転校、その意味

 季節は進み、今は三月。


 まだまだ寒い日が多い。

 昼休み、クラスの男子達は給食も早々に済ませ、ぱぁっとグラウンドに駆けていき、ドッチボールを始めた。


 ケンは教室でノートに落書き中。

 帆柱山にクミと登って見た景色。あそこで見た海の先にまた陸があったけど、さらにその先はどうなっているんだろう? 大きな海が広がっているのかな。

 ケンはノートに色鉛筆で、遠近法を使って、順に、陸地→海→陸地、そして広い海と描いていった。


「へえ、やっぱりケンは絵がうまいね。」

 席に戻ってきたクミが、ノートを覗き込みながら感心している。


 そして、クミは、ケンの色鉛筆のケースから緑色を取り出し、ノートに描かれている広い海の真ん中をぐりぐりと丸く緑色に塗りつぶした。

 ケンは、いいか加減ぼくの作品を台無しにしないで、と言おうとしたが、その前にクミが真顔で話し始めた。


「あの陸の向こうには海が広がっていて、そこには島がいくつかあってね。人が住んでいて、学校もあるのよ。」

「へえー、よく知ってるね。」


「わたしのお父さん、小学校の先生なんだけど。」

 ケンは、ケーブルカーの山麓駅で会ったクミのお父さんの顔を思い出そうとしたが、あまり覚えてなかった。そんなに怒ってなくて、何か笑ってたような気もする。


「・・・わたしのお父さん、四月からそこで教えるんだ。」

 ケンは、話の先がどこにいくのか、よくわからなかった。


「ふうん、それで?」

「転校。」

「転校?」


「・・・わたしもお母さんも、そこにいっしょに行くの。」

「そうなんだ。」


 クミは、ノートに自分で描き足した島を見つめている。そのまま話を続ける。

「今度行く小学校にはね、児童が全部で20人くらしかいなくて・・・わたしも多分、お父さんにも教わるんじゃないかな。」


 話はそこで終わった。五時間目が始まるチャイムが鳴ったからだ。


「ただいま。」

「お帰り・・・あんた、クミちゃんのお母さんから連絡もらったけど、クミちゃん家、引っ越すんだって?」

「うん、そうみたい。」

 あの『帆柱山遭難未遂事件』以来、ケンとクミのお母さん同士、連絡をとりあっているようだ。


「あんた、大丈夫?」

 ケンの顔をのぞき込む。


「こいつ、今イチわかってないんじゃない? 転校ってどういうことか。」

 高学年なのに、なぜかケンより早く家に帰ってアイスを食べているお姉さんが話に割り込んでくる。


「うるさいなあ。ほっといてよ。」

 ケンは冷凍庫からカップのアイスを取り出し、スプーンも持って居間を出ていく。


 ありゃあ重症かもね、という姉の声が、階段を上がるケンにも聞こえた。


 ランドセルをベッドの上に放り投げ、アイスのふたを開ける。

 もちろん、クミが転校するって、どういうことかわかっているつもりだ。

 住むところが変わる。学校が変わる。


 ・・・つまり、ここからいなくなる。


 今まで隣りの席に座って、授業を受け、お弁当を食べ、級長、副級長としてクラスの仕事をしてきた。放課後も時々一緒に遊んできた。


 それが全部できなくなる・・・一緒にいられない。

 それが信じられないだけだ。いや信じたくないんだ。


 涙がこみ上げてくる。アイスを食べることに集中して、泣きたい気持ちを忘れよう。泣いたら、クミが転校するという事実を認めてしまうことになるから。


 もちろん、ケンはそれに失敗しちゃう。

 アイスのカップを勉強机に放り投げ、ベッドに飛び込み、ふとんに潜る。泣き声が聞こえないように、枕に顔を押しつけて泣く。ずっとずっと泣く。


 今頃になって、今日クミがどんな気持ちで転校のことを話したのか、気になってくる。あの時のクミの表情。その時の自分の反応。


 泣きながら声にする。「ぼくはひどいやつだ。」と。


 カチャッとドアが開く音がしたけど、構わず泣く。

 ドアは静かに閉まった。



 終業式の日。


 体育館での終業式が終わり、行列を作って教室に戻る。

 担任の新原先生から一人ずつ通信簿が配られた。

 その後、先生は春休み中の生活の心がけと注意事項を説明し、最後にクミを教壇の上に招いた。


 「みんな、小学生になって、お友達がたくさんできたと思います。そのお友達の一人が、お父さんの仕事の都合で、別の学校に転校して行きます。残念だけど、引っ越した先でも元気に、友だちがいっぱいできるよう、みんなで応援してあげましょう。では、クミさん。一言あいさつをどうぞ。」


 クミは、教壇の上に堂々と立ちまっすぐ前を向いて、級長さんらしく、しっかりとお礼とお別れのあいさつをした。


 あの日、転校の話をしてからも、クミはいつもと変わらずケンに話しかけてきたし、普段通りにクラスの仕事も一緒にやった。ケンの方が、よっぽどよそよそしくしていたよ。


 ケンが机の中や教室の後ろの整理棚にある荷物を、一通り片づけた終わったころ、職員室にお母さんとあいさつに行っていたクミが戻ってきた。


 クミに近づくと、ケンは硬い表情で声をかける。

「クミ、途中までいっしょに帰れる?」

「・・・いいよ。あ、ちょっと待って。お母さんに先に帰ってもらうように言ってくる。」

 クミは荷物でいっぱいになった手提げ袋を持って、また教室出て行った。


「お待たせ、行こうか。」

 手ぶらで戻ってきたクミは、ランドセルを背負い、スタスタと歩いていく。ケンは慌てて後を追う。玄関まで来ると、クミは上履きを脱ぎ、上履き袋に入れてランドセルにしまう。ケンも靴をはきかえる。


 玄関を出るやいなや。

 クミは手提げを持ったケンの手をとり、ぐいぐいと引っ張っていく。行き着いた先は、体育館の裏。ここは、隣りの市立図書館の建物との間の狭いスペースで、誰も人が通らない。


 枯れ葉が積もっている地面の上に、二人は立ち止まる。

 ぼくは、ランドセルからプレゼントのリボンがついた包みを取り出す。

「これ。向こうに着いたら食べて。」


 クミは一瞬喜んだ。が、すぐに少し困り顔に変わった。


「ありがとう。開けていい?」

「うん。」


 包みを開け、箱の中身を確かめる。

 ケンがプレゼントしたのは、クッキーだ。何種類かの、『なんとかベリー』と名のつくドライフルーツが入っている。クミは果物が大好きだよね。

 ケンはお小遣いのありったけを財布に入れて、駅前のデパート地下のお菓子屋さんで選んだ。


 クミはクッキーの箱を包装紙で包み直す。

「ごめん・・・」

「?」

 手を伸ばし、包みをケンに返す。


「ごめん。お母さんからね、食べ物を絶対に人からもらっちゃいけないって言われているの。」

「・・・うん、そうだよね。こっちこそ、ごめん。」

 ケンは給食のことを思い出した。今ごろになって。なんでそんな大事なことを忘れていたんだろう。


 包みを受け取り、ランドセルにしまう。

 ランドセルのフタを閉め終わると、クミが声をかけてきた。


「ねえ、そのロボット。わたしのくまと取り替えっこしない?」

 すでにクミは、赤いランドセルからくまを取り外そうとしている。

 ケンもそれにならい、ロボットを取り外す。


「はい。」ケンはロボットを渡す。

「これ。」クミはくまを渡す。


 クミは、チェーンを持ってロボットを軽く振った。

「これ、ケンのロボットだから、『ロボケン』ね。」

「・・・じゃあ、これは、『クミくま』。」

「えー、なんだか可愛くない。」

 そう言いながらも、クミは微笑んだ。


 そして、真顔に戻ったクミ。


 ロボケンを持ったまま、ケンの顔を両手ではさんだ。


「ずっと、持っててね。」

 そしてー


 チューをした。右のほっぺたに。



 チューをした。おでこに。


 チューをした。左のほっぺたに。


 チューをした。右のほっぺたに。

 チューをした。おでこに。

 チューをした。左のほっぺたに。

 チューをした。右のほっぺたに。

 チューをした。おでこに。

 チューをした。左のほっぺたに。

 ・・・

 何度繰り返したか、わからない。


 そして、

 満足したのか、

 それとも。

 何度しても同じだと思ったのか・・・

 クミは、いよいよケンの顔から手を離した。


 二人は校門を出て左に曲がり、先に進む。

 あと十メートルくらいで大通りに出る。


 復興記念像の交差点まで来た。

 そこで、本当にクミとはお別れだ。


 クミは大通りを左に曲がり、ケンは右に曲がって横断歩道に向かう。

「バイバイ・・・またね。」ケンは、カラゲンキ気味に手を振った。

「・・・また会えるといいね。」弱々しい声でクミが答える。いつものお姫様らしくない。


 ケンは、信号が青になっても横断歩道を渡らずに、クミの後ろ姿を見つめてる。

 クミは、ゆるやかな坂道を歩いて行く。時々、振り返りながら。

 でも確実にその後ろ姿は遠くなって、小さくなっていった。


 家に帰ると、ケンは学校から持ってきた荷物を片づけ、洗濯物を出す。そしてランドセルからクッキーの包みを取り出し、居間に下りる。先に帰っていたお姉さんがテレビを見ていた。


「姉ちゃん、これ食べない?」

「何それ。誰かにもらったの?」

 ケンは、無言でうつむく。

「 そうじゃなさそうね。・・・ありがとう。もらうけど、あんたも食べなさいよ。」

 お姉さんはクッキーを三つ取って、箱をケンに返す。



 ケンもクッキーを一つ取り出し、かじる。赤や紫色の「なんとかベリー」がぽつんぽつんとくっついている。  


 それは、今まで食べたことのない味だ。なんとなく悲しくて、なんとなく大人の味。


「まあ、いろいろ大変だろけど・・・あんた、その味、覚えておきなよ。」

「・・・うん。」


 お姉さんはめずらしく優しかった。だから余計にケンは悲しくなっちゃった。

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