冷酷な統治

 アーサスを先頭にレクリナとヘラゲラスが貧民地区に到着すると、カラスが人の目玉をついばんでいた。辺りの街道を見渡すと、野ざらしの死体や地面の上で横たわる人々があちこちで散見される。


(以前俺がここへ来た時は、ここまで大勢の人間が貧民地区に屯していなかったはずだが……)


 ヘラゲラスは沈痛な面持ちで記憶を手繰り寄せる。アーサスは広い道に出て、やはり変わり映えなく地面に人々が転がっているのを見渡すと、ゆっくりと二人に振り返った。


「この世界からアニバサブ粒子が消滅した後、多くの失業者が発生した。魔法専門職だった者や魔製用品の工業従事者だった者がみな職を失い、他に仕事を見つけられない者がほとんどだった」


「……やっぱり、そんなことになってたんだな。ここの連中の中には、確かに手の甲に魔術師の印紋が施された奴を見かける」


「ああ、その中には元々ミチュアプリスの宮廷で仕えていた者たちさえもいる」


 アーサスは起き上がることすらできない者たちを眺めながら、説明を続ける。


「世界は荒廃したことで、自然にも破壊的な影響を与えた。森林や川が枯れ、そして動物たちも大量に死に絶えた。だから食料や水などの資源を採取することも困難となり、物価も一気に高騰している」


「……確かに、私が買い物に行く時も、日に日に物価は上がっていますわね。顔馴染みだった店員の方も、いつの間にかいなくなっていましたわ」


「ああ、どこの店舗も似たようなものだろう。見回りに行った部下たちも、君と同じようなことを毎日報告してくる。ミチュアプリスの民衆たちは今までの生活を維持することが困難になり、中流階級だった者たちですらこの貧民地区に流れ着くようになってしまったのだ」


 しばらく三人が歩くと、割れた窓や血の跡がそこら中で目に映った。そうした争いの痕跡が、貧民地区の惨状を物語っている。


「そして今、貧民が急増した影響で国家の財政も圧迫されるようになった。だからティモン陛下は、貧民への救民政策をどんどん打ち切っている状況なのだ」


 その言を聞いて、ティモンを信望していたヘラゲラスは驚愕する。


「お、おい嘘だろ!? あの誰よりも貧民たちのことを思いやっていたティモン様が福祉を打ち切るだなんて……以前はもっとお優しい心根の持ち主だったはずだ!」


「ああ、だがあの方はもう変わってしまったのだ……」


 顔に影を落とし、アーサスはポツリと呟く。


 その時、「泥棒ーっ!!」という大声が貧民地区に轟いた。三人がやにわに声が聞こえた方角へ振り返ると、ブラカイア族の男とミチュアプリス原住民の女が小さな袋を抱えて走っていた。


 その背後から衛兵二人が後を追ってくる。すぐに逃亡した男女に追いつき、飛び掛かって取り押さえる。二人組の手から荷物が投げ出され、そこから食料と銅貨がぶちまけられた。衛兵たちは暴れ回る二人組の両手首を縄で縛る。アーサスはその騒動の元に駆け寄って声をかけた。


「おい、一体何があった?」


「ああ、アーサス将軍。さきほどこの者たちが民家から盗みを働いたのです」


 部下たちは暴れ回る泥棒たちに馬乗りになりながら、事情を説明する。


「……そうか。ここのところ毎日だな。殺人、盗み、強姦、犯罪は増加の一途を辿るばかりだ」


「アーサス将軍、この二人をどうしますか?」


「殺れ」


 部下たちがブラカイア族の男の頭を地面に押さえつけると、何の躊躇もなく剣を抜いて首を刎ね飛ばした。それを隣で目にした女は「ヒィィィッ!!」と悲鳴を上げる。女は縛られた身体をガタガタと震わせながら、額を地面に擦りつけた。


「お、お願いします! どうか私を許してください! 私たちは盗みを働かないといけないほど飢え死にをしかけていたのです! このような馬鹿な真似はもう二度といたしません! だからどうか、命だけは――」


 ザシュッ!!

 

 部下はそのまま頭を下げた女の首を刎ね飛ばした。頭部を失った身体が地面に横倒れとなり、切断面から大量の血液が流れた。貧民地区の一角は一瞬で血の海となり、近くで騒動を見守っていた者たちは絶句する。ヘラゲラス自身も、その躊躇なく殺人が行われた光景に顔を青ざめた。


「……過激ですわね。殺す必要がありましたの?」


 レクリナは無表情のままアーサスに疑問を投げかける。


「これはティモン陛下のご命令だ。秩序を乱す者は全員殺せと。我々の任務は、ミチュアプリス王国の平和を守ることだ」


 アーサスは冷徹な視線で死体を見下ろしながら答えを返す。だがそれに堪らなくなって、ヘラゲラスは食ってかかる。


「け、けどよぉ。こいつらだって盗みをしたくて盗みをしたわけじゃねぇだろ!? 貧民地区に落ちたのだって、こいつらなりの事情があったからだ! 何も殺すほどの罪は犯してねぇ! 世界が荒廃して生活もままならなくなったから犯罪に手を染めたんだ! こいつらだって、視点を変えれば被害者だ!」


 アーサスは死体から視線を上げると、ヘラゲラスを見遣る。だがその瞳はとても冷たいものだった。


「ヘラゲラス、君の考えは甘すぎる。被害者だからといって、他人に危害を与えていい理由にはならない。誰かの罪を同情に任せて見逃してしまえば、人間の悪意とは際限なく増幅してしまうものだ。この者たちは断罪されるべくして断罪された。秩序を守るために必要な犠牲なのだよ」


「そ、それは、そうかもしれないけどよぉ……」


 ヘラゲラスはなおも、何か反論を言いたげな素振りを見せる。だがアーサスはヘラゲラスの言葉を遮り、すぐに二の句を継いだ。


「ヘラゲラス、君が言わんとしていることもわかる。確かにこれは一見、人道にもとる残忍な行為だ。だがあの方はあの方なりの考えがあって、世界に秩序を取り戻そうとしている。いまや世界は荒廃しており、民衆たちの心も荒み切っている。もはや道徳によって民衆を説き伏せることは不可能なのだ。何故ならば道徳とは、自分の安全や生活が保障されるからこそ、初めて万人が共有できる机上の空論でしかないのだから」


「……それはあなたの考えですか? それともティモンの考えですか?」


 レクリナが冷たい声で問いかける。だがアーサスは沈黙を貫いた。


「……何だか寂しい考え方ですわね。あなたもティモンも、もう少し人間というものを信じられる殿方だと思っておりましたわ」


 そしてレクリナはふいに背中を向けて貧民地区の外門へと歩いていく。


「お、おいレクリナ! どこ行くんだよ!!」


「飽きましたわ。こんな血生臭いところ、長居は無用ですわ」


 ヘラゲラスは急変した恋人の態度に呆気に取られる。だがレクリナは道の途中で振り返って言った。


「早く帰りますわよヘラゲラス。これは私たち平民の手に負える問題ではありませんわ」


 レクリナは再び背中を向けて去っていく。アーサスはそんな興味を失ったレクリナを見て思う。もはや彼女は道中の護衛すら頼りにしないぐらいに、自分に失望してしまったのだろうと。それでも右往左往するヘラゲラスに、アーサスは促した。


「ヘラゲラス、早く行ってやれ。君が傍にいないとレクリナが危険だぞ」


 ヘラゲラスは呼びかけられ、おろおろしながらもアーサスに向き直り、ためらいがちな口調で告げる。


「……アーサス将軍、俺にできることがあったら何でも言ってくれ。できる限り協力する」


「……ありがとうヘラゲラス。だが君の役割はレクリナたちを幸せにすることだ」


 アーサスはヘラゲラスの申し出を断り、そのまま肩をしっかりと叩く。


「子供を産んで立派な大人に育ててやってくれ。それが我々国家が君たち市民に望む願いだ」


 ヘラゲラスはそんなアーサスの叱咤激励に戸惑いつつも、やがて外門近くにまで到着したレクリナの後を追った。

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