day20:摩天楼
今、店に飾ってあるパネルは、全部冴さんが撮った写真だ。人が写ったものが多いから、お客さんが目が合って居心地悪くならないように、高さやサイズを結構こだわった。
冴さんは僕より六つ年上。風景写真家を目指して渡米したけど、生活費稼ぎで撮っていたポートレートがだんだん面白くなって、日本に戻ってからは主には人を撮っている。
レジカウンター向かいの白黒の摩天楼の写真は、渡米した直後のもの。彼女は「よくある構図だし、『こういうの格好良いでしょう』っていう撮影者の自慢げな顔が見える感じで恥ずかしい」と言って、それをそこに飾ることを一度は渋った。
でも僕はこの写真が好きなのだ。この写真は、僕が冴さんに出会った日のぴったり三年前に撮られている。
冴さんにそのことを話したら、冴さんは「よくそんな日付覚えてるね」と言って苦笑したが、でもうれしそうだった。
僕は自分でも、記念日を大事にするタイプだと思う。祝うこともあるけど、それだけじゃなく、一年という環状レールの上にひとつずつ駅を建てていくようで、楽しい。
だからもちろん、この店を開いた日のことだって大事な記念日にしてある。その駅を建てた日は立派な駅ができたと自信満々だった。駅を出てしばらくすると、戻ってこられるだろうかと不安ばっかり増したけど、さとしさんや冴さん(それから父の贈り物)のおかげで、半周したあたりでまた元気が出てきて、もう半分頑張るぞという気持ちになった。
でも、この写真への思い入れの理由は、実はそれだけではないのだ。冴さんには言っていないけど。
冴さんは、わりと後ろ向きになりやすい僕を、まあ大丈夫じゃない? と言って、いつも横から背中を叩いてくれるようなタイプだ。その冴さんが珍しく弱音めいたことを吐いたのが、この摩天楼の写真を見せてくれたときだった。
そのころ僕はまだ、父の紹介してくれた出版社に勤めていた。新たな連載の挿入写真を依頼する相手を探していたときに、作品例を持って訪ねてきたのが冴さんだった。
冴さんは、人物がメインになった写真を何枚か見せてくれたが、僕は「風景写真を入れようと思うんです」と言って、冴さんの写真をほとんど見もせずに返した。今思えば最初に指定もしてなかったのだからなんて失礼な態度かと思うが、冴さんは気分を害した様子もなく、では、と言って別の写真のデータを見せてくれた。その中にこの摩天楼の写真があった。
僕は、どこかで見たことがあるような、でもだから安心して「おしゃれ」とか「センスがいい」と言えるその写真に飛びついた。
「こういうのがいいですね」
冴さんは、少し不安そうな顔で僕に聞いた。
「本当ですか? どこが?」
僕は、採用してもらうために自分で見せた作品例を「どこが良いのか」と聞いてくる撮影者など初めてだったので、面食らった。
「ああ、えっと、なんか……おしゃれだし都会的で……」
「この写真は井原さんにとって特別なものになり得ますか? 私には退屈な優等生みたいに思えます」
「特別」
僕はしどろもどろになりながら、もう一度手元のその写真を見つめ、見つめ、見つめ尽くして、それから顔を上げた。
「この、ほんのゴマみたいなサイズの窓の奥にもいちいち人がいて、その人たちがそれぞれ、今日の夕飯何かなとか、仕事やだなとか、いろいろ考えてるんだと思うと無限に面白いと思います」
冴さんは真面目な顔をして写真を引き取り、それを僕と同じように見つめて、顔を上げると一言「確かに」と言った。
冴さんは結局採用にはならなかったけど、僕はその日、きっと僕はこの人を好きになるな、と思った。
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