番外編
番外編 ネルとSK
親しい人たちからは、名前の「ルネ」をひっくり返して「ネル」と呼ばれていた。
小学校から一緒だったあの娘もそう。
たった一人の親友。私も当然、同じ高校に進学するものだとばかり思っていた。
だから、受験に落ちた時は、混乱で頭がどうかしていたのかもしれない。
あの娘と同じ高校でないと嫌だ。
滑り止めを受けずに、中学浪人をするんだと意固地になる私を、両親も同級生も、周囲の誰も理解してはくれなかった。
あの娘だけは分かってくれるはず。
違う道へ進んだ後も、しばらくは連絡を取り合っていた。
返事は日を追うごとに素っ気なくなって、ひと月もするとそれすらも返ってこなくなった。
*
引きこもって一ヵ月が経った。
浪人と言いつつ、勉強らしいことは何もしていない。手に付かなかった。心配した親が
法事を理由に母方の実家に連れて行かれた。小さい頃に一、二度会ったことのある、母の兄がまだその家に住んでいた。
伯父さんは昔と見た目がほとんど変わっていなかった。ギターを弾きながら歌を聴かせてくれた。以前は聴いても何とも思わなかった曲が、その時はやけに
帰り際、伯父さんが私にお土産をくれた。ソフトケースに入ったショートスケールのギターと、リッピング済みだから要らないと言われたCDを何枚か。私がロックにのめり込むきっかけだった。
ギターを手に入れた私は、それまでの沈みっぷりが嘘のように、みるみる元気を取り戻していった。ちょっと騒がしいぐらいに。
「こどおじが姪っ子に余計なことを」と母は愚痴っていたけれど、顔は笑っていた。
*
私は軽音部のある高校を受験して、どうにか合格した。
一つ年下の同級生たちが、正直怖くて仕方なかった。だから、私は自分の心を守るための「鎧」を身に着けた。
髪を染めて、ピアスを空けて、
「いけん……
棚上から備品を取ろうとしているところを、通りがかったあいつに持ち上げられた。
「キミ背高いんじゃけぇ、直接取ってくれればよかったのに」
「それもそうだ。思い付かなかった」
そんな感じで、初めて言葉を交わした。
しっかりしてるのか抜けてるのか分からない、不思議な人柄に惹かれた。
触れられた身体が火照っていた。
私は中学浪人、
別々のバンドで頑張る姿を見ていた。私はギタボ、あいつはドラム。パートは違うけれど、いつの間にかお互いを称え合う仲になっていた。
不満といえば、あいつの音楽の好みが私には激しすぎるのと、私への尊敬の気持ちが重すぎることぐらい。
「
「でも……
「アタシは
下の名前で呼んでしまったら、歯止めが効かなくなりそうで。その一線だけは引いておきたかった。
その日、たまたまバイトの休憩が重なった。食事のとき、マスクを外した
頬に走った生々しい
「いちいち尋ねられるの面倒なんで」
隠すならコンシーラーを使えば――言いかけた言葉を私は飲み込んだ。
きっと傷は言い訳だ。
何故って、あいつは美人すぎた。
女同士だから分かる。あれだけ身体が大きくて堂々としているのに、
私のピアスや口調と同じで、マスクはあいつにとっての「鎧」なんだと。
「ほうなん。ぶちロックじゃん」
精一杯の言葉。もっと気の利いたことを言えたら、少しは私のこと気にかけてくれた?
*
十八歳の誕生日。
「もしよかったら、アタシと一緒に免許取りにいきませんか?」
あいつの方から誘われた。断る理由がない。
冬休みの三週間、合宿で毎日顔を合わせていた。日に日に気持ちが抑えきれなくなっていった。
三学期に入って落ち着いてきたと思ったけれど、卒業式なんかも重なって、私は感傷的になっていたのかもしれない。
春休み、バイトの帰り道。
「私……
私は想いを口にした。
何て言って断られたのか、全く記憶にない。
「アタシはずっと
別れ際のあいつの声だけが、今も耳に焼き付いて離れない。
*
新入生歓迎会。私は軽音部のバンドで演奏することになった。
今年から部長になっていた私は、張り切りすぎてやらかした。その実、失恋で
教師からはこってり
呆れ返る両親をよそに、伯父さんだけが爆笑しながら褒めてくれた。
降って湧いた
私を振った女。
それでも、変わらずに私と接してくれる女。
「ワシ、
「ネルさんのヴォーカルも最高ですよ」
ステージネームならば気兼ねなく呼び合える。好きだと言える。
私たちはバンドメイト。それは私の精一杯の強がり。
*
三月と経たずに、バンドからギターとベースが抜けた。受験のためだとか理由をつけていたけれど、多分私と
それでも、嫌味一つ言わなかった優しさには感謝している。
バンドが解散して、
「もしよかったらオーディション受けてみん?」
部活の仲間をダシに使ってまで、未練たらしく音楽で
でも、それは裏目に出た。
きっと、バチが当たったんだ。
オーディションに咲いた華。
「ま、任せてください!」
もしあいつが男を好きな女だったら、これほど苦しまずに済んだだろう。
私は、女として負けたんだ。
だけど、そんな私にだって意地はあるから。
「おどれはワシの背中だけ見ちょりゃええんじゃ」
この場所だけは誰にも渡さない。
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