サバイバー・テスタメント

柏沢蒼海

再訪

 思わず瞼を閉じたくなるほどの、真っ白な景色。

 前も後ろも、目の前も、道の輪郭すらわからない。


 目を凝らし、僅かな起伏を読み取る。

 微かに残った轍、それを頼りに車線を探り出した。

 

 ――さすがに、レンタカーで事故を起こしたくないな。



 自分でハンドルを握るのは、おそらく半年ぶり。

 意外と身体が覚えていてくれるもので、雪上走行も難無くやれている。

 

 東北の田舎町、僕の故郷。

 今は関東で作家業をやっている身分だが、家族からの依頼でここに戻ってきた。

 

 耳に付けたインカムから電子音が鳴る。

 設定した着信音、どうやら誰かが電話を掛けてきたらしい。運転中は携帯端末を取り出すわけにはいかない。

 警察車両がそれほどパトロールしていないとは言っても、遵法意識は必要だ。

 

 インカムのボタンを押し、通話を開始。

 すると、聞き覚えのある声が流れてくる。



『――アンタ、どこまで来たの?』


「帰郷した息子に開口一番がそれか」

 通話相手は母、どうやら心配になったらしい。

 普段は無口な弟と2人暮らしでは、たまに違う人間と話したくなるというやつだ。別に帰郷する用事以外でも、電話で話すことは珍しくない。


「今、端縫町はぬいまちに入った」


『そうかい、今吹いてる?』

「いいや、視界はクリア。今朝降ったの?」


『そうそう、パウダースノー。除雪しなくて助かるわぁ』


 わざとおどけるような物言いをする母。

 いつもの調子で安心だ。



「実家付近はちゃんとしてくれたんだろうな」


『もちろん、あたしとレツでしっかりやりましたよ。前玄関しかやってないけど』


「助かるよ」


 母と弟は実家にいない。

 実家は父方の持ち物、特に思い入れも思い出があるわけでもない。

 


『……それで、どれくらいこっちにいるの?』


「9泊10日って感じかな」

『それで本当に片付けられる? いっぱいあるよ~』


「残りはやってくれ」

『いやです~』


 僕だって暇ではない。

 この滞在期間だって、担当編集に相談して捻出した時間なのだ。


『電気と水道は使えるわよ。昨日、確認しといたから』


「いやいや、行ったなら遺品整理やれよ」

『なんで? あたしはもう他人ですぅ~』


 ――やれやれ、いつもの流れか。


 今回、僕が実家に滞在する理由は単なる帰省ではない。

 随分前に亡くなった祖父、その遺品整理。

 亡くなった当時にすればよかったのだが、気が付けば家を取り壊す直前まで誰も手を付けなかったらしい。



 話している間に、もう実家がある辺りまでやってきた。

 [寺通り]という地区、端縫町の中心地からちょっと外れにあり、そこまで広くもない道路の両側に家々が並ぶのが特徴的な景観。

 こういう場所は除雪が面倒だ。前にも横にも家が建っているから除雪車が走った後は歩行者も車も苦労する。


 大きな道路に繋がっているため、大型車両が通行するのも問題だった。

 特に冬期間は対向車がいると通行できないことも多かった記憶がある。



「現着、鍵は――」

『スノーダンプの陰に置いてるから』


「不用心だなぁ」


『どうせ、盗まれて困るようなモノなんて無いし』


「はいはい……じゃあ、切るぞ」


 インカムのボタンを押し、通話を切断。

 道路から引っ込んだ位置にある家の前に、レンタカーを駐車。

 助手席に置いた荷物を背負いながら、降車する。


 肌を突くような寒さ、切り裂くような風の音。

 ふわりと小粒の雪が舞い降りる。



 東北の冬、特に豪雪地帯である端縫町の冬期間は地獄だ。

 早朝に除雪、降雪量が多ければ昼や夕方にも除雪。


 こっちで住んでいた時は『ウィンタースポーツ、雪かきYUKIKAKI』なんて自嘲していたものだ。



 早速、母が言っていた鍵の隠し場所を探す。

 玄関に乱雑に置かれているスノーダンプ、冬の田舎民の相棒。これが無ければ雪かきなんてやれない。

 その裏、陰になっている部分に小さなケースが置かれている。

 プラスチックのタブレットケース、錠剤とかを入れるようなモノ。内部の仕切りは外され、半透明なケースの中身は丸見えだった。


 ケースから鍵を取り出し、玄関を解錠。

 10年近くぶりの実家に足を踏み入れる。


 だが、これといって感慨は無い。


 

 玄関を開けてすぐ目に入ったのは、真っ赤なポリタンク。中身は灯油のようだ。

 母か弟の温情らしい。実家は古い造りなだけでなく、ボロボロ。隙間風だらけ、床暖房やエアコンなんてものがあるわけがない。

 冬の田舎では石油ストーブが必需品である。


 リビングには案の定、小さな暖房器具が置かれている。

 一応、ちゃんと掃除してくれたらしい。これならブレーカー入れて発火するようなことは無いだろう。


 荷物をリビングに置き、家の中を見て回る。

 水道、電源、各家電の状態を確認。問題は無いようだ。

 


 ――さて、何から始めるかな……


 今日で片付けをするのは非効率的だろう。

 まずは、滞在できるような状態にしなければ――


 

 実家は2階建て、1階は祖父母。2階は僕たちが使っていた。

 だが、2階はすっかり片付いていて何も手を付けるところはない。


 1階の寝室、そこに布団と毛布が置かれている。

 どうやら、わざわざ用意してくれたらしい。ここにも石油ストーブがあった。

 

 寝室とリビングに荷物を分け、住環境を整える。

 さすがに仕事をするつもりはないが、パソコンが無いとなんだか落ち着かない。  

 暇潰しに読む本を探すために、書店に赴く必要がありそうだ。


 作業を終え、町内にあるスーパーへと向かうことにした。

 昔は数店舗あったが、もう閉店してしまったらしい。これも地方の悲しき実情。

 再びレンタカーに乗り込み、町に残った唯一のスーパーモールに移動。

 肌を刺すような外気から逃れ、店内を散策する。


 品揃えは普通、値段もそれなり。こんなものだろう。

 必要な物を買い物カゴに入れて、店内を進む。


 すると、不意に視線を感じた。

 背後から近寄ってくるのは、比較的若い女性。

 気にせず買い物を続けようとしたところ、声を掛けられてしまった。



「あの、もしかして……白木しらぎ君じゃない?」


 その声、顔に覚えは無い。

 見た目的には、僕と同年代くらいだろうか?


 買い物カゴには根菜と豆腐のパック、調味料がいくつか。

 これに肉か魚が入れば、鍋料理か汁物になるだろう。

 彼女も買い物の途中のようだ。




「ええ、そうですけど」

「やっぱり! カツ君だぁ~!」


 僕の手を取り、ブンブンを振り回す。

 目を輝かせて……まるで子供みたいだ。



「あの……お名前を聞いても?」


「えっ?」


 表情が固まり、驚愕の色に染まる。

 想定していなかった返事だったに違いない。


「私のこと……覚えてない?」

「はい」




「……小中高って一緒だったけど?」


「関わりがない人のこと、覚えていられないもので……」


 形だけでも申し訳なさそうにしていると、観念したように大きな溜息を吐く。

 仕切り直すように、彼女は話題を変えてきた。


「東京に行ったって聞いてたけど、帰ってきたの?」


「滞在は1週間くらいですね」

「寺通りの実家にいるの?」


「そうです」


 本当に彼女と面識は無い。

 だが、向こうは僕のことをよく知っているらしい。


 まさか、地元に僕のことを覚えている人が残っていたとは驚きだ。



「私はマコト、黒沢真琴まこと……思い出してくれた?」


 頭のどこかでその名前が引っ掛かる感じはしない。

 多分、学生時代の時も大して交流はしていなかったのだろう。


「すみませんが、全く」

「――覚えてないんかいっ!」


 騒々しいやりとりだが、周囲は耳の遠い老人ばかり。注目を集めることは無いようだ。



「……ところで、カゴに入ってるバナナとプロテインって……もしかして、滞在中はこれで過ごすつもり?」


「朝はこれで充分ですよ」


 事実、これで生活できる。

 昼食や夕食は外食で済ませてもいいし、インスタントやレトルト食品もある。

 1週間くらいなら、大したことはない。



「ふーん……そうなんだ」


 にやにやと笑みを浮かべる彼女、なにやら嫌な予感がしないでもない。


「もしかして、僕の実家……来たことある?」

「……どうかしらね、場所は知ってるけど」


 不敵な笑みをしたまま、マコトはその場から去った。

 


 ――妙な人だ。


 同級生に出逢えたのが嬉しかったのだろうか、それだけ地元に残っていないというわけだ。

 実際、僕も上京している立場だ。顔見知りに遭遇した時の気持ちというのはわからない。



 気を取り直して、買い物を済ませる。簡単な食料、飲料、菓子を少々。

 会計を済ませ、店を出る。

 再び、恐ろしく寒い外気によって憂鬱な気分にさせられながら、実家へと戻った。



 やることは少ない。

 簡単な昼食を取り、調達した地域指定のゴミ袋や掃除用具を準備していると外はすっかり暗くなっていた。

 東北地方の冬期間は日照時間が短い。不健康になる要因と言われているのだが、僕はこの日没が早まることに何も思うところはなかった。

 どうせ、暗いことには変わりない。冬の空は日中でも薄暗いものだ。


 

 シャワーを浴び、適当に買ってきた惣菜で夕食にする。

 久しぶりに原稿や仕事に追われず夜を過ごせると思うと、妙な感じだった。

 別に仕事が嫌なわけではない。常に何かを考えていないといけない状態を保ち、寝ても覚めても考えをまとめ続ける。

 僕にとって仕事は、どんな状況でも変わらず仕事のままだ。


 不意に、携帯端末が点灯。

 振動と軽快な音楽、画面に表示されたのは――僕の担当編集の名だ。



 ――無粋なヤツだな。


 せっかく、予定を共有して休んでいるというのに、わざわざ連絡を入れてくるとは……悪い人ではないのだが、少し融通の利かないタイプだった。



「……もしもし?」

『――ああ、どうも先生。そっちはどうです? 寒い? 雪がたくさんあるんでしたっけ? スキー持っていこうかなぁ』



「用件は?」


『……あはは、ちょっと心配で掛けました。すんません』


 連絡もマメで、相談にもしっかり乗ってくれる。

 だが、馴れ馴れしいところが問題だ。他の編集担当より仕事ができるとは思わないが、可愛がられるタイプには違いない。



「もしかして、例の件のこと?」


『そうです、タクトレですよ。タクトレ――』


 タクティカルトレーニング。

 一般的には重火器の取り扱いを含めた、射撃による戦闘術や連携のトレーニングを指す。


 アクション物を書く作家の繋がりで、有識者や専門家から訓練やレクチャーを受けるという会がある。 

 映画監督やら作家や脚本家が集まって、みんな仲良く汗を流すイベントだ。


「君の紹介と参加申請しといたよ。参加費は……半分出してもらうけど」


 編集担当の最上君は根っからのアクション好き。特殊部隊物が大好物らしい。

 噂で『アクション作家の秘密合宿』のことを耳にしてしまったようで、わざわざ僕に頭を下げて参加を懇願してきた。

 極秘にしているほどでもないみたいだが、場所や日時は口外禁止。

 部外者は当然、参加できない。



『いや、ホントありがたいっす……! これで井押監督にサインと――』

「趣旨が違うぞ」


『――先生はインストラクターや元特殊部隊の人から指導受けたんすよね? もう参加する必要無いんじゃないですか?』


 たしかに、先輩作家からの紹介で色んな人を取材し、トレーニングを受けた。

 だが、知識や技術というのは聞きかじった程度では使い物にならない。

 

 適切な訓練、反芻、復習。専門技能というものは積み重ねが重要だ。



「……まぁ、そうかもね」


 度が過ぎれば、僕の身体が持たない。

 兵士ではなく、作家。極めるつもりはないが、間違った知識を書くわけつもりはない。



『戻ってきたら、早速アキバ行きましょう。装備を揃えなきゃ』


「今ならネットショップで安く揃うよ、無理にショップで高いのを買わなくていいじゃないか」


 トレーニングに使うトイガンは僕のを貸すつもりだし、新しいギアメーカーがどんどん出てきて、装備品は安くなっている。

 サバイバルゲームへの参入コストも低くなり、エアソフトはちょっとしたブームになっていた。



『先生はわかってないなぁ……』


「はいはい、じゃあ切るよ」


 まだ何かを言おうとしていたようだが、これ以上無駄話に付き合うつもりはない。

 携帯端末を操作して、通話を切断。




 ――さて、そろそろ寝るか。


 作家は夜遅くまで起きて作業する、そんなイメージがある。

 もちろん、そうしなければならない状況もあるが、平時までそれをやっていては身体が壊れてしまう。


 早寝早起き、生活リズムを崩さずにしっかり食事と睡眠を取る。

 インプットとアウトプット、物を書く生活を作り上げなければならない。


 しかし、今は違う。

 久しぶりの運転や豪雪地帯の寒さで身体は疲労困憊のはずだ。


 

 肌寒い寝室、まだ冷たい羽毛布団に包まって、意識が闇に落ちるのを待つ。

 そう時間は掛からず、ゆっくりと眠りにつけそうだ。


 この1週間、ゆっくりと過ごせたら最高だろう。

 身体を動かす機会はいくらでもあるし、やるべきこともある。

 


 考えることも、動くことも、明日からでいい。

 そうして、僕は――――静寂に身を委ねた。

 

 



 



 



 





 

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2024年12月14日 21:00
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サバイバー・テスタメント 柏沢蒼海 @bluesphere

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