水鏡に煌めく光
吹雪舞桜
とある夕暮れ:Day01『夕涼み』
『大丈夫。忘れないよ。僕は、一度も約束破ったことはないんだ』
そう張り合ってきたアイツがこっちを向いて微笑む。
『ね、――』
「……っ!」
ハッと少年は飛び起きるように目を覚ました。
寝転がっていた畳から上体を起こした彼の金髪は窓から差し込む夕陽に照らされてキラキラと輝いているようだったが、対照的に、その表情は影を落としたかのように憂いを帯びている。
「またあの夢か……」
少年は脱力気味に呟くと再び畳に寝転がった。
繰り返し夢に見るのは、誰かと大事な話をした時のことで。それが単なる夢や妄想ではなく、実際にあった出来事であることだけは確かだ。
誰とどんな話をしたのかはまったく思い出せなかったが、それでも、それが大切な約束だったことと嬉しそうな満開の笑顔を見たこと“だけ”は鮮明に覚えていた。……それだけは忘れていない。
少年は、いわゆる記憶喪失である。
夢で見た記憶以外は何も覚えていなかった。
手入れの届かない森山の麓にある小さな村。
その外れにあるあばら屋に少年は身を寄せている。
つい昨日の話だ、少年が川岸に倒れていたところを村の青年に助けられたのは。手当てをされ意識を取り戻したまでは良かったのだが、彼は自分の名前すら覚えていなかった。
そんな茫然自失な少年を見兼ねた青年に記憶が戻るまで自分たちの家へ来ないかと声を掛けられ、最初は渋ったものの記憶が戻るまでという条件で世話になることにしたのである。
「よう。寝てたのか」
聞こえた声に少年は目を開ける。
彼の顔を覗き込むのは、快活そうな青年だ。
愉快そうとも心配そうともとれるその顔は、少年と目が合うとニヤリと笑みを浮かべる。
「ここ、夕方になると涼しくて良いだろう? おれのお気に入りスポットだ」
「ああ。本当に涼しいな。昼間あんなに暑かったのが嘘みたいだぜ」
少年は答えて起き上がった。
真っ直ぐ伸びる夕日の眩しさに負けず、開け放たれた掃き出し窓から入ってくる風が涼しさを運んでくる。昼間、照りつける日差しの中で汗だくになりながら泥だらけの持ち物を念入りに洗って疲れた体にとても心地良い。少し休息しようと寝転がっていたらそのまま寝落ちてしまうくらいには、この場所は快適だった。
窓の外を眺めている少年が一向に立ち上がる様子がないのを察すると、青年もまた、窓際に腰を下ろした。
僅かな沈黙の後に青年が問いかける。
「……どうだ? 何か思い出せたかい?」
その言葉に少年は思案する。だが、どれだけ記憶をひっくり返しても、青年と出会う前のことはモヤがかかったようにハッキリとしないままだ。
「それが、全然思い出せてないんだ」
「おいおい、そりゃあ大丈夫なのか?」
「大丈夫だろ、多分。そのうち思い出すさ」
少年はカラリと笑うと、再び窓の外へと視線を戻した。
彼が見つめる先では、吹き抜けた風が木の葉を揺らし、木々が歌っているかのように音を立てている。しかし、少年の目はここではないどこかを見ているようで。
『――だから、今度私の友だちを悲しませたら許さないからね!』
不意に、少年の記憶の中で声が聞こえた。
誰かの言葉が彼の心の片隅に引っ掛かっている。彼女と一体誰の話をしていたのだろうか、とそんな疑問が浮かぶ。
そんな少年の横顔へ、青年は笑いかける。
「確かに、昨日の今日で焦る必要もないか。気の済むまでここに居て構わないからな」
「ああ。そうだな。もうしばらく世話になるよ」
初夏の夕暮れ。
窓を吹き抜けた涼しい風に少年は目を細めた。
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