第28話 静かな奇蹟

 ミア達は犯人が燃料を購入する場面にさかのぼった。


「マーク、ガソリンスタンドの店員役を私とやって頂戴。ルカは給油の方」

「ロールプレイかよ。わかった」


 マークがぶつぶつと言う。三人とも店員の恰好をして犯人を待った。

 犯人の男は金属の携行缶を持って店に現れた。ミアが明るい声で言う。

「いらっしゃいませ」


 男はまだ犯行を犯していない段階なので、この時点ではただの客である。

「すみません。ガソリンを下さい」


 男の声に、マークが対応する。

「お客様、ガソリンは何にお使いでしょうか?」

「あー、発電機です」


 今度はミアが訊く。

「すみませんが幾つか質問させていただきますね」

「はい……」


 マークが具体的に訊いていく。


「発電機は何に使われますか?」

「えーと、非常用です」

「どちらのメーカーのものですか?」

「あ、確かホンダだったかな」


「その発電機はいつ頃購入されました?」

「そんなことまで聞くんですか? 覚えていませんよ」


「では記憶にない程、相当前という事ですね。こちらでガソリンを購入するのは初めてですか?」

「初めてです」


「身分証明書の提示をお願いできますか?」

「必要なんですか?」


「ええ、必要です。ガソリンは危ないですからね」

「じゃあ、ガソリンはいいです。灯油なら身分証明書はいらないですよね?」


「え? もちろんですが、灯油は発電機には使えませんよ? いいんですか?」

「いいですよ、そこの専用ポリタンクもください」


「わかりました。18リットルでいいですか?」

「ああ、それでいいから早くくれよ」

 男はいらだってきた。


「ではあちらの店員が今入れてきますので待っていてください。おーいルカ、頼む」

「了解っ」


 ルカが灯油を赤いポリタンクに入れる。マークがその灯油を客に渡すと笑顔で言った。


「この厚いさなか暖房に使うとは思えませんが、灯油も取り扱いには気を付けてくださいね。またのお越しをー」


 男はキッとマークを睨んでから灯油と空の携行缶を台車に乗せて去って行った。これで犯人がガソリン火災を起こす可能性は無くなった。灯油でも危険な事には変わりはないが。ミアは一息ついて、言った。


「さあて、最後の仕上げよ、さらに遡って彼の動機をうまく収めるわよ。アイリス、スカウトの要領で彼の夢に入り込んでくれない?」


「私?」


 アイリスは、すずめの様な顔になって反応した。ミアはアイリスに細かく対応を教えた。アイリスはミアの説明する説得方法はまるで神父かカウンセラーではないかと思った。


「ね、これならアイリスにぴったりでしょう」

「わかったわ。やってみる」


 事件の前夜、アイリスは問題の彼の夢に入り込んだ。男は名前をりょうと言った。


「りょう、聞こえる?」


 りょうは夢の中で白いかげだけの女性に声をかけられた。まるでカーテンの裏にいるかのように、体の輪郭だけはわかるが顔も、その表情も全くわからない。


「何? 誰お前?」

「私はあなたの守護神です。あなたを守るために来ました」


「守るって、何から守るんだよ」

「りょう。あなたは明日、とんでも無いことをしようとしていますね。あなたは追い詰められています。追い詰められて精神に歪みが生じています。私はそれを是正するためにいます」


「追い詰められてなんていねーよ。俺は俺のデザインをパクッたやつらに罰を与えるだけだ」

「今のあなたには通じないでしょうけど、もしデザインを無断で使用されていたとしても私的な復讐をしてはいけません」


「お前には関係ねーよ」


「子供では無いのですから、わかりますよね? もしそういう疑いがあるのなら法に訴えるべきです」


「……」


「おそらく色々悩みすぎて思考が単純化しているのだと思いますが、決して自暴自棄になってはいけません。冷静によーく考えてみてください。あなたはそれをしなければならない程の苦境には落ちていないはずです。いいえ、苦境のどん底だったとしてもしてやっていいことと悪いことがあります。何をしようとも人間としての分別だけはつけてください。一線を越えてはいけません」


「お前に何がわかる!」


「私はあなたの過去や、あなたの気持ちはわかりません。しかしあなたがやろうとしていることは絶対にしてはいけないことです。もしそれをやったら死後も永久に後悔しますよ。それは保証します。それよりもあなたは傷ついてしまったあなた自身の心を一刻も早く修復しなければいけません。わかりますか? 復讐ではなく自分自身の治療が必要なんです」


「じゃあ、俺の気持ちはどこにぶつければいいんだ、我慢しろってのか? 俺のデザインを平気で使ってのうのうと稼いでるやつがいるのに」


「そうですか、本当にそうなのでしたら、あなたはデザインを盗んだ人を探し出して特定してください。そしてその人を訴えて賠償を求めてください。私も協力します」


「そんなの、できるか! 警察でもないのに」

「では、もし本当に誰かがあなたのデザインを盗用しているのだとしたら、私が守護神としてそれを必ず追及して見つけ出します。そして神としての天罰を下します。約束します。」


 アイリスは続ける。


「あなたは薄々わかっていると思いますよ。デザインを真似された可能性はあるものの、おそらくは偶然でかつ自分はまだ本物のデザインの力がついていないのかもしれないと。それを自分に突き付けられるのが嫌なだけなんでしょう。自分を否定されるのが……でもそれは自分が選んだ道、創作物が、一部の他人にたまたま評価されなかっただけです。それに腹を立ててどうするんですか? 評価する方の責任ではないですよ。挑戦者なら挑戦者らしく、へこたれずまた挑戦するのが本当ではないですか? あなたの他にも同じように当選できずに苦汁をなめている人が何千人いると思っているんです? あなただけですよ、報復行動を起こす人なんて。甘えるのもたいがいにしてください」


「くっ、調子に乗りやがって。俺の苦労も知らないで」

「実は私達はあなたに最後のチャンスをすでに与えました。明日あなたの行動で起きる恐ろしい事件について既に修正を試みています。この修正が完全にうまくいくかどうかは、この後あなたが目覚めてからの行動にかかっています。踏みとどまる最後のチャンスです。人間のままいられるか、醜い悪魔とののしられて人生を閉じるか二つに一つです。私はあなたにまだ良心があると信じています。どうかつらくても正しい道を選んでください」


「わかってる。わかってるけど、もうどうしようもないんだ」


「最後の言葉です。あなたの作品を自分で汚さないでください。他人がどう評価しようとも、あなたの作品はあなたの中では光り輝いているはずです。それをどんづまりの人生だからって、自分で汚してはなりません。犯罪をおかせばそれは完全に汚れてしまいます。そうならないために世界で一つだけのあなた自身の作品とともに残りの人生を清く生きていくべきです。繰り返します。人の評価なんてつまらないものは決して気にしないで下さい。あなたの素晴らしさはあなたが一番知っているはずです」


「ちょっと、考えてみる。あんた、誰だか知らないけれど忠告には感謝するよ」


 りょうは目が覚めて、部屋に置いてある金属容器を見つめた。そして自分の作品が保存されているパソコンを見つめた。寝る間を惜しんで長い時間取り組んだ作品が入っている。しばらく考えてこう思った。


「俺が計画を実行したら、作品を盗んだやつらは火傷くらいはするだろうがやつらはあくまで被害者としてしか扱われない。犯罪者として逮捕されるのは間違いなく俺の方だろう。そんな仕打ちがあるか。こう考えよう。俺の作品を盗んだやつらは必ず天罰が下る。そうだ俺が復讐をする必要は無いんだ。俺がやらなければならないのは……たぶん自分の心を修復することだ、守護神さんも言っていた」


 そうして、りょうは運命の一日を自分で変えた。ぎりぎりで踏みとどまった。ビルの人達には平穏な一日となったが、本来なら大事件が起きていたと知る人は皆無であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る