番外編

番外編 ネルとSK

 かなり流音るね、十五歳。

 親しい人たちからは、名前の「ルネ」をひっくり返して「ネル」と呼ばれていた。


 小学校から一緒だったあの娘もそう。

 たった一人の親友。私も当然、同じ高校に進学するものだとばかり思っていた。

 だから、受験に落ちた時は、混乱で頭がどうかしていたのかもしれない。


 あの娘と同じ高校でないと嫌だ。

 滑り止めを受けずに、中学浪人をするんだと意固地になる私を、両親も同級生も、周囲の誰も理解してはくれなかった。


 あの娘だけは分かってくれるはず。

 違う道へ進んだ後も、しばらくは連絡を取り合っていた。

 返事は日を追うごとに素っ気なくなって、ひと月もするとそれすらも返ってこなくなった。



  *



 引きこもって一ヵ月が経った。

 浪人と言いつつ、勉強らしいことは何もしていない。手に付かなかった。心配した親が寄越よこした家庭教師も、私はつっけんどんに追い返した。




 法事を理由に母方の実家に連れて行かれた。小さい頃に一、二度会ったことのある、母の兄がまだその家に住んでいた。

 伯父さんは昔と見た目がほとんど変わっていなかった。ギターを弾きながら歌を聴かせてくれた。以前は聴いても何とも思わなかった曲が、その時はやけにみた。


 帰り際、伯父さんが私にお土産をくれた。ソフトケースに入ったショートスケールのギターと、リッピング済みだから要らないと言われたCDを何枚か。私がロックにのめり込むきっかけだった。




 ギターを手に入れた私は、それまでの沈みっぷりが嘘のように、みるみる元気を取り戻していった。ちょっと騒がしいぐらいに。

 「こどおじが姪っ子に余計なことを」と母は愚痴っていたけれど、顔は笑っていた。



  *



 私は軽音部のある高校を受験して、どうにか合格した。


 一つ年下の同級生たちが、正直怖くて仕方なかった。だから、私は自分の心を守るための「鎧」を身に着けた。

 髪を染めて、ピアスを空けて、しゃべり方も変えた。それが私なりの武装だった。




 綾重あやしげなつとの出会いは、バイト先のライブハウスだった。


「いけん……わん」


 棚上から備品を取ろうとしているところを、通りがかったあいつに持ち上げられた。


「キミ背高いんじゃけぇ、直接取ってくれればよかったのに」

「それもそうだ。思い付かなかった」


 そんな感じで、初めて言葉を交わした。

 しっかりしてるのか抜けてるのか分からない、不思議な人柄に惹かれた。

 触れられた身体が火照っていた。




 私は中学浪人、なつは高二で留年。同い年で、ロック好きで、バンドもやっている。仲良くなるまでに時間はかからなかった。


 別々のバンドで頑張る姿を見ていた。私はギタボ、あいつはドラム。パートは違うけれど、いつの間にかお互いを称え合う仲になっていた。


 不満といえば、あいつの音楽の好みが私には激しすぎるのと、私への尊敬の気持ちが重すぎることぐらい。


なつでいいですよ。同い年なんですし」

「でも……綾重あやしげは敬語じゃん」

「アタシはかなりさんをリスペクトしてますんで」


 下の名前で呼んでしまったら、歯止めが効かなくなりそうで。その一線だけは引いておきたかった。




 その日、たまたまバイトの休憩が重なった。食事のとき、マスクを外したなつの顔を、私は初めて見た。

 頬に走った生々しい傷跡きっぽも。


「いちいち尋ねられるの面倒なんで」


 隠すならコンシーラーを使えば――言いかけた言葉を私は飲み込んだ。

 きっと傷は言い訳だ。

 何故って、あいつは美人すぎた。


 女同士だから分かる。あれだけ身体が大きくて堂々としているのに、なつからはどこか不安と自信のなさがにじみ出ている気がしていた。

 私のピアスや口調と同じで、マスクはあいつにとっての「鎧」なんだと。


「ほうなん。ぶちロックじゃん」


 精一杯の言葉。もっと気の利いたことを言えたら、少しは私のこと気にかけてくれた?



  *



 十八歳の誕生日。なつは私にピアスをプレゼントしてくれた。


「もしよかったら、アタシと一緒に免許取りにいきませんか?」


 あいつの方から誘われた。断る理由がない。

 冬休みの三週間、合宿で毎日顔を合わせていた。日に日に気持ちが抑えきれなくなっていった。


 三学期に入って落ち着いてきたと思ったけれど、卒業式なんかも重なって、私は感傷的になっていたのかもしれない。


 春休み、バイトの帰り道。


「私……綾重あやしげのこと好きだよ」


 私は想いを口にした。

 何て言って断られたのか、全く記憶にない。


「アタシはずっとかなりさんのこと尊敬してますから」


 別れ際のあいつの声だけが、今も耳に焼き付いて離れない。



  *



 新入生歓迎会。私は軽音部のバンドで演奏することになった。

 今年から部長になっていた私は、張り切りすぎてやらかした。その実、失恋で自棄やけになっていたのも否定できない。


 教師からはこってりしぼられて、おまけに停学まで食らった。

 呆れ返る両親をよそに、伯父さんだけが爆笑しながら褒めてくれた。


 なつにそのことを話すと、抜けたドラマーの代わりに叩いてくれることになった。働いているライブハウスでの、穴埋めみたいな単発演奏。思いのほか客の反応は上々で、店長からは翌月まで出演予定が組まれた。




 降って湧いたなつのバンド加入だったけれど、私たちの関係は相変わらずだった。

 私を振った女。

 それでも、変わらずに私と接してくれる女。


「ワシ、SKエスケーのドラム、ぶち大好きで」

「ネルさんのヴォーカルも最高ですよ」


 ステージネームならば気兼ねなく呼び合える。好きだと言える。

 私たちはバンドメイト。それは私の精一杯の強がり。



  *



 三月と経たずに、バンドからギターとベースが抜けた。受験のためだとか理由をつけていたけれど、多分私となつだけで盛り上がっているのが気まずかったんだろう。

 それでも、嫌味一つ言わなかった優しさには感謝している。


 バンドが解散して、なつとの接点は再びバイトだけに戻るはずだった。


「もしよかったらオーディション受けてみん?」


 部活の仲間をダシに使ってまで、未練たらしく音楽でつながろうとする私がいた。

 でも、それは裏目に出た。

 きっと、バチが当たったんだ。




 オーディションに咲いた華。ぼうどうぴあ。私から見ても魅力的な女だ。


「ま、任せてください!」


 なつの緊張と空回りっぷりは、はたにも丸分かりだった。

 もしあいつが男を好きな女だったら、これほど苦しまずに済んだだろう。


 私は、女として負けたんだ。

 だけど、そんな私にだって意地はあるから。


「おどれはワシの背中だけ見ちょりゃええんじゃ」


 この場所だけは誰にも渡さない。

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