~酸欠の二十枚~(『夢時代』より)

天川裕司

~酸欠の二十枚~(『夢時代』より)

~酸欠の二十枚~

 清閑(しずけさ)がてらに女性(おんな)の用途を手探りしながら、俺の生命(いのち)は全き文句(ことば)を白紙へ納め、ふらふらふらふら、危ない至地(しち)まで涼風(かぜ)を求めてやって来て居た。まるで迷路が包装被(かぶ)りの〝土手〟の上から、何の躊躇も見せない儘にて、気力の零れる無機の体(てい)して落下し始め、俺が誘(いざな)う過去の残像(かたち)は過去の幻(ゆめ)へと奔走して活き、俺の目前(まえ)には自由の利かない五月蠅(あわ)い落日(そのひ)が落下していた。俺の背後(せなか)を充分曇らす淡手(あわて)の逆鏡(かがみ)は〝白(しろ)〟か〝黒〟かも悟(さと)せぬ姿態(すがた)で幻(ゆめ)の淡路を賑やか成るまま塗装して行き、俺の前方(まえ)から舗装され得た未完(みじゅく)を冠する無垢の具体(ようす)は、未知が訓(おし)える無学の態(てい)して俺の感覚(いしき)を路頭へ遣った。

 冠水して行く日照り続きの俺の淡路(みち)には旧来(むかしなじみ)の好友(よしみ)も居らずに、清閑(しずか)な孤独が一人ぽっつり、古宿(やど)を捜して独歩(ある)いて在って、未完(みじゅく)に気遣う早い流行(みず)には俺の余命(いのち)が判らなかった。俺の生命(いのち)は延命(いのち)に繋がる永久(とわ)へ肖り、そうした残骸(むくろ)に着流し始める人間(ひと)の謳歌を片手にしながら、遠くに望める神秘(ふしぎ)の末路は俗世(このよ)の先端(トップ)を独走(はし)りながらも、未完(みじゅく)に仕舞える我が身の煩悩(なやみ)の温度の果てには旧い未完(みじゅく)が表情(かお)を覗かせ俺の始末に失踪している。俺を眺める〝九段坂(くだんざか)〟から、一人の幼女が戯れながらに母性(はは)に対する気丈の身構(かま)えを算段して置き、自分の小体(からだ)が小さいながらに膨(おお)きく独歩(ある)ける女性(おんな)の〝旧巣(ふるす)〟を突(つつ)いて在った。喋り方から素振(そぶ)りを呈せる稚魚の肢体(からだ)に鱗の片鱗(かけら)を陽(よう)へ届かせ、俺の目前(まえ)ではきちんと傾く風見鶏(とり)の姿態(すがた)を構築しながら、幼女の一体(からだ)は淡い仄香(ほのか)にその実(み)を空転(ころ)がせ、四旬に損ねる花の魅力を充分疑う気質を添えた。〝無駄〟の意識を払いながらも俺の孤独は大海(たいかい)を経て、通り相場の価値を見積もる無憶(むおく)の肢体(からだ)を翻(かえ)して居ながら、現代人(ひと)の在り処に何も見得ない余程の失意を耽望(たんぼう)して居る。孤言(こごん)の意識を通して居ながら生(せい)を通さぬ現行(いま)の流行(ながれ)に詰る処の〝余程〟を着流し、意味の無いのを意味と識(し)る程、現代人(ひと)の経過は鬱屈しながら「明日(あす)は我が身」と覚悟を決め込む無題の孤独を人間(ひと)は観て居る。孤高の努力を活きる努力(ちから)へ変貌させ得て純白(しろ)い経過(ながれ)は積算(せきさん)されて、潔白(しろ)い肢体(からだ)は「昨日の感覚(いしき)」を従順(すなお)に通せぬ脆弱(よわ)い〝始め〟を堪能して居た。宙(そら)へ下(お)ち生(ゆ)く永い人路(レール)の孤独の極みは明日(あす)の表現(かお)さえ留(とど)めて居らずに、昨日の集地(アジト)へ自然に辿れる微(よわ)い衝動(うごき)を黙認して居り、現代人(ひと)の様子を振るいに据え置く未完(みじゅく)の用途を人間(ひと)へと遣った。何処(どこ)まで入(い)っても果ての見得ない旧い逆行(もどり)の明日(あす)への幻(ゆめ)は、昨日の未覚(みかく)へ鬱屈して生く無憶の神秘(しんぴ)に集積されて、現代人(ひと)の背中が離れられない滑稽(おかし)な条理へ罵倒を遣った。〝無駄な努力〟は散生(さんせい)した儘、温(ぬる)い独歩(あゆみ)の活動写真(ドラマ)を読み取り、明日(あす)の目下(ふもと)へそのまま居座る〝故郷の錦〟を望遠して居た。

幻想ゆめに入る)

 俺がして居た喋り方が〝ギネスブックに手を入れそうな喋り具合〟等と言われ、俺は何故(なぜ)か中学の時に散々虐めてくれた宮田敦(みやたあつし)と居り、始め喧嘩して居たが(俺の方がが悪い)、段々打ち解けて行った。最終的にクラスのお別れ会の話に成って、これまで(又何故か高校時代迄)の思い出話に花が咲いて、急に、又仲間という事で束の間、二人の仲は急接近したようだった。しかし矢張り、常に俺の側に不安は在った。俺達は、旧校舎を見ながら廊下を歩き、その突き当りまで行くと、近藤公子を始めとして、様々な俺の高校時代の知り合いが(結構)沢山登場して来て、皆、俺が泣いて居たからか、一様に泣いて居た。近藤公子という女性(おんな)は、上背が高く、まるで八十年代に街中を歩く顔の彫りの深い日本人離れしたような器量に在る、高校女子にしては少々大人びた体格の持ち主だった。宮田に俺はその時にか言われたが、彼独特のぼそぼそ喋りと、周りの声にその話の内容が殆ど掻き消されて仕舞って、全く要を得なかった。そのとき彼が言った内容(の)は以下のようである。

「屹立とした…湯(たん)しか出来ないですけども、…と…、きょときょとしている…から危険の仲から生還して来た…、手っ取り早い方法を取る前でしょ…てな…クアニ…な鮮やかなの…てある東京即席ならではの運びを見て居たとする人達。…」

 〝彼等〟を観て俺は変って行った。

      *

 友の伴(とも)から共生して生く直走(ひたばし)りが見え、俺の目下(ふもと)で空気(しとね)を揺らげる未想(みそう)の文句(もんく)は供(とも)を然(さ)て置き、解釈し難(がた)い友の文句(ことば)を白紙へ遣らずに自問に留(とど)め、再び始まる未知の虚無との災い事には、一糸に気取れぬ無悔(むかい)の生歴(きおく)に従順(じゅうじゅん)である。孤独の縁(ふち)にて俺の躍動(うごき)が姑息を堅(かた)めて、激しい連夜の自慰の独力(ちから)を神に認めて宙(そら)へ放るを、独創(こごと)の企図にて意識したのが始まりとも成り、俺の美的は禁句(タブー)を計らう未憶(みおく)の内から〝禁猟区〟が建ち、俗世(このよ)に居座る男性(おとこ)と女性(おんな)を土中(どちゅう)へ葬り透明とした。土中(どちゅう)に遣られた俗世(このよ)の男女は演繹しながら宙(そら)の高嶺に不自由から来る身欲(みよく)を讃え、概(おお)きく射止めた現代人(ひと)の人形(かたち)を奥義(おく)へ通して、露わに着流す〝日本〟の稚拙を体現して居た。俺の人形(すがた)は俗世(ぞくせ)を葬り「俗世(ぞくせ)」を嫌悪(きら)い、「明日(あす)」へ赴く旧い末手(みて)から幾様(きよう)に固まる用意を識(し)り抜き、透明色した俺の〝銀河〟に「一人の孤独」を満喫して居た。白い棒から黒い棒まで、未惑(みわく)に戸惑う古い規律(おきて)は女性(おんな)の腿から異常に仕上がり、俗世(このよ)を生き抜く競争分業(きょうそうノルマ)を不純に仕上げて男・女(だんじょ)を要し、自滅が片付く要所の要所で、不可視(ふしぎ)な〝日本(かたち)〟の国旗を仕立ててそれを手に振る概(おお)きな失意へ説明付けた。〝説明好き〟から〝詮索好き〟まで広い宙(そら)から人手が重なり、逸り文句へ「自分」を滑らす滑稽(おかし)な衝動(うごき)に悶絶しながら、純白(しろ)い〝通り〟は旧い煉瓦を素通りする間に可細(かぼそ)く建てた。人の旧巣(ふるす)は寝間の端(すそ)から緩々仕上がり、細く成り行く貴重の分銅(おもり)をその実(み)へ投げ売り、俗世(このよ)に傅く魅惑の果てには始終目に降(ふ)る奇異な奇策が、女性(おんな)の陰(かげ)からすらりと抜け生く男性(おとこ)の正気を覚醒させた。自身と自信が大宙(そら)の目下(ふもと)に瞬きしながら、生流(せいる)の支点(かなめ)を女性(おんな)に保(も)たせてさらばえながらに、女性(おんな)の人形(かたち)は宙(そら)に産れた悪義(あくぎ)を成すため基調して生き、星の位置(さだめ)が白紙の温度の端(はし)から器用に仕上がる未完(みじゅく)を馴らして、幾重(いくえ)にも成る俗世(ぞくせ)の〝我欲〟を現代人(ひと)へ贈った。幻想(ゆめ)の間逆(まぎゃく)は独り伝(づた)いの嗜好の許容(うち)から、向きを被(こうむ)る現代男(げんだいおとこ)の〝無機〟さえ仕立て、知らず知らずに納得して活(ゆ)く古い現代男(おとこ)の思柱(しちゅう)を拵え、現代男(おとこ)の生図(せいと)は女性(おんな)へ専従(したが)う滑稽・順序(こっけい・じゅんじょ)をコーチしている。女性(おんな)に宿れる原世(げんせ)の許容(うち)から流行(なが)れる行為は、無益に射止める艶(あで)を拵え、現代人(ひと)の本音を宙(そら)へ曇らす無境(むきょう)の集成(シグマ)を読経しながら、〝現代ナイズ〟に程好く敷かれた不況の怒意(どい)にて豊穣(ゆたか)を着飾る。煙たい両眼(まなこ)は人間(ひと)の我欲に単純ながらに、自己(おのれ)の人形(すがた)を怒気(どき)へ侍らす見境無い〝世(よ)〟を思想(おもい)に任せて屈服させ置き、神の眼(め)からはその実(み)を隠せる臭(くさ)い躰を無暗へ射止めて、明日(あす)の駆逐を我が身へ灯らす億万長者へ生長させた。無口の行為を経過(とき)の狭間に切り出しながらも俺の孤独は宙(そら)へ還れる無憶(むおく)の技術を口述して置き、明日(あす)の初歩(いろは)を再び奏でて、人間(ひと)を裏切る奇妙の努力は〝意味〟を忘れて透って入(い)った。入(い)った先には俺の気持ちが昂る愛露(エロス)が夜雲(くも)に紛れてふらふらふらふら活きて居ながら、頭の芯から頼り無さを見る飛来の巨躯へと自分を阿り、潔白(しろ)い生歴(きおく)は俺の旧巣(ふるす)を構築した儘、「明日(あす)」の御託へ追憶していた。明日(あす)の経過(ながれ)が昨日の熱尾(ねつび)を億劫がらせて、純白(しろ)い孤独の、隙間の果てには未(いま)を見果てぬ強靭(つよ)い重味(おもみ)が我を忘れて、瞬間(とき)を遮る男性(おとこ)の役(やく)から命の余りを余計に観て居た。俗世(このよ)を独歩(ある)ける得手と不得手の調子を無視して、俗世(このよ)に活き得る疾風(はやて)の経過(けいか)を俺の身元に運ぶ為にと、明日(あす)の傘下を活き得る孤独の葉音(はおと)が至極優雅に〝孤独〟を着飾り〝何時(いつ)の間にか…〟と俗世(このよ)に過せる魅力の優雅を現行(いま)へと遣った。純白(しろ)い孤独に自分の羽音(はおと)を交響(ひび)かせながらに純白(しろ)く透れる黄泉の情景(けしき)は幾重(いくえ)に拡がる宙(そら)へと翻(かえ)され、自分の被虐を他(ひと)に見せては陶酔して居る無機の男性(おとこ)の人影(かげ)を観ている。疾風(はやて)の体質(からだ)で基準を阿り、明日(あす)の傘下を酷く目掛けて直走(はし)れる我が実(み)は、人の機能(ひみつ)を姑息に追い遣る暇な順序を訂正しながら潔白(しろ)い溜まりを訳も分らず宙(そら)へ造って、創(はじ)めから観た人の輪に成る延命(いのち)を断(き)った。

 孤独の旧巣(ふるす)は俺の背中に〝順路〟を植え付け、他(ひと)の芽を見る稀有の神儀(しんぎ)を傍らへと遣り、気性豊かな〝豊穣差(ほうじょうさ)〟を観て鋼色した〝結界〟を識(し)り、俺の行方を失踪させ行く愛の帽子を青空(そら)へ翳した。〝必要なる哉〟、文句(ことば)の終りに幾重(いくえ)の世が立つ形容を遣り、純白(しろ)い旧巣(ふるす)は俺の孤独を盲昧(もうまい)へと化(か)え、俗世(このよ)に活き得る男・女(だんじょ)の晴嵐(あらし)を黒炭(すみ)に塗した下らなさとして、明日(あす)へ行き着(づ)く篩の塵(じん)へと、幻(ゆめ)に蔓延る無往(むおう)の帰着を黄泉へと遣った。滔々、滔々、古びた〝作家〟が端麗(きれい)に流行(なが)れる幻(ゆえ)の陣地の空気(くうき)を従え、「俺の孤独が再び遣られて俗世(このよ)に帰る」を意味の成らない言動(うごき)へ認(したた)め、初めから成る人塊(ひと)の余韻(おと)など流転に従え、気味の孵れる無駄の延命(いのち)の順当を観た。〝中森明菜〟の黒(くら)い表情(かお)から〝女性(おんな)〟を引き抜き、明日(あす)の余命(いのち)を円らに識(し)れない他(ひと)の生歴(きおく)を自己(おのれ)へ片付け、傅く夕日に満足されない夕陽を気取らせ、俺の前方(まえ)では雨期に絶えない母性(はは)の身元が散乱して居る。…

      *

 俺はこの場合に於ける、何でも在り、等と思っていた遊び相手の仲に自分を誘導する為に喋った。統合失調症の中年男(おとこ)の目からすれば千里眼のように、跳ね返ったんだろうとされて落ち着いた。

 過程が在って、俺はその境地へ迄、辿り着いて居た。

      *

 溢れる文句(ことば)が空気(しとね)に巻かれた思想(おもい)の上手(じょうず)を幻(ゆめ)に並べて純白(しろ)・漆黒(くろ)付け果て、明日(あす)の生歴(きおく)に黙って辿れる概(おお)きな羽音(はおと)は〝俺〟から離れて、昨日の〝優雅〟を滅法式(し)らない幻(ゆめ)の感無(オルガ)を水面(すいめん)に観た。


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~酸欠の二十枚~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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