学年一のお嬢様、実は毎日俺に起こされて俺の作る朝食を食べています。
しぎ
千住お嬢様の起床
「
俺は古びて黒くなりかけている木製のドアを数回、静かにノックする。
本当はもっと音を立てたいが、隣の部屋の住人は夜勤帰りで爆睡中だ。そちらまで起こしてしまうわけにはいかない。
「良いんですか? 入っちゃいますよ?」
と言いつつ、昨日も一昨日も結局は入っているのだが。
そして今日も俺は、彼女を起こすという名目でクラスメイトの自室に入る。
彼女の――千住さんの部屋の中は、高校での彼女からは考えられないほどシンプルだ。
きちんと整理整頓されている、そして何より物がない。
家具らしい家具はちゃぶ台とタンスぐらいで、通学カバンとか教科書とかは部屋の隅に展示品かのようにきれいに並べられている。
この部屋だけ見て、高校での彼女、かつての彼女の暮らしを推測できる人間はいないだろう。
唯一、南向きの窓をふさいでいる純白の長いレースカーテンだけが、木造の安アパートの一室という光景にそぐわないぐらいか。
「では、本日も失礼いたします」
俺は部屋の奥へ行き、そのカーテンを左右に開ける。毎日開けていると、この滑らかな感触にも慣れてきた。絶対に高級なやつだ。
そのまま窓も開ける。心地良い風が吹き込み、俺のエプロンの裾がわずかにはためく。
そして振り返ると、千住さんはすやすやと寝息を立てている。
さっきのカーテンと同じように真っ白い肌。
朝日を浴びてキラキラと光る赤髪混じりの茶髪は、ところどころ少しはねている。
薄い掛け布団からのぞく寝顔は美しく、名画のようにいつまでも眺めていられる……
「千住さん、起きてください。朝でございます」
でも、仕事なので俺は千住さんの枕元に座り声をかける。
だけど、千住さんは微動だにしない。髪のはねたところが少し風で揺れても、俺がぶつかって敷き布団が少し動いても。
「お嬢様、朝食の時間でございます」
俺は千住さんの耳元に顔を近づけ、精一杯作った低い声でささやく。
理想的なほど整った千住さんの顔に近づくと、俺の心臓の鼓動が速くなっているのがわかる。
――いや、ここは釈明させてほしい。学年一の美少女の顔がこんな近くにあって動揺しない高校生男子はいないはずだ。
「千住様?」
でも、俺の緊張を知る由もなく、千住さんはやっぱり起きない。
布団をそっと揺すっても起きない。
俺が意を決して、彼女の小さな肩にそっと触れても、それでも起きない。
布団の周りだけ、時が止まったかのよう。
――かつて彼女に仕えていた人たちは、どうやって朝の彼女を起こしていたのだろう。本当に気になる。
「やっぱりあれじゃないと駄目か……」
エプロンの前ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。
もう待てない、今日もこの最後の手段を使うしかない。
千住さんは頭を窓の方向に向けて寝ている。その頭と窓の間に、俺は持ってきた納豆のパックを置いた。
そして、そのパックを勢いよく開ける。ついでに入っているタレとカラシと、シートも取る。
たちまち、独特の匂いが風に流されて狭い部屋を包む。
「納豆!」
次の瞬間、千住さんがガバっと上体を起こした。
勢いで長い髪がたなびいて曲線美を描く。
「おはようございます、千住さん」
俺は両手で顔を覆いながら声をかける。
なぜなら千住さんは、いつもほとんど裸みたいな、透けているレースの服で寝ているから。布団を取った、あられもない姿をうっかり同級生男子の俺がまじまじ見てしまったら、どれだけ変態と罵られても文句は言えない。
「……おはよう、
バツの悪そうな、でもどこか優しい声で千住さんが答えた。
「今日の朝食は、何?」
「ベーコンエッグでございます」
「やめてよ滝川、そういう丁寧口調」
「えっ、嫌なの?」
俺は指の隙間から千住さんの顔をのぞく。
朝日に照らされて温まったのか、白い肌がほんのり赤いような。
「……わたしにそんなこと言ってくれる人は、もういないのよ」
「じゃあ、なんで学校ではずっとあんな感じなんだ? 素直に全部言えばいいのに」
「そういうわけにはいかないでしょ」
千住さんの顔はさらに赤くなる。
怒ってるような、恥ずかしがってるような。今のところ、千住さんのこの顔を俺は家以外で見たことはない。
そもそも、高校ではいつも堂々としている千住さんがこんなふうにうつむくこともあるというのが、高校のみんなからは想像もつかないだろう。俺だって千住さんがここに来るまでは知らなかった。
「――ってか滝川、いつまでいるのよ」
「へ?」
「だから、わたしが着替えられないでしょう」
「服、自分で着られるのか?」
「滝川、あなた……それぐらい一人でできるわよ、わたしを何だと思ってるの。それとも、何? ――見たいの?」
千住さんは細い腕を自らの身体に回して防御姿勢になる。
そんなこと言われたら、男子は逆に見たくなるぞ。千住さんのスタイルの良さならなおさら。
「はいはい。それではリビングでお待ちしています、お嬢様」
俺は開けた納豆のパックを持って、立ち上がった。
早くお嬢様の朝食の支度を整えないと。
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