第21話 覚悟と、自意識過剰

自分はいつも、外側と内側で違った評価を受けてきた人間だった。大きな例を挙げるならば、学校では先生からいつも褒められる優等生、家庭では甘えん坊でだらしがない子のように。


それは自意識過剰を極めつつある今も同じで、職場ではミスのないロボットと呼ばれていても、実際のところは不安だらけで片っ端から丁寧に確認した結果、ミスが少ないだけである。「物覚えが早い」との評価も、物覚えが早いのではなく必死について行かないと軽蔑され見捨てられると深層心理で怯えているから死ぬ気で覚えるのである。

物覚えが悪いから頑張っているだけで。


乖離しているのだ、なにもかも。


だから普通がわからない、当たり前がない。


自分の今の生活について、周りの大人からは「甘えている」とのご意見を頂戴する。

職場では「大丈夫?無理しないでね」と先輩方に言われる。

自分は甘えているのだろうか、それとも無理をしているのだろうか?甘えているつもりも、無理をしているつもりもないのに。皆と少し違う人生かもしれないけど、普通に生きているだけなのに。


学生の頃は、よく自分を殺す妄想をしていた。

やりたくない、サボりたい、逃げたい自分を脳内で撃ち殺すのだ。テストで満点をとっても、いくら家事を完璧にしても、すべて当たり前とされた自分にとって弱点なんて存在してはならない。

今になれば思う、弱いところのない人間なんていないし、やりたくないのもサボりたいのも普通にあってしかるべき感情だ。自分はそれを歪め、結果なにもかもがめちゃくちゃになってしまった。


事の重大さに気づいたのは、大人になってからだった。繰り返しの日々を生き抜いた先にあったのは、取り戻しようのない同年代との差。周りが結婚や育児、推し活などの趣味で人生を充実させるなか、自分はひとり極大な自意識過剰を抱えて心の井戸ばかり覗き込んでいる。ああでもないこうでもないと井戸にある水の成分を調べては、なぜこんなに汚れているのだと嘆く。


どこまでも虚しかった。

自己責任なのは痛いほど理解している。

もっと自分の心の声に耳を傾けていれば、もっと人と人との関係を大切にしていれば、もっと上手くできたかもしれないのに。この人生を。


自分が回避的な思考なのは間違いない。

何をしてもバカにされるから、何もしないを選択した。果てには、生を放棄しようとまでした。


初めて頑張ろうと思えたのは、自分の周りにあるささやかな好きなものたちのおかげだった。

生きがいと呼ぶにはほど遠いけど、明日、明後日を生きるには十分な希望。

小説、音楽、漫画、舞台、本屋、食べもの、競馬、ラジオ、職場の人達、ゲーム、ぬいぐるみ。

「頑張らなければ」ではなく、好きなもののためならば「頑張りたい」と思えた。時には休んだり離れたりもしたけど、なんだかんだ細く長く好きでいられる。そのことが空っぽな自分にとってどれだけありがたく、救われたことか。


甘えているか、無理しているか。

自分はただ自意識過剰に生きているだけだ。

無意識に、流れるままに。

だからどうせなら、一度思い切り自意識過剰に生きてみようと思った。


きっかけは、たぶんポジティブ人間だ。

身近な同世代の人が頑張っている姿に、楽しく生きている姿に、私は初めて惹き付けられた。

そして言い訳ばかりの自分に心底嫌気がさして、まぁ自意識過剰にしては上手くやってるほうだよと慰めながら進むのも違う気がして、一度でいいから胸を張って「頑張った」と言えるような日々を過ごしたいと思った。


11月。この1ヶ月間だけ、私は全力で生きる。

できる限り、すべてに全力を尽くしたい。

もちろん健康的に。健康がいちばん大事である。

無理はしない、できる範囲で力を尽くす。


そして気持ちよくクリスマスを迎えたい。

今年を後悔なく過ごすための準備は完璧に。

それが欠点だらけの自分に薬になると信じて。


あるいは毒になるのか。

見届けてもらえると嬉しい。

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