第20話
ムシムシとした高湿度の、日の照らぬ暗い大広間。
現地民ですら、かなり頻繁に倒れているのだ。慣れていない旅人など、ひとたまりもない。だがその劣悪な環境こそ、火山都市サイコロの日常である。
「……フラッチェさん、大丈夫でしょうか?」
「うーん……、熱中症やと思うんやけどなぁ。脱水にはなってへんみたいやし、シェルターに逃げ込んで安心して気を失った、てとこやろか?」
その過酷な環境下で、レックス達はエマに洞窟内での出来事を報告を行っていた。奇襲を受けたこと、その際に敵が毒矢を用いたこと、ゾンビが自爆したこと、狼型の魔族がいたこと、そいつに溶岩を流し込まれたこと。
エマはフンフンと頷き、忙しくなくメモを取っている。成果をまとめ報告するのは、
そしてその間、意識を失ったフラッチェの世話をカリンとメイが買って出た。カリンはレックスと、メイはクラリスと同行していたので個別に報告することはないからだ。
「ただ、エマはフラッチェからも色々聞きたいやろし、もう起こしたってもええと思うけど」
カリンは眠るフラッチェの汗を拭きながら、メイに呟いた。カリンやメイは報告する事がないが、フラッチェは囚われている間にどんな扱いを受けたのか、奴等はどんな会話をしていたのか、等と聞くべき事が山盛りである。
「起こしても大丈夫なんですか?」
「毒はもう抜けとるし、身体も問題あらへん。さっき言った通り熱中症に加えて、気が抜けたんか疲労かで意識無いだけやから。むしろ起こして水飲ませたった方が体に良いくらいや」
そう言うと、カリンは優しくフラッチェの肩を揺すり始めた。近くに、やや温めの水を用意しながら。
「フラッチェー、起きやー。朝やでー」
「……んー」
肩を揺すられたフラッチェは、何やら苦々しい表情でうなされている。悪い夢でも、見ているのだろうか。
ならば、尚更さっさと起こしてやった方が良い。カリンはそう判断して、揺する力を強め────
「……まさか魔族に女にされるとは……」
「……あん?」
寝惚けているのだろうか。フラッチェの口からそんな寝言が溢れた。二人はその寝言の意味を数秒考え込んだ後、
「……っ!?」
二人は戦慄し凍りついたのだった。
「カリンさん? 今のって……」
「落ち着きや。まだそうと決まった訳じゃあらへん」
寝言とは、基本的に脈絡もないものである。事実とは全く違う、夢で見た内容を口走っただけかもしれない。
だが、一方で。人型の魔族が人間の女を性的に食べると言うのは太古から存在した魔族被害である。
獣型の魔族は、人間には発情しない。だが、例えばゾンビの様な人間に近い風貌の魔族は、平然と人間の女を性的に食べるのだ。
────人型の魔族の捕虜となった、女剣士。どんな扱いを受けていたとしても、何も不思議ではない。
「一度、話を聞いて確認せにゃいかん。勘違いやったら笑い話で済むやろけど……、勘違いやなかったらフラッチェのケアが必要や」
「……はい。その、そういう話であればあまり多くの人に聞かれたくは無いでしょう。私は席を外して、人生経験豊富な修道女たるカリンさんにお任せしようかと────」
それは、まだ成人していないメイにとっても酷く残酷な事実だった。
冒険者は常に、死と隣り合わせである。女性冒険者には、こんな非道が降りかかる。そんなことは知識として知ってはいても、レックスの傍らで過ごしてきた彼女に現実味が無かった。
正面から受け止めるには、重すぎる。とてもじゃないがらフラッチェの一件はメイの手に余った。……だが、カリンの反応はと言うと。
「すまんなメイ。ウチの代わりに、フラッチェに話聞いてやってくれんか?」
「え? はい?」
彼女は既に立ち上がっており。キラリと歯を光らせメイに微笑んで、脱兎のごとく逃げ出した。
「ウチにも事情があってな、今回は力になれへんわ! すまん、フラッチェ頼んだで!」
「ええっ!?」
そう、なんとカリンはメイに全て押し付けて、足早に立ち去ったのだ。残されたのは、フラッチェに膝枕をしていたメイだけ。
「か、カリンさーん!?」
修道女はそのすがるようなメイの叫びを無視し、エマを囲むレックス達の元へ走り去る。
厄介ごとを丸投げしやがった、と言うのがメイの率直な感想だ。心の中で怨嗟の声を上げながら、膝枕をしているメイは動くことすら出来なかった。
────だが、本当にカリンにも事情はある。そう、フラッチェの不幸を察した彼女の中の悪魔が、高笑いしていたのだから。
今の自分がフラッチェの前にいたら、きっと満面の笑みで快感にもだえる事となるだろう。それは彼女の神経を逆撫でするだけだと、カリンはよく知っていた。
ついでに彼女は、見捨てられたメイの絶望顔にも若干興奮していたりする。カリンの本質は、やはり悪魔なのだ。
「……はっ!? ここは?」
「あうっ! フ、フラッチェさん目が覚めましたか」
そして、残念なことに。メイがカリンに向けて叫んだ直後、女剣士フラッチェは目を覚ましてしまった。
「ああ、そうか。私達は上手く逃げ出せたんだったな」
「そ、そうなんですよー」
ふるふる、と頭を振って現状を確認する女剣士。メイは気を使って、目覚めてしまった女剣士にどう声を掛けるかを考え抜いている。
見た感じは、普段の彼女と変わりない。だが、メイから見て彼女の表情はどこか暗い気がした。なんというか、そう。何かに絶望しているかの様な。
言葉を間違ってはいけない。幼い黒魔導師は目を白黒させながらも、丁寧に会話を続けていった。
「……あ! あの、フラッチェさん。その、向こうで、ですね? レックス様達が、洞窟の中で何があったのかを報告しあってまして」
「……そうか」
「その。べ、別に言いたくない事なら言わなくてもいいんですけど? その、フラッチェさんは捕まっている時に、何があったのかなぁって聞きたくてですね……」
それもご丁寧に、直球ど真ん中の質問を。その発言した直後、メイはハッと顔を青くした。
やばい、いきなり核心をついてどうするんだ。それとなく、遠回しに聞いた方がフラッチェも話しやすかったのではないか。
わたわたとメイは手を振って、やっぱり「今の質問はなし」と言おうとした瞬間。
「別に。……何もなかったよ」
「そ、そ、そうなんですねー」
フラッチェは物凄く落ち込んだ顔で、静かにそう答えた。
……絶対に嘘だ。とても口には出せない様な、何かがあったに違いない。あんな長時間拘束されていて、ずっと放置されていた筈がないのだから。
カリンさん助けて。当たりです、フラッチェさんは残酷な目に遭ってます。
「それでですね、そのー。カリンさん曰く、フラッチェさんの毒はもう抜けているみたいで。み、水を飲んで熱中症の対策を、と……」
「わかった、ありがとう」
メイの勧めるがまま、フラッチェは静かに水を一杯飲み干した。その、僅かな時間にメイは思考をフル回転させた。
フラッチェをどうすべきか。気丈な性格の彼女の事だ、きっと誰にも知られたくないだろう。でも、気付かないふりをして一人苦しませるのも違う気がする。
踏み入るべきか。気付かぬふりをするべきか。こういうのは大人の女性たるカリンさんに相談したいのに、あの女は我先にと逃げ出しやがった。きっと彼女は役に立たないだろう。
次点で相談するとすれば……。
レックス様は論外。フラッチェさんからして、最も知られたくない相手の可能性が高い。
ペニー将軍は、なんとなく無能臭がするな。エマちゃんは、って自分より年下の女の子にこんな相談できるか。
で、だ。クラリスは……。悔しいけど、頼りになるかもしれない。あんなパッパラパーな態度をして、間違ったことはそうそう言わない。見た目はともかく大人の女性だし、あれで恋愛経験も豊富らしい(本人談)。
非常に腹立たしいけれど、あの駄姉に相談してみるか────
「なぁ。メイちゃん、さっきからどうして黙り込んでいるんだ?」
「ぅえ!? な、何でもありませんよ?」
「……そうか」
女剣士は、そんな水を飲み終えた後ずっと硬直しっぱなしのメイを不審げに見つめていた。百面相の如く表情を変えながら無言で硬直する人間を見たら、そりゃあ誰しも不審に思う。
そして、
「なぁ、メイ」
「な、何でしょう?」
「私。変な寝言、言ったりしなかったか?」
フラッチェの方から。メイに核心の質問を投げかけたのだった。
さて。
さっきからメイちゃんの様子が、明らかにおかしい件。
「な、何も寝言なんて言ってませんよぅ? へ、へ、変なことを言いますねぇフラッチェさんは?」
唇をアヒルの如くゆがめ、視線を上下左右に揺らしながらすっとボケるメイちゃん。なんかホンワカして可愛い……、じゃなくて。
メイちゃんは明らかに、何かを誤魔化している。洞窟から逃げ出してここに走りこむまでは、こんなことはなかった。どうやら、意識を失っている間に俺は何か口走ったらしい。
そして、その内容も何となく察しはつく。だって、俺が先ほどまで夢でうなされていた内容は……『魔族により性転換させられた』夢なのだから。
混乱し何かを隠しているメイのこの態度。先程の俺が魘されていた悪夢。それらを組み合わせ考えるに、つまり俺の口走った寝言は。
────俺が元男だという事実を示唆する台詞!
やばい。俺が元男だとバレ、それがレックスに伝わったら……、即座に俺の中身まで看破されてしまう。さすれば俺は女同士と嘯いて水浴びもしたことがあるし、調子に乗ってカリンに襲い掛かったりしたのだ、俺の品性が疑われるだろう。
まずいぞ。俺はどんな寝言を口走ったんだ? 落ち着け、まだ慌てる時間じゃない。寝言だけで男だと確信されるようなことはまずない、きっとまだ疑惑を持たれている程度なはず。
「……嘘が下手だな、メイ。私は何か言ったのだろう?」
「うええ?」
びくん、とメイの肩が跳ねる。どうやら図星らしい。メイちゃんは嘘をつくのに慣れていないな。
だが、これは非常にまずい事態だ。何とかして、メイちゃんを口止めしないと。
「私が何を口走ったかは知らないが、頼みがある」
「は、はい。いや、嘘じゃないですけど!」
「どうか。何も詮索せず、私の寝言をお前の胸の中だけにしまっておいて欲しい」
だから俺は、下手に弁明せず頼み込んだ。きっと何を言っても、言い訳は疑いを深くするばかりだから。
メイちゃんは優しい娘だ。きっと真摯に頼み込めば、言いふらしたりはしない筈である。
「フラッチェさん。それは……」
「頼むよ。誰にも言わないでくれ」
「……。はい、わかりました」
その、俺の真摯な態度が功を奏したのか、メイちゃんは黙っていてくれるようだ。やはり人間、変な小細工をせず真心を込めて頼むのが一番である。
「ですがフラッチェさん。辛いことがあって、自分では抱えきれないって感じた時は、私に相談してくださいね」
「……ありがとう、メイちゃん」
ああ。彼女の優しさが心地よい。男に戻れない絶望で、深く傷ついた俺の心を癒してくれる。
だが、こんなことを相談するわけにはいかない。俺は性別を嘘で誤魔化している立場だ。卑しい自分の精神が情けなくなってくる。
いつかは、全てを白状せねばならないだろう。だが、今の打ちのめされた精神で暴露する気にはなれない。今皆に嫌われてしまったら、俺はきっと立ち直れないから。
「では、行くか。エマに報告せねばならないのだろう?」
「はい。……大丈夫ですか?」
「ああ。と言っても、大半は意識がなかったのでな。あまり大した報告は出来んが」
「意識が……? ああ、成る程」
そう言って立ち上がった俺を、メイちゃんは何故か痛ましい表情で見ていた。何なんだろう。
『失神するほど激しかったんですね……』
その時、メイちゃんが何かを小さく呟いて、物凄い寒気が俺の背筋を走った。
何やらおぞましい中傷を受けている気配。誰だ、俺の変な噂を流している奴は。さてはレックスか、いやレックスだな。野郎ぶっ殺してやる。
俺は男に戻る方法が無くなったことを今は忘れて、レックスへの特に理由のない怨みを掲げ、取り敢えず突進したのだった。
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