第10話

 その修道女は、悪だった。


「お前なんか拾うんじゃなかった!」


 彼女が心から尊敬していた神父は、そう吐き捨てた。彼女の周囲から侮蔑と罵倒が飛び交い、投げつけられた石が幼い少女の頬を赤く切り裂く。


 誰も味方はいない。誰も彼女を庇わない。


 仲が良かった教会の孤児仲間も、家族だと思っていた老齢の神父も、皆が修道女を敵視していた。


 呆然と立ち尽くす幼い修道女は、村の同胞からの叱責と罵倒に耐えきれずヨロヨロと歩き出す。村の出口を目指して、たった一人で。


「出ていけ! この悪魔め!」

「お父さんを返せ!」

「お前のせいだ、お前の……」


 フラフラとした足取りで逃げるように歩むその少女に、無数の石礫が放られる。


 その痛みに必死で耐えながら、全身を傷だらけにしてもなお少女は追いたてられた。やがて、村を出て彼らの罵声が届かなくなった頃に、ようやく彼女は地面に腰を下ろす。


「……神父様、ウチは、ウチは……」


 その瞳には、涙が浮かぶ。治癒魔法を使うことすら忘れ、少女はポロポロと大粒の涙が零れ出した。


 幼い修道女は薄汚れた手を握りしめ、ゆっくりと村を振り向いて────



 彼女が逃げ出したその村から、既に数多の火の手が上がっているのを見た。


「あ────」


 そう言えば先程から、罵声が悲鳴に変わっていた。村から逃げ出すのに夢中で、それに気が付かなかった。


 村は阿鼻叫喚だ。必死で家を叩き壊し延焼を防ぐ者、呆然と立ち尽くし燃える我が家を眺める者、崩れ落ちる教会の十字架の前で必死に雨乞いをする者。


 少女は、村から背を向けて逃げ出したことを悔やむ。彼女は素早く自身の傷を癒し、村全体を見渡せる丘へ走り出した。


「あ、は────」


 そして、村は滅び行く。


 紅蓮の炎を包まれて、回りの木々を巻き込みながら炎は増長していく。ああなれば最早、人間の力で消火するのは不可能だ。


 絶望に染まった、人々の顔。泣き叫びながら、夫に抱かれ家を捨て逃げ出す女。


 その姿を、狂騒を、修道女は安全な丘の上から見下ろして笑った。


「あは、は────」


 その修道女は悪だった。


 誰かが傷付くその瞬間こそ、彼女にとって至福だった。


 修道女は、火薬で汚れたその手を拭いながら快感にうち震える。彼女は自分を育ててくれた神父が好きだから、心の底から尊敬していたから、教会には念入りに火薬を仕掛けていた。


 やがて、爆音と共に教会は崩れ落ちる。多くの孤児を引き取り、育ててきた皆の故郷が無惨に焼け落ちる。


 修道女カリンの故郷が、これで無くなった。


「あはははははは!!」


 笑いが止まらない。ゾクゾクとした快感が、修道女の背筋をひくつかせる。


 手さえ汚れていなければ、彼女はきっと自分を慰め始めただろう。それほどに、刺激的で蠱惑的な時間だった。


 「あーっはっはっはっは!」




 その修道女は、満面の笑みを浮かべ。


 快感に頬を緩ませながら。


 ────やはり、泣いていた。














「だから、言うてるやん。ウチに近付かんといてって」

「断る、俺は決めたからな。お前は俺様のパーティの回復担当になれ」


 そして修道女は、故郷から逃げ出した。


 遠い町まで移り、たった一人、ソロの冒険者として各地を転々と巡り歩くようになった。


「話を聞いてなかったんか? ウチがいかに悪い人間か。どれだけ罪深い女か」

「聞いてたさ」

「なら、関わってくんなや。ハッキリ言うたる、ウチの外面が善人ぶっとるのは『信じてくれた人間を裏切る瞬間』に快感を感じてるからや」


 その修道女は冒険者となった後、瞬く間に人気者になった。


 見目麗しいだけでなく、快活で明るい修道女。彼女は貧しい人間には安く治療を提供し、どんな冒険者だろうと分け隔てなく接した。そんなカリンを自分のパーティに入れようと躍起になる冒険者も多かったが、彼女は絶対に誰かの仲間になる事は無かった。


 修道女は常に、一人ぼっちだった。


「他人が絶望するその顔に、快感を得る。それが、自分を信じてくれた人ならなお心地よい。成程、カリンはそういう人間なんだな」

「その通りや。生まれついての悪魔、それが私や」

「……バカバカしい。もういいだろ? それ以上自分を傷つけんなよお前」


 そんな修道女に、今日も一人の男が『仲間になれ』と勧誘している。にべもなく断っても、その男はしつこくしつこく食い下がってきた。


 修道女に、苛立ちが募る。フラれたならおとなしく引っ込んでいろと、内心で憤る。彼女には、誰かと仲間になるつもりなど欠片もないのだ。何故ならば、


「いくら他人を傷つけたくないからって、ずっと一人でいることはなかろうに」


 彼女は誰かの近くにいると、いつかその人を傷つけてしまうのだから。


「お前は悪魔なんかじゃねーよ、カリン。ちっと性癖が歪んでるだけの、頭にドが付くお人好しだ」

「アンタ、は。何を言って────」

「お前が故郷に火を放ったのだって、冤罪で周囲から罵倒されてショックで理性のネジが外れたからだろ。キチンとお前の話を聞かなかった神父とやらが悪いよそりゃ」

「でも、ウチ、無関係の人まで巻き込んで」

「あー、そりゃよくねぇな。でもよ、お前死人だけは出さなかったんだろ?」

「それはっ……、死んだら絶望する顔が見れないからや。ウチがしたいのは殺しやなくて、他人を絶望に叩き落すことで」

「どこに行ってもお前に関して良い噂しか聞かねぇけどな。慈愛の女神だの、高嶺の花だの、冒険者の母だの。ここ数年、誰かを一度も絶望させたことなんかないんだろ、カリン? ……お前はむしろ優しすぎるんだよ」


 そんな、孤独によって乾ききった彼女の心に。その男は一人、土足で踏み入ってきた。


「『信頼された人間の絶望する顔が見たい』、確かにそりゃ歪んだ性癖だな。でも俺様はお前が気に入った。お前の誰よりも優しい心が気に入った。だから、俺様はお前を信頼する」


 その言葉は、修道女にとって喉から手が出るほど欲しかった言葉で。彼女は生まれて初めて、自分ですら理解していなかった自身の本性を理解して貰えた。


「俺様でよければ、いくらでも絶望の底に叩き落して良いぜ。その代わり、お前は俺の仲間になれ」


 その男は自信満々に笑い、修道女に向かって手を差し伸べた。


「俺様はレックス。この世界で最強の男だ。俺様を絶望させるのは、ちょっとばかり骨だぞ?」


 そしてこの日、一人の修道女がレックスに救われた。


















 と、言う訳で。


 いつも安穏と事態を俯瞰していたくせ、内心では色々と複雑な感情をレックスに向けていた修道女カリンは。


 ポっと出の『頭が緩くてチョロそうな剣士』にレックスを掻っ攫われそうになり、落ち着いた佇まいに反して見た目よりテンパっていた。


 彼女のレックスへ向ける感情は、恋慕というより『家族に向ける愛情』に近い。理解して貰えたことによる感謝、一緒に過ごす安心感、大きすぎるレックスの精神に対する憧れ。それは、ファザコンの娘が父親に向ける感情によく似ていた。


 メイという黒魔導士がレックスに懸想している様子を見て最初は警戒したものの、レックスにその気は無さそうだと感じ現状維持としていた。


 カリンには、自分がレックスに好意を抱いている自覚はあるのだ。ただそれが恋慕とは違うものかもしれないから、メイの様子を窺いつつ平和に3人でパーティを組み続けていた。




 そしたら。まさかの3人目の仲間フラッチェに、レックスは本気で熱を上げていそうなのだ。




 カリンから見て、彼女の印象は『馬鹿』である。簡単に挑発に乗り、数秒後に地べたに寝転んでいる弱い剣士。そんな彼女と剣を重ねるレックスは、今まで見たことがないほどに生き生きとしていた。


 そんな剣士に妬いて少し小馬鹿にしてみれば、レックスはすぐさま彼女のフォローに回った。それがますますカリンの神経を逆なでした。


 メイの話によれば、親友が死んで落ち込んでいたレックスに何かを言って励ましたらしい。カリンは、絶望しているレックスの顔に興奮しニヤニヤしてしまうので面と向かって慰めることが出来なかった。


 自分の性癖を、カリンは呪った。だが、もはや後の祭り。はた目から見てレックスは、どう見てもフラッチェに惹かれ始めている。


 ただ、唯一幸いな点があるとすれば。フラッチェ側は、レックスを欠片も意識していなさそうな点である。


 彼女はレックスを異性というより、剣の目標として定めている節がある。だが、裏を返せば剣の目標からいつ『恋の目標』に変わるか分からない危険な状態でもある。


 カリンは悩んだ。そんな内心をおくびにも出さず、ニコニコ笑って普段通りの自分を演じながら。


 そんな悩める彼女に、夜、悪魔が語り掛けてきた。


『もし、お前がフラッチェを寝取ってしまえば。好きな娘を女に寝取られたレックスはどんな顔をするだろうなぁ?』


 神に呪った自らの性癖が、また悪い事をカリンの耳元で囁く。


『言ったじゃないか。レックスは、好きなだけ自分を絶望させても良いって』


 彼女は混乱する。カリンに同性愛の趣味は無いのだ。だが、その悪魔の提案はひどく合理的に感じた。


 フラッチェとレックスを引き離せるかもしれない。レックスの絶望が見れるかもしれない。ぐるぐる、ぐるぐると視界が回り始めて。


 そして。


「本当にかわええなぁ、フラッチェは」


 ……今に至る。


「ふぁっ……」

「ふふふ、スケベな声出して。しゃーない娘やなぁ」


 混乱の極致に至ったカリンは、自分でもよく分からないままフラッチェに夜這いをしかけた。


 その頭の弱い剣士もカリン同様に困惑しきっている。夜這いをする側もされている側も、混乱の最中という悲惨な状況だった。だが、カリンの頭の片隅に残っていた冷静な部分が、これを好機と判断してしまった。


「さて、もうええやろ。ウチとエエコトしよっか、フラッチェ……」


 フラッチェは頭こそ弱いが、性格は生真面目で常識的なのだ。もし、正気に戻って対応されたら長い長い説教が待っているだろう。


 彼女が混乱している今こそ、攻めなければならない。正気に戻る前に、行くところまで行かねばならない。


 そして。






「……本当に良いんだな?」

「へ?」






 カリンは、気付く。


 攻められている筈のフラッチェが、ほのかに興奮し始めていることに。


 そう。フラッチェは何と、女性に興味がある女性レズビアンだったのだ。グルリと反転したその女剣士は、いつの間にかカリンに覆いかぶさり鼻息荒く見つめていた。


 その瞳には、紛うことなく性欲が宿っていた。






「ひゃ、ひゃああああ!?」

「……えっ!?」


 そして先に正気に戻ってしまったカリンが、現状を把握して絶叫し。


 慌てて駆けつけてきたレックスとメイに、女二人、裸で組み合う姿を目撃され阿鼻叫喚となるのは別のお話。

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