エピローグ(全3話)
荒廃した日常
「かつてこのファース大陸には暴君タナカカクトが君臨し、世界を支配していた」
紅く荒廃した空の下、話術師ヘラゲラスは街頭演説をしていた。ミチュアプリス王国の広場には人だかりができており、ヘラゲラスが立つ壇上の前で足を止めている。
「彼の暴君はミチュアプリスの玉座を乗っ盗り、大勢の人間を殺し、戦争さえも引き起こした。だがそんな暴虐を賢者たちは許さなかった! 大賢者ビスモアをはじめとし、賢者アラバド・賢者ケンリュウ・そして我らが王・賢者ティモンが結集し、暴虐の王タナカカクトを討ち滅ぼしたのだ!」
ヘラゲラスは気勢を上げ、さらに熱弁を振るう。
「賢者たちの行動は敬服と賞賛に値すべきものだと言えるだろう。彼らは『英雄』と呼ぶに相応しい。そして我々人類はその英雄たちが救った新たな世界を守るためにも、この荒廃した世界に立ち向かわなければならない! 神が消失したこの世界で、もう一度人類の歴史を築き上げなければならないのだ!」
ゴンッ!
力強く主張するヘラゲラスの額に、石が飛んだ。強かに打ち付け、血を流し、思わず傷口を押さえる。ヘラゲラスの演説を聞いていた民衆たちは激怒した。
「ふざけるなっ! 俺たちの生活から魔法を奪ったティモンが英雄だと! この狂信者め!」
「俺たちの魔法を返せ! 俺たちの仕事を返せ! 俺たちの世界を返せ!!」
散々に民衆たちはヘラゲラスに罵倒を浴びせながら、どんどん彼に石を投げつける。痛みにたまらなくなったヘラゲラスは、とうとう壇上から降りてそそくさと退場した。背後からはなおも、民衆たちが野次を飛ばす大声が聞こえてくる。
(ふん、自分の周りしか世界が見えないバカどもが。てめぇらは他にタナカカクトを倒す方法でもあったのかよ)
内心悪態を吐きながら、ヘラゲラスはポケットからハンカチを取り出す。花柄の刺繍がされた白いハンカチであり、いつもそれを持ち歩いていた。だがしばらく逡巡すると、そのままハンカチをポケットにしまう。けっきょく服の袖で血を拭った。
(つまらんケガでこのハンカチを汚したくはない)
そしてヘラゲラスはミチュアプリスの城下町の外れにある、ひっそりと構えられた自分の屋敷に戻った。ブラカイア族の警護の傭兵二人が敬礼する。ヘラゲラスは「ああ」とポケットに手を突っ込んだまま適当に返事をかえす。玄関の扉を開けると、さらにブラカイア族のメイド二人が「お帰りなさいませご主人様」と頭を下げて挨拶する。ヘラゲラスはそれにも「ああ」とぞんざいに返すと、屋敷の奥に進んで団らん室に辿りついた。
「あら、今日も派手にやられましたわね。あんな無駄話などさっさとやめればよろしいのに」
団らん室のすぐ隣の台所から女の声が響く。ヘラゲラスは椅子を引いて、団らん室のテーブルの前に腰かけた。
「ふん、俺の仕事に口出しするな。俺は自分がやりたいからやってるまでだ」
「小銭ひとつすら稼げないくせに仕事ですって? あなたはホント宮廷を出てから腑抜けになりましたわね」
何を言い返しても悪態を吐く憎たらしい猫の声。その女はトマトを溶かしたビーフシチューを作っている最中だった。
やがて調理を終えて
「さぁ、頂きましょうかヘラゲラス。どうせあなた、私が声をかけないと食事すらまともに取りませんから」
そして目の前の女――レクリナはにっこりと笑う。ヘラゲラスはにこりとも笑い返さず、ただ黙ってスプーンを手に取った。
「ねぇ、今日は何か変わったことでもありませんでしたの?」
「ふん、何も変わっちゃいないさ。世界は荒れ果てていて、民衆がバカばっかってこともな」
「あら、あなたもそのバカの一人じゃないですの? ですが、私はちゃんと進展がありましたわよ。5番街の製本屋さん、あそこで写本のお仕事をもらいましたわ」
レクリナは誇らしげにフフンと笑う。
「けっ、金があるのになんで働く必要がある? この屋敷には一生遊んで暮らせるだけの金貨が保管されてるんだ。俺はミチュアプリスを救った偉大な話術師だからな」
「『俺たち』でございますわ。私だってあなたと同じです。私は自分がやりたいから仕事をやってるまでですわ」
「ふん、なら勝手にしろ」
二人は互いに言い合いながら食事を終える。レクリナはパンの籠と食器を持つと、台所で洗い物を始めた。
「ねぇ、ヘラゲラス。この後二人で出かけませんこと? 私、製本屋さんからお仕事の本と用紙を取ってこないといけませんの」
「ガキじゃないんだから一人で行け。俺は一仕事した後でくたびれてるんだ」
ヘラゲラスはだらしなく椅子にもたれかかり、レクリナが用意した紅茶をぐびぐびと飲む。
「そういうわけにはいきませんわ。私、最近体の具合が悪いんですもの」
「な、なんだと? お前、そんなこと今まで言ってなかっただろ? おい、どこが悪いんだよ? 医者には診せたのか?」
「ええ、
ヘラゲラスは飲んでいた紅茶を吹き出した。そして傷のついた額を押さえて天井を見上げる。
「……ああクソッ、ガキなんてできたら俺が演説をする時間が減るだろ」
「あら、張り合いがあっていいことですわ。この屋敷に私たち二人きりだなんて広すぎますもの。ティモンにはもう少し小さくていいと申しつけましたのに」
そして二人は出かける準備をした。メイドたちと護衛たちが見送りをする。二人は5番街へ行き、製本屋から仕事道具を受け取って出ると、派手なピンクの私服姿のアーサスを見かけた。どうやら彼は非番らしく、手を繋いで歩く二人と目が合うと声をかけてくる。
「やあ、相変わらず見せつけてくれるなご両人」
「ふん、俺はこの女を娶った覚えはない。勝手に俺の屋敷に住みついているだけだ」
「あら、妻を妊娠させておいて何をおっしゃってますの? そろそろ父親になる準備をしてもらわないと困りますわ」
アーサスはハハハ、と笑い声を上げる。
「そっか、二人ともおめでとう。ヘラゲラス、ちゃんとレクリナのこと幸せにしてやれよ。家族とはいいものだからな」
無遠慮に近づき、アーサスはヘラゲラスの肩をバンバンと叩く。妙に先輩風を吹かせた台詞回しだった。
「アーサス将軍、あんたは俺が宮廷にいた頃は随分仏頂面だったよな? 『堅物』って言葉はあんたのためにあるようなもんだった。だが今はそんな減らず口を叩けるようになってる。あんたがそんな風に大口を開けて笑うなんて意外だな」
「いや、元々私はこういう性格だよ。仕事は真面目にやってるが、宴席で酒を飲むとついつい裸になりたくなるんだ。一発芸を披露しても、部下たちは誰も笑ってくれないんだがな」
アーサスは臆面もなく自らの醜態について話す。ヘラゲラスははぁ、とため息をつき呆れかえった。
「そりゃそうだろ? いい歳したおっさんのむさ苦しい裸なんざ誰が見たいんだよ? 笑いを取りたいなら、まず相手が何を求めているのか考えなきゃならない」
「流石話術師だな! 笑いのツボというものを心得ている! なら今度ご教授してもらおうかな?」
「……断る。俺はもう笑いを捨てたんだ」
「ええ~、それはもったいないなぁ。実を言うと君の馬鹿話は結構好きだったんだ」
他愛ない会話が紅い空の下で交わされる。三人はいま安穏とささやかな幸福の中に包まれていた。だがそれを遠巻きに見ていた民衆たちは違う。妬みと羨望の入り交じった視線で睨み、三人の会話を盗み聞きしていた。
「……アーサス将軍、場所を変えよう。ここの空気はあまりよくない」
「……ああ、わかってる。さっきから私も殺気を感じているよ」
アーサスは二人を庇うようにしながらこそこそと移動し始める。だがその時レクリナの瞳には、遠巻きにいる貧しい恰好をした民衆たちの姿が映った。そしてレクリナはアーサスの袖を引く。
「ねぇアーサス、私たちを貧民地区まで連れて行ってくださらない?」
驚いてヘラゲラスはレクリナに視線を向ける。
「おい! 何言ってんだお前!? 貧民地区なんて余計に危ないぞ?」
「ええ、わかってますわ。ですからこうしてアーサスに護衛を頼んでいるのです」
「……私はもう君の家来ではないのだがなぁ」
アーサスは困った仕草で頭を掻く。
「ええ、ですがちゃんと腰の物は差しているじゃありませんの? 私たちを護衛するにはピッタリな装備ですわ」
アーサスの得物をレクリナは抜け目なく見て取る。そこまで言われて、アーサスの顔が急に真剣なものとなった。
「……レクリナ、どうして君は貧民地区に行きたいんだい? 予め言っておくが、あそこはとてもひどいところだよ?」
「ええ、わかってますわ。ですが私、知りたいんです。いま世界がどうなってるのかって」
アーサスはしばらく沈黙して考え込む。だがやがて頷き、レクリナに返事した。
「……わかった。レクリナ、騎士の名誉にかけて君を無事貧民地区まで連れて行こう。ヘラゲラスもそれで構わないな?」
「けっ、ガキが出来た猪女をほっといてノコノコ屋敷に帰れるかよ!」
「あら、失礼ですわね。私は人間ですわ。首を掻っ切ればきれいな血が飛び出るだけのみっともない命」
レクリナは二人の男の前を勝手に歩き出す。そしてしばらく進むと、振り返った。
「アーサス! 私たち家族の護衛、よろしくお願いいたしますわね」
「ああっ!」
そしてアーサスとヘラゲラスはレクリナの傍まで駆け寄る。一行は貧民地区に向かった。
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