッチェの短剣を手に持って、片腕だけでその首を切り落とす。


 その様子を、少女剣士は羨ましそうに眺めている。普段の彼女なら「手柄を奪うな」等と騒いだり「レックスの負け犬」等と煽ったりしそうなものだが、何故か静かにレックスの斬撃を眺めるのみだった。


「……まぁ、仕方ない。行くぞレックス」

「む」


 吸い込まれるような、水晶の如く純粋な青い瞳。その瞳は曇りなく、真っすぐに東を見据える。


「フラッチェ?」

「……もうすぐ半日経つ。クラリス、間に合わなくなるかも」

「あ。そういや、アイツ生首か!」

「そう」


 やや平坦な声色で、フラッチェは東を指さすと。そのまま少女は隻腕となったレックスの肩にしがみ付いた。少女の落ち着いた息遣いが、童貞の胸を暖める。


「うおっ?」

「……運んでくれ。今のレックスに無理はさせない、戦闘は私がやるから」

「あ、そういうアレね。おう、分かった。捕まってろよ」


 ぎゅ、とか細い腕で少女は剣聖に抱きついたまま。上目遣いで剣聖におねだりする。


 それは、普段の男勝りな少女からは考えられないくらいに柔らかくて、華奢な体躯で。


「よし、どりゃああああっ!」

「……怪我してるのに、無理させてごめんな」

「気にするなぁぁぁぁ!」


 それはレックスが初めて聞いたかもしれない、フラッチェからの労りの言葉。


 一体ここで何が有ったとか、本当にこいつ誰だよとか、様々な疑問を飲み込みながら。柔らかいモノを左腕に抱いて、レックスは砦のあるという東に向かって全力疾走するのだった。


 レックスの首に抱きかかり、腕に座るように運ばれるフラッチェ。本人に誘惑する気は欠片もない。だが、童貞が理性を保つために叫ぶのも無理はないだろう。
















 クレーターだらけの大地。天災でも起こったのかと思える程に荒れ果てた平地の中央に、それは有った。


 周囲を一瞥できる高台に聳え立つ、、歴史を感じる石造りの建造物。それは小ぢんまりとした小さな砦ではなく、小規模ながら城と言っても差し支えない巨大な砦。


 既に魔族に占拠されてしまったのだろう。その壁の上には、ちらりほらりと人とは思えない異形の生命が闊歩していた。


「────じゃ、レックスはここで待っててくれ」

「お、俺様も」

「いーや、無理しなくて良いさ。危なくなればここに逃げてくるから、退路を確保しててくれ」


 遠く隠れて、砦を伺う二人。


 少女剣士は優しく剣聖を労るように微笑み、そしてゆらりと立ち上がる。それは風のように静かに、音もなく魔族の跋扈する砦へと吹いて行った。



 やがて、砦の入り口の真正面に達した時。流石に魔族も、気配の薄い刺客の存在に気が付く。



 城門前の魔族が、金切り声を上げた数秒後。


 魔族は機敏に配置について、雨霰の如く石礫が彼女目掛けて降り注いだ。既に、迎撃の為のプロトコルは組まれているらしい。


 やがてその礫の雨が止むと、魔族共が堰を切ったように門を開けて撃って出る。


「……クラリスは何処かなぁ」


 だがしかし、無数の石礫が少女へ降り注いでも、少女の周囲を取り囲み数多の魔族が爪を立て襲い掛かっても。彼女の体躯に傷一つつくことはなかった。


「……首がない幼女の身体か、目立つはずだ。きっと探せば見つかるだろう」


 ゆらり、ゆらり。少女は濁流に翻弄される水草の如く揺らめいて、魔族の群れの中を歩んでいく。


 誰かに触れられる事はなく。返り血すら、浴びることもなく。


 ただ彼女が通った痕跡として、敵の死体を淡々と積み上げながら。




















 無事にクラリスの胴体を奪還した後。


 俺とレックスは、ミーノ軍の駐屯していた平野に戻って来た。


「レ、レ、レックス様ぁぁ!! ご無事だったんですね、生きてるんですね!」

「フラッチェも生きとったんか! ……そっか、二人とも無事かぁ。良かったわぁ」


 そこには、既にカリンやメイの姿が有った。どうやら二人も、上手く国軍と合流出来ていたらしい。


 出会い様にメイはレックスの胸へと飛び込んで、カリンは静かに俺の頭を撫でた。どうやら今回の戦いで、俺達のパーティーに被害は無い様だ。


「もう、駄目かと……。レックス様まで居なくなっちゃったら、私、私……」

「ミーノから話を聞いて、メイは仰天してたで。上手くフラッチェを回収出来たみたいやから何も言わんけど……、ちょっとは自分の身を大事にしてなレックス」

「すまん。ちょっと俺様、冷静じゃなかったかもな」


 レックスの胸で、メイは大声をあげて泣きじゃくっていた。包帯を巻いただけで鎧も付けず駆け出してきたレックスの、その胸をポカポカと殴りつけていた。


「……えぐっ、えぐっ」

「悪かった」


 メイの話を聞くと、レックスは瀕死の重傷で奇跡の生還を遂げた直後だったとか。しかも傷の手当もそこそこに、仲間を探し出そうとミーノの元から走り去ったらしい。


「……普段は私をバカバカと言っている癖に。バカはどっちだ」

「今日は何も言い返せねえなぁ、俺様」

「ホンマやで。……でも、そんな無茶はウチらを探す為でもあったんやろ? ありがとなレックス」


 そんなバカも、こうして無事に生きて帰ってきたわけで。俺達4人は、互いの生存と無事を喜び合い、涙を流した。


「……後、クラリスの事なんだが─────」

「ええ。私は大丈夫ですよ、フラッチェさん」

「……メイ?」

「別れはもう、済ませましたから」


 そして、間に合わなくなるのが怖いので、クラリスの生首に胴体を届けようとメイに話しかけたら。幼い黒魔導士は、涙を目尻に溜め込んでしゃくりあげた。


「本当なら、会話することも出来ないままお別れだったんです。姉さんは凄いですよね、頭だけで半日も生きられるんですから。私はクラリスの妹でとても幸運でした」

「あ、いや……」

「それで私。最期の最期に、ちゃんと言えたんです。クラリスに、私をここまで育ててくれてありがとうって」

「……」

「ワガママ一杯言ったけど、それでも私の親の代わりとして、見守ってくれてありがとうって」


 ……声を震わせながら、両腕で小さく抱え込んだ金髪少女の頭部に涙をこぼす。


 ま、まさか間に合わなかったのか。いや、まだ可能性があるかもしれん。


 ─────ドサリ。


 俺は、『荷物』の包装を解いて中身を取り出す。生身の首なし幼女をそのまま運ぶのは抵抗が有ったので、城に落ちてた魔族のモノだろうマントで覆っていたのだ。


 俺が開いたマントからは、クラリスの首から下が三角座りして折り畳まれている。俺はクラリスの首筋に手を当てて、まだ拍動が有るのを確かめ安堵した。


「……いや、まだ間に合う。首を貸してくれ」

「え? え、え? あれ、何でクラリスが?」

「……戻ってくるついでに取ってきた」

「はい?」


 頭上に疑問符を浮かべたメイちゃんから、クラリスの頭を受け取って引っ付けてみる。


「おお! 元気百倍!!」


 すると、今まで黙り込んでいたクラリスが急に叫びだして。プシューと謎の蒸気を立ててピカピカ光りながら、頭部と胴体は無事にくっ付いた。


「……」


 だが流石のクラリスも弱っていたらしく、くっ付いた直後に「魔力が尽きて力が出ない……」と呟き気を失ってしまった。


 うん、化け物の生態をあまり深く考えないようにしよう。正気度が失われてしまうからな。


「……」


 無事生き延びたクラリスを見て、感涙しつつも目が死んだ、そんな複雑な顔をしているメイちゃんの様に。















「ごめんレックス君。もう一回報告してくれる?」

「おう」


 ……これで一息ついた。仲間もクラリスも無事ならば、もう慌ててやる事は何もない。


 ────何だか、世界に青みが掛かったままなのが気になるくらいか。


 実に不思議な感覚だ。視界がこんな感じになってから、体のキレが全然違う。何せあの魔族はびこる砦の中で、一度も苦戦することなくクラリスを探しだせた。


 唯一焦ったのは、路傍に広がる黒焦げの死体の山を見た時くらいか。


 いやぁまさか、クラリスの胴体が燃やされかかっているとは思わなかった。魔族も死体を燃やすんだな、危ない危ない。


「あそこに戻ると、そこにいる雰囲気のおかしいフラッチェさんが無傷で立ってて、魔族二人は瀕死だったと」

「ああ。その後、魔剣王に関しては俺様がトドメ差しておいた。親友には逃げられちまったけどな」

「で、そのまま北東砦に行ってクラリスの身体を奪還したと」

「……そう。ついでに魔族は殆ど切り殺しておいた。今なら、多分楽に砦を取り戻せる」

「だ、そうだ」

「そっかそっか、成程ねぇ」


 大将軍様はニコニコと胡散臭い笑顔を張り付けたまま、俺を見て頷いて。


 ぶるぶると数秒震えたあと、真顔となり叫びだした。


「ボク、フラッチェさんがそこまで強いとか聞いてないよ!?」


 情報班は何やってたんだ、フラッチェさんがそこまでの腕なら撤退する必要なかったじゃないか。ミーノは珍しく戸惑った声を上げ、頭を抱えて取り乱し始めた。


「……!? え、フラッチェさんも人外そっち側に……?」

「レ、レックスみたいな化け物がそうホイホイ居るわけあらへん。ホンマはレックスがやったんやろ? 片腕でも、レックスならそれくらいやるわ」

「俺様が嘘つく理由なんて無いだろ。……と言うか両腕でも、あの二人相手に無傷はキツい」

「……私は何もしていないさ。ただ、無様に逃げ回っていただけだ」

「誰やお前」


 何か、仲間が得体の知れないものを見る目で俺を見ている。


 逃げ回って自爆誘導してただけなのに、何をそんな驚いてるんだ。レックスの剣術の方が100倍頭おかしいからな。


「コイツ、本当にフラッチェか? 何か知らんけど、落ち着いとると言うか。いつもの馬鹿っぽさがないというか」

「なんだか、目の色もちょっと変な気がします」

「……失礼な」

 

 馬鹿っぽさがないってどういうことだ。俺はいつだって、知的でクールだろうが。


「でも、本当に様子が変なんだよ。明らかに前より強くなってるし……、若干無表情と言うか。そう、ナタルちゃんっぽくなった感じ? フラッチェどうしちまったんだよ」

「私は、いつも通りだ」

「うーん……、何か、言葉にしにくいですけどやっぱり違うんですよね」


 そんな事を言われても困る。俺は俺だし。


「フラッチェ。3×4はなんぼや」

「……12?」

「何ぃ!?」


 ……? 3が4つ集まれば、12だろう?


「馬鹿な……お前、本当にフラッチェか!?」

「やっぱり変です!! 答えは両手の指では足りない数なんですよ……? こんな高度な計算が出来るなんて異常です!!」

「偽物……、いや洗脳かもしれへん。気を抜くな!」

「ん!? 普段その娘は今の計算出来ないのかな!?」


 し、失礼な。普段の俺だってこのくらいの計算は出来る─────、筈。


「ちょっと頭を触らせてもらうで。……洗脳なら魔術の痕跡があるはずや」

「失礼な」

「大丈夫です、私達はフラッチェさんの味方です。……だから、いつもの可愛いフラッチェさんに戻ってください」

「失礼な」

「……まさか、洗脳したフラッチェを俺様の元に潜り込ませるためにあんな演出を? いやでも、魔剣王は確かに本人だったぞ? それに、こんなアホをスパイにしたって何の得も無い」

「いい加減にしないと怒るぞ」


 何だ、皆して人をアホ扱いして。


 ま、得てして真に賢い人物は理解されず愚かに見えるという。アホのレックスには俺の知性を理解できないのだろう、仕方ないか。


 カリンに頭を撫でられながら、俺はレックスの愚鈍さを心の中であざ笑うのだった。


「ふむ、魔術の痕跡は無いわ。ただちょっと風邪気味やないか?」

「……え? 別にそんな事はないが」


 カリンは俺の頭を撫で、少し難しい顔をして考え込んだ。


「微熱って感じや」

「……? 私は生まれてこの方、風邪をひいたことが無いぞ」

「そんな訳はあらへんやろ。ただ……、うん、体に異常はあらへんな。熱っぽいだけや」

「つまり、どういう事だカリン?」

「……。まさか、知恵熱?」


 ち、知恵熱?


「子供とかが、自分の脳の限界を超えて考え事をしたら熱出すんや」

「誰が子供だ」

「いや、でも。うーん、ミーノ将軍は回復術師的に見てどない?」

「あーボクも調べようか? 彼女、もうVIPだしね。─────感冒兆候なし、体感温度正常、頭蓋内温度ならびに頭蓋内圧の亢進を確認。脳内の解糖経路の消費亢進、過剰な負荷を認める。うん、知恵熱で正解だと思うよ」

「やっぱり」

「そんなバカな」


 知恵熱て。そんな子供みたいな……。


 あ、でも確かに今日の俺のコンディションはすこぶる良かった。何というか、視界も広かったし動きの読みの精度も高かった気がする。


 つまり俺、剣にのめり込み過ぎて変なスイッチが入ったのかな。


「フラッチェさん、ゴメンね。高ぶりよ鎮め、安らかな眠りを、安住の居となせ」

「私に何をするつもりだミーノ将軍。いきなり魔法なんか……、zzz……」

「このままじゃ、頭に負荷がかかりすぎるからね。一度眠って貰って、目を覚ましたら治ってると思うよ」


 何だ、頭がぼうっとして、何も考えられな─────


「説明もなしにいきなり催眠魔法かけよったでこの女」

「この方が早いでしょ?」

「……やっぱり苦手です、この人」


 ……zzz。








 この後。


 俺は眠っていて後で話を聞いただけなのだが、ミーノ達国軍はとんぼ返りして砦へと進軍したらしい。


 そしてミーノは一切被害を負わず砦を奪還、再占領したのだとか。


 無理もない。ただでさえ魔王軍はクラリスによる範囲爆撃で半数以下まで減らされていた上、俺の単騎突撃によりほぼ壊滅に近い状況に追い込まれていたらしい。


 そのせいか、ミーノ達が進軍し姿を見せただけで、魔王軍は蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまったそうだ。


「ふふふ、仕事の時間だよ皆」


 砦を制圧したミーノは、即座に配下に命じて魔族達の死体を集めさせたという。生きていた魔族には、治療すら施してやったとか。その理由というのも、


「よしよし、凄くいい実験素材が手に入った」


 で、ある。


 労りの表情で魔族を治療しながら口元を吊り上げ笑う美女を見て、レックス達どころか部下一同もドン引きしていたらしい。


 ミーノという女は、やはりミーノだと言うことだ。

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