絶交

鏑木にこれから教室に戻ると連絡し、鏑木がいるはずの教室棟へ向かうと、教室棟の玄関のところで俺のリュックを片方の肩にかけた鏑木が、ポケットに両手を突っ込んで立っていた。


「おっせーよ。どこ行ってたんだよー。教室で待ってたら見回りのセンセーにさ、さっさと帰れって追い出しやがってさー」


 口を尖らせ、ブスくれたように文句を垂れながら、俺に持っていたリュックを差し出す。

 だが俺から漂うピリついた空気に気がつくと、やや戸惑ったような表情を見せた。


「……どした? 木嶋。なんかあったのか」

「いや――」


 言葉を濁しつつ、持ってきてもらって悪ぃなと、鏑木からリュックを受け取る。


 いつもと変わらない鏑木。


 こいつがウリをしているだなんて、俺には信じられない。

 あの写真だって本物かどうか――。


(くそっ、松永があんなやつだとは思わなかった)


『やっと出来上がったから、明日、鏑木に見せようと思ってね』


 鏑木が松永の絵を破壊した日、松永が絵のことを鏑木に話し、あの写真の存在をほのめかしていたなら?

 鏑木が怒って当然で、さらに鏑木が松永の絵を壊したことの辻褄があう――。


「……木嶋? マジでどーした? 顔がめっちゃこえー……」

「鏑木、お前さ」

「なに?」

「その……松永と…………いや、なんでもない」


 言いかけて言葉が詰まる。


「はァ? なんだよ。はっきり言えよ。……松永になんか言われたのか」


 松永と聞いて、鏑木が露骨に顔をしかめた。


 ――はっきりと聞けばいい。お前、ウリやってんのかって。しかも男相手にって変な噂が流れてるぞって。


 松永の言っていることが本当かどうか、ここで確認しておかないといけないわけだし、この話が鏑木の死の真相に近づく第一歩になる可能性だってある。


 ……分かっているのに、俺はどうしても聞けなかった。


「いや……その、……松永に変なこと言われたりとか、……しつこくつきまとわれていないか?」

「…………」

「何度か松永とトラブってるだろ? 何かあったのかなって……」

「…………」


 鏑木は何も言わず、俺から目をそらし、どこか睨みつけるような目つきで、虚空を見つめている。さっきまで俺にまとわりついていたピリついた空気が、今度は鏑木から漂っていた。


 ――なんで何も返事をしてくれないんだよ、鏑木。


 何もないならいつもみたいに『あるわけねーだろ』って、笑ってくれ。

 なぁ、鏑木。俺たち親友だろ? ……もし、もし本当に何かあるなら、俺にぶつかってでも打ち明けてほしいんだよ。


「……鏑木……?」


 俺が名前を何度も呼び、それでも無言が続いた。


『ごめん、何でもない』って言えるような空気でもなく、沈黙が俺の心に重くのしかかる。

 もう松永のことは今でなくていい。この沈黙をどうにかしたかった。

 俺の頭の中は、どうやってこの場を取り繕うかということでいっぱいになっていた。


「……木嶋はさ」


 反射的に鏑木を見る。

 だが鏑木はそっぽを向いたままで、俺と目を合わせることなく言葉を続けた。


「……木嶋はさ、なんで俺にそうやって執着してんだよ。松永に何言われたのか知んねーけど、どーでもいいじゃんか、俺のことなんてさー。最近知り合ったばっかなのに、俺のことなんでも知りたがって、ガチのストーカーじゃね?」


 いつもの冗談めかしたようなものではなく、抑揚なく淡々としていて皮肉げで。まるで俺に幻滅したような、そんな言い方だった。


「……もう話すことねーし。俺、帰るわ」

「鏑木……!」

「これでサヨナラな。仲良しごっこももう終わり。お前しつけーし、もう話しかけてくんなよな」


 俺の脇をすり抜けて、校門へ向かおうとする鏑木の腕を、俺は咄嗟に掴もうとした。だが鏑木はただ無言で俺の手を払い除け、そのまま何かを言うことなく、行ってしまった。


「鏑木…………」


 ――さよならって、なんだよ。


 ウリやってんのかって疑われて怒るのなら分かるけど、ただちょっと松永とのこと聞いただけで、それはねーだろ。

 言いたくねーなら、いつもみてーに誤魔化せばいいのに、なんでキレて行っちまうんだよ。

 マジでさよならってなんなんだよ。話しかけてくんなって、絶交ってことかよ。


 ……あー……くそっ、俺は何やってんだ。


 あんなに前回の時間軸と同じルートを辿るって決めてたのに、自分からデカいイベントぶち壊して、挙げ句肝心の鏑木に嫌われるなんて。

 鏑木の代わりに俺が絵を壊したら、話の流れが変わるかもしれないなんて、ちょっと考えたら分かるだろ。ほんと、マジで何にやってんだよ。


 ……せっかく鏑木との仲も順調だったのに。


 今度はこれまで以上に、重要な手がかりを聞くことができたかもしれなかったのに。

 鼻がツンとして、ジワッと目の前が歪む。


 なんで涙が出るんだろ。


 イベントをしくじったからか? もしかするとまたループになるかもしれないからなのか?


(わけ分かんねー)


とっくに見えなくなった鏑木の背中をしばらく見つめ、それから グスッと滲む涙を拳で拭うと、俺はリュックを背負い直して、足取り重くアパートへと帰った。


 真っ暗な家に帰りつき、いつものようにパチンと電灯のコードを引っ張ると、明るくなった台所でやる気なくその場に立ち尽くす。


(……飯、作るのだりーな)


 今日はバイトもないし、鏑木と一緒に激安タナカマートで、何か買って食べようかと思っていた。だから夕飯を作る気はそもそもなく、そしてやる元気もない。


(そんな腹も減ってねーから、いっかな……)


 〝ご飯は三食ちゃんと食べること〟


 頭に母親との約束が頭をよぎる。だが俺は、とにかく風呂に入ってさっぱりしたかった。

 今日はかなり暴れた上、泣きながら帰ってきたから、顔も体もさっぱりさせたい。 ゆっくり風呂に入って、今心の中でモヤモヤしているものを洗い流したい気分だった。


(風呂からあがって、腹が減ったら何か食おう)


 無心で浴槽を磨き、湯をためる。


 どうにも落ち着かず素っ裸のまま、浴槽の前で湯がたまるのを待ち、早々と体を洗って、ようやく温かい湯に浸かると、強張っていた体が緩んで、やっとふーっと一息つけた。


 湯気の立つ狭い風呂場の天井を見ながら、学校であったことを反芻した。


 松永との一件、そして鏑木とのこと。

 もう鏑木との関係修復は難しいかもしれない。あんなふうに怒った鏑木は初めてだった。


(鏑木と接触せず、周囲を調べあげて、なんとか行方不明になるまでのルートを突き止めるしかないのか)


 学校を休んで、ずっとスナック周辺を見張るか?

 いやそんなことをしたら、無断欠席が親にバレてしまう。学校から連絡なんか来たら、すぐにでもうちの母親は飛んでくるだろう。

 そうなってしまえば、バイトの終わる時間まで管理され、鏑木の家に近づくことすら難しくなる。


(……もうあのスナックの二階の部屋へ行くことはなくなるのか)


 また涙が出そうになって、ザブンと頭まで湯に浸かる。

 あんなふうに、正面切って友達にさよならを言われたのが初めてだったからだろうか。

 風呂に入ってさっぱりした気分になりたいのに、心の中にモヤモヤだけが残る。


(友達か……)


「ぷは」と湯から顔を出した。


(やっぱ俺、鏑木と離れたくねー)


 明日鏑木に謝ろう。また無視されても何度も何度も謝って、いつか許してもらおう。


 それしかないと、俺は心に決めた。 




 長湯のしすぎでのぼせて重い頭をタオルで拭きながら、俺は服も着ず冷蔵庫の麦茶を出した。冷たいものでも飲まないと倒れそうだ。

 洗って伏せておいたコップに麦茶を注いでいると、かすかにアパートの階段を誰かが上がってくる音が聞こえた。


 二階建てで六戸しかないうちのアパートは、木造でかなり古いこともあって、階段の上り下りの音すらアパート中に響いて聞こえる。なんというかカンカンという靴音のほかに、ドンドンという振動が伝わるというか。

 だから夜に出入りする時は、結構気を遣う。


(お隣さん、仕事から帰ってきたのか)


 そう思って麦茶を飲んでいると、廊下を歩く靴音は隣を通り過ぎ、俺の部屋の前で止まった。


 俺の部屋に誰かが来ることなんかほぼないから、誰かよその部屋でも間違えてんのかと思った。

 様子を見ていると、廊下に面した窓の曇りガラスにチラチラと人の影が覗く。

 室内からぼんやり見える、廊下の外灯に照らされた金髪っぽい頭のシルエット。


「か、鏑木………!?」


 違うかもしれない。でもあんな派手な金髪はこのアパートの住人にはいないし、この辺じゃ俺は鏑木以外知らない。

 俺は慌ててコップを流しに置き、部屋着のズボンを履くと、すぐに玄関に向かった。

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