3回目の終わり
※死についての残酷な描写があります。
「な、鏑木。2月の26日から3月5日までの一週間。俺んちでさ、学年末テストの合宿やんねーか?」
「合宿?」
教室でだるそうに机に突っ伏してした鏑木が、驚いた声とともにガバッと顔を上げた。
「何それ。めっちゃ楽しそうじゃん。ずっと木嶋んちで寝泊まりするってこと?」
「そ。俺もその間バイト休んで、勉強に専念するし」
「マジかー。めっちゃ本気じゃん」
「だって鏑木、学年末落としたら留年だろ。ここはちゃんとやっとこうぜ。お前んち、スナックもあるし、あの部屋じゃ集中できねーだろ」
進級のための集中合宿。
それは建前で、何としてでも一時的にスナックから鏑木を避難させるため、俺なりに一生懸命考えぬいた作戦だ。
ただの勉強会ではなく、〝合宿〟というところがポイントだ。 遊びじゃなく本気っぽいのがいい。
それに12月の学期末テストは、俺が勉強を教えたことで、実際に鏑木は順位を上げた。俺の家で集中合宿することは、留年目前の鏑木には十分な理由づけになるはずだ。
しかし正直なところ、バイトを一週間も休むのはとても痛い。 翌月の生活に響くなんてもんじゃない。
でもそれも、〝3月4日を越えられたら〟の話だ。来月のことは、無事3月5日を迎えることができたときに考えればいい。
今はとにかく鏑木を助けることだけを最優先にする。
「まあなー。親父も俺がずっと家を空けることに、何も言わねーとは思うけど。スマホあるし」
ほぼネグレクトなあの親父さんが、外泊程度のことで口挟むとは思えない。それよりも、急に連絡をいれてこられて、鏑木が勉強ではなくウリの仕事を優先させそうなのが、怖い。
「その、鏑木……。合宿中はさ……」
「ん? ――あー……」
教室でウリとか言えないし、そもそもその言葉自体が禁句のようなものであるため、はっきり言うことを憚られ口籠ると、鏑木が察したように、「……ああ、アレ? 入れない方がいい?」と言った。
「……せっかくだし、集中してほしいしさ」
「ん。……わかった。合宿中は勉強したいからって、親父に言っとく」
ひとまず、これで安心か。
「じゃあ、26日は学校終わったら俺んちな」
「メシは木嶋が作るんだよな。めちゃ楽しみー」
「お前も手伝うんだよ。一緒に進級できるようにがんばろうぜ」
「おー」
俺はその日の夜にバイト先で、バイトリーダーにシフトの調整をお願いした。
土日まるまる抜けられるのはキツイけど、試験前だし仕方ないねとOKを貰い、これでしっかりと合宿中の一週間は鏑木のそばにいられる。
鏑木も親父さんから了承を貰い、二人で合宿中に食べたいメシの話や、布団をどうするかとか、そんな話で盛り上がった。
焼きそばやチャーハン、シチューやパスタ。二人で金を出し合って、買い物に行き、二人でメシを作る。シチューは初めて作るが、カレーみたいなもんだし、ルーの箱に作り方が書いてあったから、多分大丈夫なはず。
そんなふうに、合宿のための準備を整える。
(26日に鏑木を無事家に連れてくることさえできれば、あとは何とかなる)
今回こそ無事3月4日を乗り越えられる。俺はそう確信していた。
合宿の日が近づく頃、鏑木が前回の時間軸同様に風邪をひき、前日の2月25日は熱が出て学校を休んだ。
だがその日の夜には熱も下がり、26日の朝には元気で、念の為学校を休むと言っていた鏑木のために、俺はこの日、授業を終えてすぐに家まで迎えに行った。
学校を出る前にメッセージを入れ、それから街へ向かった。いつものように繁華街を抜け、飲み屋街のほうへ急ぎ足で歩き、スナックのある路地に入る。
(またスナックが閉店してるとか言わねーよな)
前の時間軸でスナックが閉店していたことを思い出し、少し心拍数が上がる。だがちょうど、スナックの赤いドアから男が三人出ていくのが遠目で見えて、ホッと胸をなでおろした。
ちゃんと店は開店しているようだ。
だが、開店していたらしていたで、一人で中に入るのはちょっと勇気がいる。
「……すみません。鏑木は……」
そろっとドアノブに手をかけ、ドアを開ける。なぜか店内は薄暗い間接照明だけで、あの派手なレーザーライトはなく、客のいない店内に歌謡曲の爆音だけが響いていた。
(あれ……まだ本当は開店前か?)
「えーと、すみません……」
ドアを閉めて奥へ進むと、カウンターのところに人がいることに初めて気がつき、驚いた俺の体がビクッと跳ねた。
(なんだよ、いるなら返事してくれよ……)
「あ、すみません勝手に入って。鏑木の友達の木嶋です。鏑木を迎えに来ました」
「…………」
そこにいたのはいつものウェイター姿の鏑木の親父さんだった。
俺の声には反応せず、カウンター内の背の高い椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと虚空を見つめている。
「今日から一週間、鏑木をお借りします。それで、鏑木は……」
そう言うと、チラッとこっちに目だけ向け、二階を指差した。
相変わらず俺に無関心で、愛想はない。俺は会釈をして、奥の階段へ進んだ。
「おーい、鏑木ぃ」
トントンと足音を響かせ、古めかしい赤い絨毯の敷かれた急な階段を上がる。
部屋へと続引き戸は開いていて、室内が暗いことは階段を上がっている最中に気がついた。
(あれ? 寝てんのか)
相変わらず部屋は散らかり放題で、その入り口すぐの部屋には誰もいない。
いるとしたら、いつも布団が敷きっぱなしの和室のほうか。
俺は遠慮なく部屋に入り、床に散らかった物を踏まないよう注意しながら進むと、少し開いた襖に手をかけた。
「鏑木ー? 迎えに来たぞー」
立て付けの悪い襖をガタッと揺らしながら開けると、なんともいえない生臭いにおいが鼻について、思わず顔をしかめた。うす暗い部屋の中で、布団の上に散らばる、鏑木の光る金髪が目に入った。
「鏑木……?」
布団の上に横たわる鏑木を見た時、最初は寝ているのかと思った。
「鏑木」
布団の上でピクリとも動かない鏑木の肩を手で揺すった。
ゆさゆさと揺すっても、その金髪がただ少し跳ねるくらいで何の反応もない。
「鏑木」
――俺の中で、今何が起きているのか、まったく理解ができなかった。
布団の上で薄目のまま動かない鏑木。
口からは血の混じった泡。グシャグシャになった布団の上で、衣服のない骨の浮いたガリガリの体が横たわる――。
「鏑木!」
パニックになった俺は、鏑木がなんで起きないのか分からず、何度も強く揺さぶった。
だが髪の毛が跳ねて溢れるだけで、鏑木の体は反応を返さない。
「鏑木! 鏑木ぃ!! 目ぇ開けろって!! なんで息してねぇんだよ!!」
大声で呼んだが、鏑木からの返事はなかった。
「親父さん!! 鏑木が……!!」
俺は転げ落ちるようにして階段を降り、靴も履かずにカウンターにいる親父さんを呼んだ。
だが、俺が「鏑木の様子がおかしい」と必死に訴えているのに、親父さんの反応はやけに薄い。あまりの反応の鈍さに、俺は苛立って、カウンター越しに親父さんの胸ぐらを掴み上げた。
「何があったんだよ! 知ってんだろ!? 言えよ!?」
「……春壱は死んでたのか?」
言葉に抑揚がなく、感情のない物言いはまるで他人事のようで、俺は焦りと怒りで、爆発するように親父さんを殴りつけた。
「てめぇの息子が大変なことになってんのに、なんでそんな他人事みてーなんだよ!?」
殴られた衝撃で親父さんの体は、椅子にぶつかり、反動で狭いカウンターの上に突っ伏しうめき声を上げた。
「……春壱は死んだのか? 心臓マッサージはしたのか」
そうだ、心臓マッサージ! 言われてようやく気がついた。慌てて二階に駆け戻ろうとすると、親父さんが「そこにAEDがある」と俺の背後の壁を指さした。
反射的に指差した方へ振り返り、AEDを目で探した。だがその瞬間、俺の頭にガツンと衝撃が走った。
「っひ、ぐう…………いって…………」
頭全体がジンと痺れ、グワングワンと音がなって、目の前が一瞬真っ白になった。
蹲りながら、なんとか上を向くと、親父さんが椅子を振りかざしているのが見えた。
「このクソガキが。うちの春壱を誑かしやがって」
「……っ」
「春壱はなぁ、お前が現れるまでは、俺に従順で、反抗なんかしなかったんだよ。それがいきなり、ウリをやめたいだ? てめぇが春壱に余計なことを言ったんだろうがよ。てめぇさえいなけりゃ、あんなことにゃならなかったんだよ!!」
――ウリをやめたい?
鏑木がそんなことを言ったのか?
「心臓マッサージだ? もうあいつらが二階から出てだいぶ経つ。もうやる意味なんかねーよ。てめぇが殺したようなもんだよ、春壱は」
ガンッと俺の体の上に椅子が振り落とされ、鈍い痛みが肩に走る。反射的に、俺の口から「うっ」といううめき声が漏れ、痛みに体が縮こまる。
尖った靴のつま先で、腹を容赦なく蹴り上げられる。俺はうめき声をあげつつも「…………ウリの仲介屋がやったのか」と掠れた声で問うと、今度は踵が肩に落ちてきた。
「ぐっ」
「……他でも金は借りてるからな。これ以上客を取りたくないって暴れてたから、奴らも薬使って無理やりヤッたんだろ」
「…………あんたが」
「なんだ?」
「あんたがやらせたのか」
「俺は何も言ってない。あいつらが勝手に…………うあっ!」
親父さんの動きが一瞬だけ止まったのを見て、俺は咄嗟に足払いを仕掛けた。狭い店内でうまく技が決まるとは思えなかったが、足を引っ掛けられバランスを崩した親父さんは、反動でカウンターに激しくぶつかり、そのまま床に倒れこんだ。
すぐさま俺は親父さんの上に馬乗りになり、身動きできないよう体を押さえつける。
「このクソガキが……!」
「なぁ、親父さん、鏑木返してくれよ……。なんでそんなことになっちまうんだよ……」
「ふん、色気づいたクソガキが。うちの春壱の体はよかっただろ? いろんな男に調教されてたからなぁ。だから独り占めしたくなったか? うん?」
「……!」
「うちの借金はなぁ、俺が作ったやつだけじゃない。あいつの母親が作ったやつもあるんだよ。あのアマ……俺が事業立ち上げて、かき集めた資金を、男作って持ち逃げしやがって。挙句の果てに、俺の名前を使ってあちこちで金借りてやがった。そのツケをあの女の子供に払わして何が悪い!」
反射的に、俺の拳が親父さんの顔を殴りつけていた。
――警察を呼ぶとか、救急車を呼ぶとか、怒りにまみれた俺の頭にはそんなこと、一欠片も思いつかなかった。すぐにでも救急車を呼べば、鏑木は助かったのかもしれないのに。
ただ怒りに任せ、親父さんを殴り蹴り、まるで松永の絵を壊したときのように、リミッターが外れたまま、俺は血みどろの親父さんを殴り続けた。
――気が付くと、俺は血溜まりの中で立っていた。
足元に転がる親父さんは、もうピクリとも動かない。
俺の手も殴り過ぎて壊れてしまったのか、感覚がなくなっている。
爆音の歌謡曲の中、ハァハァと肩で息をし、しばらく俺はその場に立ち尽くしていた。
――それからどれくらい経ったのかは分からない。
まだ呆然としているところに、急にスナックのドアが開き、外から人の顔が覗いた。
「おー来たぞー。遅くなっちまった」
「あー誰だ? てめぇは」
一瞬客かと思った。だが、そうではなさそうだった。
ガヤガヤと複数人の男たちが無遠慮に店内に入り、俺を見ると一様に訝しげにした。そしてそのうちの幾人かは、俺を威圧的に睨みつけ、またそのうちの幾人かは俺の足元の血溜まりを確認すると、呆れたような声を上げ、鏑木の親父さんが生きてるかどうか確認するため、しゃがみ込んだ。
「こりゃ、もうダメかぁ」
「おいおい、死人が増えてら」
「まだ生きてるだろ。脈とってみろ」
そしてその中の一人が、俺の名前を呼んだ。
「あー……木嶋君じゃねーか。あーあ、やっちまったかぁ……」
その声の主を見て、え? と目を疑った。
「あー、鏑木のおっさんから連絡きたから来てみたけど、ちょっと遅かったか。ハルちゃんが死んでんの見て、頭に血ぃのぼったか」
その声の主はなんと、俺たちが仲良くしてもらっていた、あのバーのマスターだった。
「嘘だろ……マスター……」
なんでマスターがここに? どうして鏑木の親父さんに呼ばれて来てるんだ?
混乱した頭でそう思った瞬間、頭の後ろに強い衝撃が走り、俺の意識は瞬時に闇に沈んだ。
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