男たちの船出

馬村 ありん

男たちの船出

 そのアロハシャツの背中に銃口を当ててから、引き金を引くまでの間に自分が何を考えていたのか、今となっては金城は思い出せなかった。

 我に返ると、大西の大柄な体がかたい床の上に横たわっていた。金色に染めた髪の一部が油ぎった赤色に変わっていた。ガラス玉と化した大西の虚ろなまなざしと目が合い、金城は息を震わせた。しどけなく開いた大きな口、土気色の肌。大西にはもう血が通っていないのだ。


 ドアが開き、部屋に男が足を踏み入れた。そいつは金城を見て、それから床を見た。ワックスで固めた頭髪。味気ないスーツ。はき古したブーツ。

「やってのけたな、金城」

 村木は口にタバコをくわえ、火を着けた。

「まもなく俺たちの仲間がくる。そしたら捜査ガサがはじまるってことは分かってるよな? マル暴の刑事デカとしちゃ、犯人を見かけたら追わなきゃいけない。だからな、さっさと消えてくれ」


 血だまりは渇きはじめていた。引き金を引いてからどれだけ長くここにいたのだろう。

 殺したらさっさとズラかるのが仕事の鉄則だ。

 いつまでも現場でブラブラしてるのは余程の素人がただの異常者だ。

 金城は村木と大西に背を向けた。


 その後、いつものバーに行った。バーテンダーが「大西さんとは一緒じゃないんですか」とたずねてきたので、金城は口をにごした。それからバーテンダーの差し出したブランデーグラスをひとくちに飲み干した。


 若頭の鷲田から大西を殺せと指示を受けたのはこの日の朝のことだった。邸宅まで出向くと、安楽椅子に腰を下ろし、タバコをくゆらせた鷲田が、金城に生暖かい視線を向けてきた。


「お前たちの仲はもちろん知ってるさ。幼なじみ同士なんだろ。長年タッグで動いてるのはこの界隈じゃ有名な話だ。それだけにな、大西の油断した姿を一番知ってるのは金城、お前だけなんだよ」

「いくら若頭カシラの命令でも、こればかりは」

 声を絞りだした金城に、鷲田は太い眉の根を寄せて、ため息をついた。

「分かるぜ。俺にも唯一無二の親友ダチってもんがいた。どんな女より大事な親友ってもんがな」

 鷲田は紫煙を吹き出した。


「いいか。大西は親分オヤジを裏切った。あいつは自分のシマに前田組の連中を自由に歩かせている。親分から預かったシマだぞ? 前田組といや薬に売春にと下衆ゲスの所業だぜ。それに大西の野郎、前田の幹部からクルーザーなんかを贈呈プレゼントされたらしいじゃねえか。


「いいか、ここはただの会社カイシャじゃねえんだ。好き勝手なことをしてぇなら責任ってものを取る必要がある――指なんかいらねえぞ? 不義理を働いたんなら報いってものが待っている。そうだろ? もしお前が嫌だってんなら別にやらなくていいさ。村上を差し向けてもいい。うちじゃピカイチのヒットマンだ」

「俺がカタをつけますよ」

 あいつを誰かにやられるくらいなら自分でやった方がいい。そう判断したのだ。だがその判断はあまりにも重かった。


「何だかよ、久しぶりじゃねえか?」

 自宅のエントランスで、大西は金城を出迎えた。アロハシャツがその大柄な体格を飾っていた。日焼けした肌。わざとらしい金髪。その笑顔が、出会ったころと少しも変わっていないものだから、金城は自分が出会った当時に戻ったような不思議な感慨を覚えた。

「上がれよ。一杯やろう」

 大西の後ろに続いて、金城は大西の暮らすマンションのなかに入って行った。銃を忍ばせておいたスーツのポケットに手が触れていたのに気づき離した。この後二十分も立たないうちに金城は発砲することになる。


「俺たち出会ってから何年になるのかな?」

 グラスに注がれたラフロイグの白金色の液体を見つめながら金城は言った。

「なんだよ、改まって」大西は口を広げて笑った。「二十年だよ。ちょうど。施設であった時はお互いに十歳で同い年だったからな」

 大西との出会いは忘れたことがない。金城はそれまでひとりぼっちだった。白人とのハーフで、突き出た鼻、白い肌、大きな目をしていた。それは大人の羨望を集めたが、他の子どもたちにとってはどこか異質なものと映ってしまったようで周囲から浮いていた。

 金城はみんなの遊ぶ輪からはなれて、椅子の上で本を読んでいた。児童向けのスティーヴンソン『宝島』だったのを金城は覚えている。


「その本面白いか?」

 後ろから話しかけてきた大西は、同い年にしては大きな体格をしていたものだか、金城は気圧された。

「全然」

 本の虫だと思われたくなくて、金城は嘘をついた。

「なら、なんで読んでんだ?」

「理由はない」

「お前面白いな」

 金城は机に肘をついて笑った。

 椅子に座る金城に、大西はバスケットボールを投げてきた。金城は受け取った。

「外で遊ぼうぜ」

 大西は言った。体格に似合わず、まつ毛が長くて、きれいな瞳をしているな、と金城は思った。

「分かった」

 金城は立ち上がった。それから金城と大西はたくさん遊んだ。二人は宝を求める海賊となり、中庭は未開の島々となった。遊具はモンスターに、建物は宝の眠る城になった。


「楽しかったな、それからの二十年は」

 金城は腕の刺青タトゥーに目をやりながら言った。黒のトライバル・タトゥー。十代の頃、二人で同じ場所に入れた。大西の提案だった。

 大西の提案したことならなんでもやった。喧嘩、タバコ、ピアス、コカイン、そしてタトゥー。これが人を慕うということなのだと知った。そして二人は無法者の当然の成り行きとして暴力の世界へと足を踏み入れた。

「当たり前だろ。この俺と一緒なんだからな」

 大西はくしゃっと笑顔を作った。純粋無垢さをにじませた無謀な笑顔。幼い頃から変わらない。二十年の歳月をさかのぼったかのような気持ちにさせられた。


「ところでさ」と大西は言った。「俺もお前と話がしたいと思ってたんだよ」

「何だ?」

 少し空白を置いて金城は言った。

「俺と組を抜けねえか。お前と新しいスタートを切りてえんだ。今のところにいても俺たちはいつまでも成長できないよ。分かるだろ、お前も」

「お前、自分が何言ってるのか分かってるのか。組を抜けるなんて余程の理由がないとできないぞ」

 努めて冷静に金城は言った。

「分かっているさ。でも積むもん積めば、連中だって見逃してくれるはずだよ。地獄の沙汰も金次第っていうだろ」

「そんな金がどこにある?」

 金城の問いに、大西はリモコンを操作して、クローゼットのドアを開けて答えた。きしむような音を立てて、銀色の金庫がお目見えした。大西はダイヤルを回し、中を開けた。

「どうだ? これくらいなら文句ないだろう? 組を抜けて、新たに組を興せるぐらいにはある」

「おまえ、その金をどこで」

「何でもやったさ。何でも。お前が聞いたら顔をしかめるようなことだってな」

「どうしてそこまで」

「当然だろ。お前と一緒にやれんなら何だってやるんだよ、俺は」

 金庫の中の段に、一枚の写真が飾られているのに気がついた。船が写っていた。


 西


 鷲田の声が脳裏に蘇った。

 大西は何でもやったという。そしてこれが得た成果のひとつというわけだ。

 写真には船の甲板に二人の人物が写っていた。

 穏やかな海と青空を背に立っているのは、大西と、大西が肩を抱く見慣れぬ男。それがその筋のものであることは、雰囲気でわかる。カラスの体毛のような色合いの長い髪に、あごひげの風貌は海岸の風景に馴染んでいなかった。

 きっと鷲田の言っていた前田組の幹部なんだと金城は推測した。


「ずいぶんとさ。親しげにしてる奴がいるんだな、大西」金城は硬い声で言った。「どこのどいつだ?」

「ああ。小泉の兄貴だよ。個人的に親しくさせてもらっている。前田組だ」

「お前ら――」

「ああ。契ってるさ。俺たちは義兄弟なんだ。お前にも兄貴を紹介したい」

「いい船だな」

 金城は写真に目をやりながら言った。

「兄貴にもらったんだよ。俺が海好きだと知ってポンとくれたんだ」

「兄貴、兄貴だな。仮に俺たちが組を抜けることができたら、こいつの――前田の傘下に入るってことになるのか?」

 言いながらイラ立ちが募っていくのが感じられた。自分でも何にこんなにイラついているのかわからなかった。


「前田じゃねえよ」大西は口を尖らせた。「兄貴はあくまで自分個人の傘下だって言ってくれた。前田組のしがらみから逃れて好きにやれるのさ」

「本当にそう思ってんのか?」

 金城は言った。グラスを持つ手が震えていた。

「当たり前だろ、な」

 大西に笑顔が広がった。悲しいまでにあどけない笑みだった。

「冒険に出ようぜ、金城。昔よくしていたみたいに」


 大西は自分が死に向かってるのに気づいていない、金城はこの時確信した。小泉という男にカモられて、組を裏切る愚を犯している。大西が用意した程度の金で取り返しの効く事態ではもはやない。

 そして、大西はその泥舟の特等席に金城を座らせようとしている。小泉とかいうゲス野郎の作り出した泥舟に。


「おかわりはいるか?」

 大西がたずねた。金城はグラスの酒がちっとも減っていないことにここで初めて気がつき、断った。

 ミニバーに足を運んだ大西は、こちらに背を向ける格好になった。大柄な背中。幼いころから追いかけてきた背中だ。

「組をやめたら長い休みを取ろうぜ」大西は背中越しに言った。「船で世界中を回るんだ」

 大西は自分の話と手元の酒に集中している。

「俺とお前。きっと楽しいぜ」

 大西は背中越しに言った。

 金城は想像した。大西と金城。だが、そこには小泉という男がもれなく付いてくる。

 脳裏にイメージが広がった。小泉が大西を背中から抱きしめ、金城にほほえみを浮かべていた。唇をめくりあげ、白い歯がのぞく。そんな男の手を握りしめている大西……。

 ふいに怒りが沸き立った。金城は懐から銃を取り出して、引き金を引いた。乾いた発砲音がマンションの部屋でなり響いた。


 グラスは空になっていた。何度も反芻される記憶。大西の死骸。カウンターの向こうのバーテンダーに金城はおかわりを頼んだ。何倍目の酒になるのだろうか。ちっとも効いてる感じがしない。飲めば飲むほど酔いが冷めていくのだ。

 金城の隣のスツールがきしみを上げた。誰かが座った。バーテンダーが視線を向けたが、男が手を横に振ったのを見て引っ込んだ。

「お前が金城だな」

 男が言った。

 見覚えのある男だった。黒いスーツ、猛禽類を思わせる鋭い目つき。長い髪。あごには整えたひげ。

 大西の部屋で見た写真の男。名前は確か――。

 心拍数が高鳴る。鼻の穴が空気を吸い込んだ。

「てめえ、なんでここに」

「落ち着けよ。なにキレてんだ?」

 気がつくと金城は懐から銃を取り出し、小泉へと向けていた。バーテンダーが悲鳴を上げた。小泉は笑い顔を返すだけだった。金城が引き金を引いた。鋭い音がして、殺風景な壁を飾るクリムトの模造画をぶち抜いた。

 しくじった。

 無理もない。金城はアルコールに浸っていて、視界はおぼつかない。両手にも震えが来ていた。


 小泉の手が、金城の手から銃を叩き落とした。それから、自らのスーツの内側をまさぐった。

 やられる。

 だが、金城へと差し出されたものはナイフでも拳銃でもなかった。

「大西から預かり物だ。自分に何かあったらお前に渡せと言われているんだ」

 小泉は、金城の手のひらに何かを置いた。車のキーのように見えた。

「クルーザーの鍵だ。じゃあ、確かに渡したぜ」

 小泉は席を立った。髪をなびかせ、金城に無防備な背中をさらしながら出口へと歩いていった。

「待てよ」

 言いたいことが山程あった。なぜここが分かったのか。なぜ大西に何かあったことを知っているのか。

 そして、大西との関係――。


 追いかけようとして、金城はよろめき倒れた。あたまがぐるぐる回る。アルコールに浸った体が限界を迎えた。眠りへと落ちていく意識の中で、金城はクルーザーの鍵を握りしめた。

 気がつくと、金城はクルーザーの甲板にいた。肌を突き刺す太陽。頬をくすぐる穏やかな海風。ラジカセからはスローなロックンロールが流れていた。デッキチェアの上には、よく知った男がいた。夢の中で彼は何の傷も負っておらず、顔には笑みを浮かべていた。

「大西……」

「よう」

 タバコを口の端に加えながら、大西が軽く手を振った。いつものほほえみ。

「すまない。俺」

「泣いてんじゃねえよ。らしくねえな。さあ、世界一周の旅に出るぞ」

 デッキチェアまで近づき、金城は大西の手をにぎった。固く握りしめた。


 終わり

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