チャプター2 土壇場の賭け

"彼が"レストガーデンに来てから5日目を迎える。

彼の1日の流れは、朝8時に起きて食堂に向かう→食べ終えたら睡眠部屋に戻る→12時なったら食堂に向かう→食べ終えたら睡眠部屋に戻る→18時になったら食堂に向かう→食べ終えたら睡眠部屋に戻り、入浴の準備をして、浴場に向かう→23時になったらベッドの中に入る。


初日以外は食堂と浴場以外の施設は使用していない。

彼は談話室での出会いなど正直興味がなく、ただ死を覚悟するだけの存在でいたかったが、さすがに同じルーティーンを過ごす事に精神的に飽きてきた彼は、食事を済ませて気分変換に“本の部屋”に向かう事にした。


本の部屋は、ソファーと分厚くフカフカなマットの上で漫画や小説を好きなだけ自由に読めるルーム。

広さや構造は、漫画喫茶並み。

芸術の国"フランス"では、漫画は究極の芸術品で、特に日本の漫画は大人気。

棚に置いてある書物は、ほとんど漫画で、"ナルト"や"ドラゴンボール"などの人気作品は全巻揃っている。


フランス生まれの彼は、驚く事に漫画を読んだ事は一度もなかった。

漫画を読まない理由は特に無いが、たまにそういった人間も少なくはない。

日本人でも"漫画"を読まない人もいる、韓国人だからといって、キムチが好きとは限らない、彼もまたフランス人にとっては異質の存在でもあった。


しかし、小説に関してはジャンル問わず、暇つぶしに読む事が多い。

小説は世界的にも人気の"ハリーポッター"があるが、ハリーポッターは子供の頃から何度も読んだ作品、他のもどれも読んだ事ある作品ばかり、せっかく訪れた娯楽施設は期待外れに終わり、出ようと思った。

その時、自分の隣で漫画を立ち読みしている若い女性が視界に映る。


彼は、その女性の顔に見覚えがあった。

そう、初日に談話室で目が合い相席しそうになった女性。

彼は、若くて容姿端麗な女性だったため、我を忘れて思わずじっと見つめてしまう。

隣から視線を感じた女性は、彼の方を見る。

こちらの存在に気づき、目が合った彼は、咄嗟に視界を逸らす。


女性「・・・あっこれ、もしかして読みます?」


女性は、てっきり彼が今自分の見ている漫画を読みたがっていると勘違いしてしまった。

彼はとにかく誤魔化すために、わざと話を合わせる。


彼「いえ、もうその小説は読み終えましたから」


女性「これ・・・漫画ですよ?」


彼「えっ⁉︎」


彼は誤魔化したつもりが、裏目に出てしまい、言葉を失う。


女性「良かったらどうぞ、アタシ、この漫画とっくに読み終えてますので」


彼「えっ! 読み終えたのに、また読んでいるんですか?」


女性「漫画は何回読んでも面白いんじゃないですか・・・というかどこかでお会いしませんでした?」


彼「えっ!」


女性「あっ! もしかして小学校の頃に一緒だった、サンジ君でしょ?」


彼「サンジ君?」


彼は、彼女も自分の事を覚えていると思っていた。


女性「久しぶり、懐かしいね、まさかこんな所で会うなんて、サンジ君も死ぬつもりなの?」


彼「うん・・・まぁ」


彼はとにかく話を合わせて、彼女の元から去ろうと考えた。


女性「サンジ君がここにいるなんて思わなかったよ、確か大企業の令嬢と政略結婚したって聞いたけど、離婚したの?」


彼「え!」


女性「同じクラスになった時に、アタシの事を犯そうとしたけど覚えてる?」


彼「えっ!?」


彼は驚きの連続で、返す事は言葉もなく、話しを合わせて立ち去るつもりが、返って去る事すらも困難になった。

あたふたになった彼を見て、なぜか腹を抱えて笑う彼女。


彼女「嘘、“サンジ”なんて名前、フランス人にはいないでしょ、漫画のキャラクターから

取った名前で呼んだだけ、真剣に受け止められるとは思わなかったよ、アハハハ!」


会ったばかりの人間にコケにされた彼だが、不快な感情は沸いてこない。

むしろ、気分は落ち着いた。

印象的な笑顔と人の心を癒すオーラを放つ、不思議な女性。


彼女の名前は"エリーゼ・ドゥプレ"

年齢は彼と同じ20歳、中年層が多い自死希望者達の中では若い部類に入る。

漫画が大の好きで、本の部屋の常連でもある。


彼は漫画を読んでない事がエリーゼにバレた。

本人の事を見ていた理由を正直に話そうとしたが、エリーゼは手に持っている"寄生獣"を読む事を勧めた。


彼「いいんですか、読まなくて?」


エリーゼ「アタシ、もう随分前に読み終わってるの、今1番見たいのはワンピースなんだけど、最新巻は他の人が読んでて」


彼は生まれて初めて、漫画を読む事にした。

エリーゼは漫画を渡して、笑顔を見せておちょくりながら、本の部屋を後にする。


エリーゼ「それじゃあね、強姦魔のサンジ君」


彼「・・・あの」


エリーゼ「ん? 何?」


彼「・・・いえ、ありがとうございます」


エリーゼ「・・・それじゃあまた」


彼はエリーゼが自分の事を覚えているのか、気になったが、とりあえず日本漫画“寄生獣”を読む事にした。


彼は、あっという間に漫画の世界にのめり込む。

文字だけの小説とは違って、漫画はとても読みやすく分かりやすい。

そして何より、“面白い!”。

小説家は文章だけだが、漫画は絵・ストーリー・コマ・セリフ・豊かな表現力で成立する作品。

世の中には多様なアーティストが存在する。

映画監督・音楽家・イラストレーター・彫刻家などがいるが、芸術家類の中で究極の頂点に立つ芸術家は、漫画家だと彼は実感した。


漫画の奥の深さを知った彼だが、あるセリフを思い出した。


「それじゃあまた」


このセリフの意味は、“またどこかで会おう”と言う意味。

彼はこのセリフが気になり始め、読んでいた漫画も途中で拝読が止まった。

読むのを止めた時、本の部屋にある時計の針は12時を過ぎていた。



午前12時30分


 食堂はいつも以上に混んでいた。

何故なら今日は、スペシャルメニュー料理が食べられる金曜の日。

この日のスペシャルメニューは、チーズバーガー・フライドポテト・骨ありケンタッキー・イチゴかバニラ味のシェイク。

この日の希望者達は食欲が進み、大行列が出来上がっていた。

遅く来たので、30分以上待たされた彼だが、ようやく配食が回ってきて自分の分を取る。

あとは“席”の確保、本来は原則として食堂に滞在時間は一人15分間と決まっているが、金曜日だけは、希望者の9割以上が食堂で食事を済ませるが、原則なんて忘れて、仲の良い希望者同志が席を長時間独占する。

そのため中々、座れる席が見当たらない。

席を探し回っている内に、何回か同期を見かけたが、そもそも彼はレストガーデンで親しい関係と言える同期もいなければ、先輩もいない。

同期達はいつの間にか、輪を作り、施設内で仲睦まじくしている。

ただずっと、群れるのを避ける“一匹狼”みたく過ごしていた。

普段ならそれでも構わないが、今回みたく腹を満たす為の食料を両手で持ち、ただ座る場所も確保出来ない存在でいる事に、“恥“と”劣等感“を抱く。



彼は思った。

ハンバーガーなんてどうでもよく、10万円もあるんだから、売店で何かを買って自分の部屋で食べればよかった。

結局自分は、外でも中でも惨めな思いをする事は変わりない。

この境遇が40日間待つだけで良かった。

もしあと一ヶ月も待っていたら、わざわざ安楽死カプセルに入らずに、“屋上”を使う、それで充分。


 

 立ち止まり自己嫌悪に浸れる、周囲の楽しくしている声などは彼の耳の中に入って来なかった。

しかし、ある“女性”の声だけは、届いた。


エリーゼ「何一人で突っ立てんるのよ、早く食べないとハンバーガーが冷えるわよ」


彼「・・・⁉」


“エリーゼ・ドゥプレ”と、また出会えた。


エリーゼが確保した席で彼は大きく口を開け、ハンバーガーを“ムシャムシャ”と食べる。

久しぶりのハンバーガーを、咀嚼音なんて気にせに涙目になりながら腹を満たしていく彼の前で、エリーゼはパンで挟んである“セロリ”と“レタス”を取り出して、彼の容器に置く。

まるで食べろと言わんばかりの行為、エリーゼは野菜が大の苦手。

エリーゼの勝手行為に、彼は何も言わなかった。

彼女のおかげで、ハンバーガーを美味しく食べれるのだから。

もし、あのままエリーゼに話しかけられなかったら、冷えたバーガーを食べ、心も冷えたまま部屋に戻る羽目になっていた。

せっかく無料でハンバーガを食べれるのだから、食べないに越したことはない。


エリーゼ「紹介まだだったね、私の名前は“エリーゼ・ドゥプレ”、以後お見知りおきを」


これが、エリーゼ・ドゥプレとの初めての出会いとも言える瞬間でもあった。






午後14時


食堂で昼食を済ませた後、エリーゼの誘いを受けて、談話室で相席をする事が決まった。


談話室の一つのテーブルに、5人の希望者達が相席をする。


メンバー “マルセル・キング”=元アメリカンギャング 2メートル近い大柄な黒人


“ジョルジュ・ル・タイタン・デュラン”=元白人プロレスラー 重度の認知症


“ジュリアン・ルブラン“=作家になるのを夢見る、白人女性 32歳


“エリーゼ・ドゥプレ”=年齢20歳の白人女性


“彼”=年齢20歳の白人青年

 メンバーで唯一黒人の“キング”は、“彼”と同じ日にレストガーデンに降り立った、つまり“同期”同士。

キングは不機嫌なオーラをさらけ出している。

彼はレストガーデンの希望者になった日から、他人の行動に小言を挟む、いわば問題児な希望者で、スタッフからは頻繁に注意を受けている。

スタッフからよく言われるセリフは、「あまり感傷的にならず、周りに迷惑を掛ける大きな声を出さない様に」

希望日は5月10日


高齢で重度の認知症患者“タイタン”は、他者とのコミュニケーションは完全に取れない状態までになっており、もはや会話も成り立たない程、認知症は進行している。

レストガーデン内の施設も車椅子で移動するしかなく、常にスタッフが付き添いとなって介護をする形となっている。

ゾンビ状態の彼だが、ある一定の“セリフ”で舌を動かす事が出来る。

そのセリフは、「マルセル」。

希望日は5月1日


“ジュリアン・ルブラン” 大きな丸眼鏡が特徴的な女性。

エリーゼとは以前から何度も相席した仲で、顔見知り及び親しい関係。

どこにいる時も、どこに行く時も常に肌身離さずノートパソコンを持ち歩いており、足を止めれば、パソコンを開いてキーボードを“カタ・カタ”と打つ。

相席している今でも打っており、人によっては神経をイラつかせるが、仲のいいエリーゼは慣れたらしい。

短気が顔に出ているキングは、彼女の方から出る小音にイラつきが隠せない。

大きな丸眼鏡が特徴。

希望日は4月15日。

“エリーゼ・ドゥプレ”

太陽みたいに明るい笑顔が印象的な彼女は、決して他人を区別せず、誰とでも平等に接する。

小説を執筆しながら相席をするジュリアン、他人と意思疎通が出来ないタイタンとは、飽きずに何度も相席している。

レストガーデンにいるのは場違いだと感じさせる彼女だが、エリーゼもまた、レストガーデンにいる“理由”はあるはず。

希望日は5月9日。


“彼” 

キングとは同期、エリーゼ・ジュリアン・タイタンはレストガーデンの先輩にあたる。

コーヒーが嫌いで、一人だけミルクを飲む。

希望日は5月10日。


癖の強いメンバーの会話の開始を先陣切ったのは、エリーゼ。


エリーゼ「ジュリさん、どう、今日も仕事の方ははかどってる?」


ジュリアン「最終章はもうすぐ書き終わる、これが終われば次はミステリーを考えてる」


エリーゼ「凄い! 終わったら読ませてよ?」


ジュリアン「ダメだ、絶対に読ませない!」


エリーゼ「ジュリさんって、小説家なのに書き終わった物語を人に読ませたがらないよ

ね、何で?」

ジュリアン「・・・子供は漫画でも読んでなさい!」


彼「・・・」


タイタン「・・・マルセル・・・マルセル」


キング「フン!」


ジュリアンの行為に鼻で笑うキング。


ジュリアン「何よ?」


キング「何で小説なんて書いてんだ、どうせもうすぐ処刑マシーンに殺されるんだろ?」


ジュリアン「スタッフに頼んで、私より先に“サラバ“に入りなさいよ、そうすれば耳障

りな雑音が止んで助かるわ」


まだ数分しか経ってないのに、キングとジュリアンの相性は最悪だと分かる。

撤退の仕方を知らない負けず嫌いな二人は、大きな事態を招く事は当然、相席できる間柄ではない。

話題を逸らそうと、キングの取り柄を聞くが、返って仇となる。


エリーゼ「ねぇキングさん、キングさんは何が得意なの?」


キング「得意?」


エリーゼ「そう、今日初めて会ったんだし、なにか特技とか教えて!」


キング「特技ねー、そうだな・・・薬を売る事と、人を脅す事、そして人を殺める事だ」


キングの秘密の暴露と言わんばかりの仰天セリフで、執筆の手が止まるジュリアン、笑みが消えるエリーゼ。


エリーゼ「・・・人を殺めた事があるの?」


キング「ああ、10人ぐらい殺した」


ジュリアン「嘘おっしゃい、10人も殺した人間がここに入れる訳ないでしょ、今頃刑務所に収監されてなきゃおかしいじゃない」


キング「バレなきゃ罪にはならない、それに殺人が罪だと決めたのは神じゃない、“人間

“だ」


過去の罪状を隠す事なく、堂々と周りに打ち明かす。


エリーゼ「・・・カッコいい」


エリーゼは、臆する事なく、それどころか感心してしまう。


ジュリアン「バカ、危険な男に惹かれるな、ギャングなんて所詮、精神年齢が小学生で止まったクソガキよ!」


ジュリアンの棘のある発言に堪忍袋が切れたキングは、彼女の作家の武器とも言えるパ

ソコンを取り上げる。

キングの性格から、誰もがジュリアンのパソコンを床に叩きつけて、次に踏みつけて破

壊すると予想する。


ジュリアン「返しなさいよ!」


タイタン「・・・マルセル・・・マルセル」


エリーゼ「ちょっと、喧嘩はやめなよ! レストガーデンで争い言語道断なんだから、

出入り禁止になるよ!」


キング「“俺達”はどうせ死ぬんだぞ・・・いいや違う、もう死んでるんだ!」


情緒不安定になり、泣き面で子供みたく悲観的に騒ぎ出す。

他の相席メンバー達が、騒いでいるキング達の席に注目しだし、ざわつく。


キング「どいつもコイツも生きてるみたく行動しやがって、小説なんて書いてなんの意

味があるんだ・・・俺達は幽霊予備軍なんだよ!」


キングはノートパソコンを頭上に大きく振り上げる、先ほどまで強気だったジュリアンは、一転して必死に懇願するが、感情的になりすぎて、我を失ったキングの耳には届かない。


ジュリアン「ゴメンなさい、ゴメンなさい! お願いだから、やめて‼」


ノートパソコンを床に叩きつけよとした寸前、“彼“がキングに体当たりする形で飛び込み、抑え込む。

キングの両手からノートパソコンは離れるが、二人の衝突の影響でパソコンは宙を舞う。

床に落ちる前にキャッチをしようとする、エリーゼとジュリアンだが、距離からして間に合いそうにない。

でも何とか、床に落ちずに済んだ。

たまたま“オカザキ“が騒いでいる現場に駆け付け、仲裁しようとキングの背後から近づいたのが幸運だった。

ノートパソコンは数十センチで床に落ちる寸前だったが、オカザキがヘッドスライディングでキャッチしたおかげで、壊れずに済んだ。


オカザキ「ナイスキャッチ!」


安堵する一同。


タイタン「・・・マルセル」


談話室で、他人の所有物に乱暴をしたキングは、スタッフ達から退室を命じられ、どこかに連行される様に部屋を出る。

ジュリアンは、キングが部屋を出る前に彼の疑問になっている“答え”を教える。


ジュリアン「無駄じゃない! 私はここに死にきたんじゃない、“生きたい“からここに

きたんだ、だからもう二度と私の道具に触れないで!」


答えを教えて貰ったキングだが、結局理解できなかった。

それはエリーゼを除く、彼女の意思を聞いた、談話室にいる希望者達にも理解できなかった。

それもそう、レストガーデンは尊厳死を待つ人達の為の娯楽施設、なのに“生きる”為にレストガーデンにいる動機は、他の希望者達の中でも稀有な方。

他の希望者達は、彼女の言葉の意味を聞けないが、今日顔見知りとなった“彼”は迷わず“生きたい“意味を聞いた。


ジュリアンは教える事に戸惑ったが、先ほどの事がまた起きるのを防ぐために、念のためとして隠さず全てを話した。






<ジュリアン・ルブランの記憶>


彼女は子供の頃から作家を目指していた。

初めて読んだ小説は、あの世界的有名な女性作家、"JKローリング"の代表作"ハリーポッター"。

図書館でこの作品に出会えた時、魔法物語に心を奪われ、魔法をかけられた様に文学の世界の虜となった。

学校の授業中に空想して、家に帰宅してそれを実体化する。

彼女は努力した、寝る間を惜しむほど。

16歳の頃、彼女に最初のデビュー作が決まった。

"消えない炎"というタイトルのファンタジーミステリー小説。

書籍化はされたものの、文学界に一世風靡が起きる事はなく、風に吹かれる如く忘れ去られていった。

それから彼女の名もない作家として、生きていくが、25歳の頃に転機が・・・訪れるはずだった。


25歳の頃に、長時間をかけて練り込んだ物語を彼女は執筆、フランスの文学界に革命を起こせるぐらいの出来だったが、ここで彼女に不運が起きる。

子供の頃から同じ作家を目指していた"親友"に、作品を盗作されてしまう。

そしていつの間にか書籍化され、いつの間にか社会現象を起こし、いつの間にか自分の作品は、親友が生みの親となっていた。

そもそも自分が親友と思っていただけで、向こうはそうは思っていなかったのかもしれない。

それは結果で分かる。


ジュリアンは、最初は裁判を起こすつもりでいたが、その気力はすぐに失せた。

なぜなら裁判を起こす前に、誰も信用しなかったからだ。

親友の裏切り・自作の権利の剥奪・人間不信、彼女は"生きる"事に苦痛を感じ始める。

安楽死を望んだ、しかしこのまま死ねば、自分の作品を我が物にした、偽りの友の思う壺だと感じた。


レストガーデンにいる間は、生きる希望・苦しみからの解放、その二つを同時に心の中に刻み、レストガーデンで40日間生活する事を決心した。

もう一度最高の物語を生む、そして生みの親としての名声を得て、自分の作品を奪った友を世間に訴える。

それだけが、彼女がレストガーデンにいる理由だった。



エリーゼは、ジュリアンが作家を目指しているが、生活困窮者になった事で執筆の継続が困難になり、最後の賭けとしてレストガーデンに来た事情は知っていたが、まさか友の裏切りが合った事は聞かされていなかった。

だから頑なに、自作した小説を見せるのを嫌がった。

唯一の肉親の外にいる弟に、自信作を出版エージェントに持ち込みする用に頼んでいる。4月14日の夜の23時までに、出版社から書籍化が決まったら、15日に“存命書”にハンコを押す。

もし全て落選したら、“終命書”に押す。

ジュリアンの計画は、まるで生と死を賭けた、デスゲームに挑戦している感覚になる。

レストガーデンで書いている物語は、生き永らえた後に出版する為の予備と言える作品を、ノートパソコンに眠らせてある。

もし壊れたりでもして保存データが消去したら、作家にとっては手足を失ったも同然。


ジュリアン「だから、これは私にとっての“希望”、生きる糧なの」


自分の相棒と呼べるべきノートパソコンを、強く抱きしめる。


ジュリアンはここで、ある“頼み“をエリーゼにお願いする。


ジュリアン「もし“ダメ”だったら・・・エリーゼに私の物語を受けとって欲しいの」


エリーゼ「・・・ジュリさん」


ジュリアンは、死んだ後でも名を残したいと思い、完全には信用していないが、レストガーデンで一番信用できるエリーゼに作品を託し、外にいる弟に渡してほしいと頼む。

不安を抱えているジュリアンに、エリーゼらしい元気を送る。


エリーゼ「大丈夫だよ、ジュリさん! ジュリさんの小説すごく面白いもん、きっと成功する、ねっ!」


エリーゼは“彼”に答えを振る。


ジュリアン「二人とも読んだ事ないでしょ? 生きてる間は読ませるつもりはないけど」


彼「読みましたよ」


ジュリアン「えっ?」


彼は、漫画よりも小説派で、世間が少しでも話題を呼んだ小説は読む。

ジュリアンが言った事が本当なら、“あの社会現象を起こした小説”の作者は、名前が出ている作者ではなく、名前の出ていないジュリアンが作者と認識できる。


彼「あの小説、凄く面白かったですよ」


二人の優しさに、涙目になるジュリアン。


ジュリアン「・・・ありがとう、二人とも」


エリーゼ「・・・ゴメン、私、本当は漫画しか読んだ事ないんだよね」









4月14日午後22時50分


 無名作家、ジュリアン・ルブランの運命の日が訪れる時が来た。

弟からの結果を待つため、彼女は自分の睡眠部屋で、スマホを片手に持ち待機する。

結果を待つのは彼女だけじゃない、親しい関係の“彼“とエリーゼも、彼女の部屋で共に椅子に座って待機する。

成功した暁に、売店で買った高級ワインで乾杯、つまみを用意してあり、小さなパーティーを開始する準備は整っていた、あと必要なのは気分次第。


残り10分、三人の空間の沈黙が走る。

ジュリアンはともかく、残りの二人は作家でもなければ、自分の問題でもない。

なのに自分の事の様に緊張する、そして心臓の鼓動音がハッキリと聞こえる。

残り数分、出来るのであれば、これ以上は時計の針が進まずに時間が停止して欲しいと願うが、そんな事は願うだけ無駄、ジュリアンは作家として白黒付けなければならない。

例えそれが、最悪な結末でも。

そう考えている内に、ジュリアンのスマホが鳴る。

23時ジャスト、約束通り弟から連絡が来た。

驚いた事に、神経を尖らせていた三人は、気づかずいつの間にか23時を回っていた。


ジュリアンは、こわばった表情で弟からの電話に出る。


ジュリアン「うん・・・うん・・・あー、そうなんだ・・・うんうん、それで?」


会話の内容から、吉か凶か気になる二人だが、今はじっと待つしかない。

ジュリアンが弟との、やりとりが終わっても、「もしかして、落ちたのか?」「どうだった」なんてセリフは吐けない。

エリーゼと彼は何も聞かずに、ただじっと待つ、ジュリアンが答えてくれるまで。

それが事前に話した、二人の約束だった。


ジュリアン「・・・へー・・・・・・・・・・どうもありがとね、それじゃあ」


ジュリアンは弟との会話が終わり、スマホの電源を切る。

通話時間は2分も経っていない、もしどこかの出版社が契約を結ぶ事を望んだ場合、通話中にでも感激するはず、それはつまり受験でいう“合格”。

でも通話中のやり取りに、それを感じられない、通話が終わった後も連絡を待つ前と空気が変わらない、というよりも更に重く感じる。

もしかして、不合格?

と本音はそう聞きたい二人だが、まだ決まったわけではない、とにかく主役のジュリアンが行動するまで待つ二人。

ジュリアンは顔が常に下を向いてる状態で、右手に持っているスマホはこぼれ落ちそうだった。

“落胆”なオーラを感じさせて、5分以上経った。

このまま何もせず、会話もせず、ただ待つ事にストレスを感じてきた“彼“。

パーティーの準備が終わってから、結果の報告を待つ為に長時間沈黙を守ってきた彼だが、やはりそろそろ止まった時間の針を動かそうとした瞬間、


彼「・・・あの・・・ジュリさん・・・大丈夫」


ジュリアン「プハァーーーーーーーーー!」


ジュリアンは突如、勢いよく立ち上がり、まるで水中の中で長時間潜っていて、ようやく地上に上がる事が出来たかのように息を吹き返す。


エリーゼ「・・・ジュリさん?」


ジュリアン「良かった! これで良かった! もう何かに縛られずに済むんだ、これでようやく・・・これで・・・くぅ!・・・これでもう、“夢”を見なくてすむ」


エリーゼと彼は、ようやく出たジュリアンの言葉から、“結果”を読み取った。

やや男勝りなジュリアンは、今まで見せなかった涙と乙女の様な表情を見せる。

今までの疲労が無駄になり、裏切った親友に復讐する機会は不可能になった事を理解した、ジュリアン。

無我夢中に大泣きしたかったが、ジュリアンはこのままでは折角用意した、パーティーが無駄になる思い、切り替えた。


ジュリアン「ちょっと二人とも、何しんみりしてんのよ! 今日は最後の晩餐なんだから、派手にやるわよ派手に!」


エリーゼ「・・・おう!」


彼「・・・先輩! ワインで乾杯しましょう!」


彼は、ジュリアンとエリーゼのワイングラスにブドウ品種の赤ワインを注いで、自分の分も入れて、三人で乾杯した。


ジュリアン

エリーゼ  「かんぱ~~~~い‼」

  彼

成功の為に準備していたパーティーは、いつの間にか結果などは忘れ去り、ただ楽しく騒ぐ打ち上げパーティーとなった。

しかし、三人は表情に出さなかったが、やはりどこかで心に小さな隙間の穴が開いていた。



深夜1時


 屋上に足を運ぶ“彼”、多少足はフラついていたが、星空を見るのが彼の日課だった。

誰も誘わずに彼は一人で星空を見たい、この時間帯はもう皆が眠りについている。

そう思ったが、屋上に着いた時に既に先客が居るのを確認した。


暗くてよく見えなかったので、彼は足を前に進むが、目が慣れてきた時に人影の正体が“ジュリアン”だと気づいた。

ジュリアンはこちらに気づいてない、彼は状況を察して、声を掛けずに物陰に隠れた。

声を掛けない理由は、彼も屋上では一人で居たい、孤独の空間を楽しみたい、ここで声を掛ければお節介だと思った。

普段自分が座っているベンチにジュリアンが座っている、でも彼女は星を眺めていない、ただ涙を流して泣いている。


彼は思った。

ジュリアンの描いた物語は確かに面白い、社会現象を起こしたのは何ら不思議じゃない。

でも、アーティストは通常の人間よりも病みを抱えやすい。

長く生きれば自分を見失う人間は多いが、ジュリアンの場合は“自分”だけじゃなく、創造力も見失った。

もう・・・傑作は生みだせない、それは彼女自身も覚悟していたはず。

4月15日午前10時


 ようやく目を覚ます“彼”。

彼は夜更かししすぎたせいで、朝食を食べ損ねた。

空腹を紛らわす為に、二度寝した。


午前6時


 いつも通り、早朝5時に目を覚まして、6時になれば誰もいない食堂で朝食を取るエリーゼ。

いつも朝食を食べ終えた後に、本の部屋で日本漫画を読むが、この日は本の部屋ではなく、ジュリアンの部屋に向かった。


午前9時


 いつも通り、7時50分に起きて、顔を洗った後に食堂で朝食を取る。

この後は、いつもならスポーツジムで体を動かすが、この日はそうとはいかない。

9時にエリーゼが自分の部屋にやってきて、レストガーデンで友人となったエリーゼとの最後の会話をする。



午後15時


 広場公園の噴水近くで座り込み、ただ放心状態を保つ“彼”。

そして、たまたま公園を散歩していたエリーゼと出くわす。

エリーゼは、ジュリアンのノートパソコンを持っていた。


エリーゼ「笑えないアホ面ね」


彼「エリー・・・珍しいね、キミが公園にいるなんて」


エリーゼ「それはこっちのセリフよ・・・なんでジュリさんのお別れに来なかったの?」


彼「・・・“別れ”は好きじゃないんです」


エリーゼ「・・・」


エリーゼは、滅多に訪れない公園にいる理由とジュリアンの最後の姿を聞かせた。

公園でジュリアンの弟と、もうすぐ落ち合う約束をしている。

広場公園は、唯一外との人間と面会が許されている場所で、ジュリアンの遺作を弟に渡す場所はここしかなかった。


ジュリアンの最後。

自分のノートパソコンをエリーゼに託した後、友人のエリーゼに最後の言葉を告げる。

「これでようやく、“苦しみ”から解放される、もう誰も憎まず、誰にも不信感を抱かなくて済む、だからこれで良かったのよ」

そして時間になり、笑顔で天地の部屋に向かった。


ジュリアンは子供の頃は、小説作成はパソコンではなく“万年筆”だった。

自分にとって、この万年筆は大切な宝物。

長年愛用してきた万年筆を手に握りしめ、サラバに搭乗する。










ジュリアン・ルブラン


終命証明書に承諾印を確認


4月15日 天地のレストガーデンより永眠。





 4月5日に出会い、それから14日まで知人でもあった。

短い間だったが、ジュリアンとは趣味や世間話もした、レストガーデンでは打ち明けた一人だった。

でももう、彼女は苦しみから解放された。


ジュリアンの最後を聞かされた“彼”は、背徳感を感じた。

その時、自分の中である事に気づいた。


今思えば、レストガーデンに来て“笑み”を浮かべ、“楽しさ”を感じたのはエリーゼとジュリアンに会ってから、それまで外の世界と同じ様に平凡に過ごしていた。

死刑囚みたく、ただ檻の中で死神を待つ、そんなつもりの存在でいるつもりが、いつの間にか様々な感情が芽生えていた。

今の彼の中で一番興味を持っているのは、“エリーゼ“。

短い付き合いでも、レストガーデンの門を潜る彼らの、それぞれの動機が何となく分かってきた。


元ミュージシャンのヴィンスは、"孤独"


元大物ギャングのキングは、"後悔"


一流作家を目指していたジュリアンは、"喪失と希望"


元プロレスラーのタイタンは、"無価値"



エリーゼ・・・彼女だけが分からない、なぜ彼女はここにいるのか?


彼は生まれて初めて、人に興味を持った。



午後22時55分


 残り5分で、希望者は全員4F~5Fまでの階に上がってないといけない。

しかし、彼だけは談話室に向かった。

なぜ彼は談話室に向かったのか、それはある“人物”から、ある“人物”について詳しく聞きたい事があったから。


もう誰もいない談話室の扉を開ける、そしてカウンターの方に向かう。

彼が今一番会って話をしたい人物は、レストガーデンで談話室のオーナー“オカザキ”。

オカザキと二人だけで会話をしたいと思ったが、カウンターには施設責任者“マドレーヌ”が座っていた。

マドレーヌはワインが入ったグラスを片手に持ち、もう片方の手にはタバコを指で挟んでいる。


珍しい組み合わせで、独特な光景でもあった。

あの見るからにも真面目そうなマドレーヌが、喫煙者だった事に驚く彼だが、今は時間が無いため、驚いている暇もなければ、マドレーヌの対応も考えないといけない。

マドレーヌは、まさかこの時間帯に希望者が談話室に入室してくるとは思わなく、すぐに手元にある灰皿でタバコの火を消した。

規則は破ってはいないが、レストガーデンのスタッフが希望者に、喫煙している姿と及び場所も良くなかった。


マドレーヌ「もう消灯の時間ですよ、何しにここへ来たんです?」


彼「オカザキさんからミルクを頂こうと思って」


マドレーヌ「それは明日でお願いします」


彼「でもまだ5分ありますよね、規則内では?」


オカザキ「そうだね、まだ5分ある、マドレーヌさん、ミルクの一杯ぐらいは飲む余裕はありますよ」


マドレーヌ「・・・飲んだらすぐに自分の部屋に戻ってくださいね」


彼「ありがとうございます」



オカザキはすぐにグラスにミルクを注ぎ、彼に提供する。

カウンターでミルクを飲む彼、そして彼にオカザキに聞きたい事を話す。

その内容は、“エリーゼが安楽死を希望した理由”。


オカザキ「・・・どうしたんだい、いきなりそんな事を知りたがるなんて」


彼「僕も初めてなんです、他人に興味を持ったのは、ここに来て初めてです。

・・・あれだけ明るい人がどうして安楽死を希望するのか、まだ若く、綺麗で、性格

もお人好しで・・・なのに外の世界で何があったのか知りたくなったんです。

ここの同居者達と仲が良いオカザキさんなら、何か知っているんじゃないかと思い

まして」


オカザキ「私はただレストガーデン専門のバーテンダーだから、お客様が飲みたい飲み物を提供するだけの職人だよ、他人の過去を聞くのは職務外さ、もし知りた

いのなら、やっぱりマドレーヌさんに聞いてみたら、施設の責任者なんだし」


オカザキはその様に提案したが、厳格なマドレーヌが教えてくれる可能性は極めて低い。

彼は隣にいるマドレーヌの方向に首を向ける。

オカザキは気さくな性格で、誰とでもすぐに打ち明ける事が出来るが、マドレーヌは非

常にミステリアスで、喜怒哀楽の感情が薄い女性。

タバコやお酒をするのと、オカザキと親しい関係である事も今日初めて知った。

彼は恐る恐る、マドレーヌに聞く。


彼「・・・教えてくれますか?」


マドレーヌ「規則書には、他人の個人情報を明かしてはいけないという規定はありません、でも同時に教えなければいけない規定もありません。

よって、エリーゼさんの過去の記録と希望動機を話すつもりはありません」


彼にとっては期待通りの答えだった。


彼「・・・ですよね」


彼はエリーゼの事を聞きたがったが、折角人に興味を持つ感情が芽生えたので、ついでにここで働いている、主要の二人の事を聞いた。


最初にオカザキに、どうしてここで働いている理由を尋ねた。




<オカザキの記憶>


オカザキは過去に、一度“死んでいる”。

エリーゼや“彼”と同じぐらいの年頃の時に、橋の上から身を投げた。

しかし、奇跡的に一命を取り留めてしまい、結局今になっても生き永らえている。

運よく生き延びても、痛みの記憶は消失する事はない。

その過去の教訓から、自死を希望している人達の“痛み”を少しでも和らげる為に、レストガーデンで働く決意をした。

人の為に尽くすのも理由だが、レストガーデンで働く理由はもう一つあった。

それは共感を得たいという理由。

自分のお客様は死と瀬戸際にいる人達、共感者がいるだけで自分の心は癒える。

オカザキ自身も、レストガーデンに救われている人間でもあった。


彼「・・・マドレーヌさんは?」


マドレーヌ「給料手当てがいいからです、それ以外の理由はありません」


マドレーヌが働く理由は一番人間らしく、冷え切った答えでもある。

彼女の真面目さは、同僚のスタッフ一同からも恐れられている。


マドレーヌ「もう23時過ぎていますよ、速やかに部屋に戻ってください」







午後23時50分


屋上で星空を眺める、彼。


一体彼はいつも、星空を眺めて何を感じているのか。

彼の残された時間は、あと25日。

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