ゴヲスト・パレヱド ― 孤独な鬼は気高き狐に導かれ最強の退魔師を目指す ―

裡辺ラヰカ

序幕 狐を妻とした英雄譚

 狐をとして子を生ましめし縁


   日本霊異記上巻第二より


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 それはすでに遠い過去の出来事だ。

 寿永三年——西暦一一八四年。源平合戦の真っ只中、平安末期。


 各地で繰り広げられる源氏と平氏の争いによる血と不浄、治世の悪化による混沌は、人々の負の感情をこれでもかと煽った。

 現代と違い、科学など皆無と言っていい時代。不気味なものは不気味なものへ、ダイレクトにその感情がぶつけられる。


 ある雪が降る夜、それは現れた。具現化した、と言っていい。

 澱のように積み重なった負の情念は、その無限の瘴気はとうとう行き場を失い顕現し、他ならぬ生みの親であるヒトへ、その爪牙を振るい立てた。


 重苦しく立ち込めた赤黒い雲を破り、巨大な龍が裡辺りへん地方東海岸から接近した。現在の単位で一二〇〇メートルの全長に、直径一〇〇メートルの巨体。総重量は、予想で約一万三〇〇〇トン。その背中には樹木が生え、脚はムカデのように生えそろい、絶えず瘴気と不浄を織り交ぜた赤黒い血を流していたとされる。

 出雲の地に現れたヤマタノオロチ——その再臨と恐れられた邪龍は、ヤオロズ、と呼ばれた。


 各地の城が臨戦体制に入り、まず東の海沿いで数千の兵士、農民が武器を取った。あるいは、術師が立ち上がり、抵抗した。

 しかしいかなる矢も、術もヤオロズには効かなかった。

 射かけた矢は猛然たる息吹に吹き飛ばされ、火術も破魔術も濃密な瘴気に阻まれて意味をなさない。それどころか産み落とされる不浄の怪物——魍魎もうりょうの対処で手一杯だった。


 龍が顕現して一夜で、東海岸の町は陥落した。

 攻撃らしい攻撃などしていない。ただ、降りてきてその全身で大地を擦り潰しただけだ。

 二夜で、内陸の町が三つ消えた。


 三夜目で、ある妖狐が現れた。


 月白の体毛。九つの尾。紫紺の双眸。魅雲みくもの地で月白御前げっぱくごぜんと呼ばれ、人間の男を旦那に選んだその物好きな女狐は、苛烈な猛攻でヤオロズと対峙した。

 旦那の術師も共に戦い、金色の龍神を渾式神こんしきがみとして使役し、さらには異邦の半神が手を貸した。

 七日七晩続いた激闘は、やがてヤオロズの著しい衰弱を招いた。だが、それでも死に至らしめることはできなかったという。


 産み落とした落とし子の力も弱まり、月白御前はその龍に永劫の眠りをもたらしたのだった。

 それは、月白御前自身が神の如き力を失うのと引き換えにした封印術。

 龍は光に飲まれ、その肉体を、永遠なる無窮へと封じられた。


 その英雄夫婦は、後の世に稲尾という姓で子孫を繁栄させた。

 人の身であった旦那はその後、妻に看取られて他界。しかしながら、妖狐である月白御前は——。


 それは、遠い昔の話。

 九〇〇年近くも昔の、大勢に忘れ去られた英雄の物語。

 語る者も、聞く者もいない、けれども確かにそこに在った、歴史に刻まれなかった英雄譚だ。


 狐を妻にした男は、生涯を通して波瀾万丈であったことだろう。

 しかし、その最期が驚くほど穏やかだったことは、子孫たちだけが知っている——ある種の、誇りであった。

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