第9話「大したことはありません」
放課後、クラスメイトが続々と帰っていく。
俺は天乃原さんと勉強する約束があるため、今日はまだ帰らない。天乃原さんに何を教えてもらおうかなと思っていると、
「あれ? 赤坂、帰らないのか?」
と、声が聞こえた。見ると橋本がいた。
「あ、ああ、今日は勉強していこうと思って」
「へぇ、偉いなー、俺も見習いたいところだが、部活だからなぁ」
「まぁ、橋本はそっち頑張れよ。大会もあるんだろ?」
「おう、俺はまだレギュラーじゃないけど、そのうちなれるといいなーと思っているよ」
俺たちはまだ一年生だ。部活でレギュラーになるにはもう少し経験が必要だろう。
……その時、胸がちくりとした。あの事を思い出している。さすがに一年前の出来事なら仕方ないかもしれないが、いい気分ではなかった。
「――橋本さんは、バレー部でしたか?」
ふと隣から声が聞こえた。天乃原さんが真面目な顔でこちらを見ていた。
「橋本さんは、バレー部でしたか?」
橋本に質問する天乃原さん。あ、ダメかもしれない……と思ったら、その予感は当たってしまったようで。
「……あ、あが、いや、その……はい、ばばばバレー部で……」
「そうでしたか、部活は楽しいですか?」
「…………赤坂すまん! あとは任せた!」
橋本はそう言うと、ものすごい速さで教室から出て行った。相変わらずだなあいつは。
「……私、やっぱり嫌われてるんじゃないでしょうか?」
「あ、いや、大丈夫、橋本はいつもあんな感じだから……あはは」
どうにかしてあいつの女性恐怖症(?)を克服させてあげたいのだが……時間はかかりそうだな。
その後、みんな帰って、教室には俺と天乃原さんだけとなった。
「じゃあ、勉強しましょうか」
「あ、はい、よ、よろしくお願いします……」
思わず俺も丁寧な言葉になってしまった。天乃原さんが机を動かして、こちらに来る。
「あ、やっぱりそうなる……のか」
「……? これ以外に何かあるのでしょうか?」
「あ、いえ、ないですね……」
前に話したことをそのまま繰り返す俺たちだった。
「じゃあ、数学からやりましょうか。このページのこの問題から」
天乃原さんが問題集を開き、スッと指をさす。よく見ると天乃原さん、手も綺麗だな……俺より小さいけど、すらっと長い指のように見えた。
天乃原さんが指さしたところの問題を解く。一問目は大丈夫だった……が、「じゃあ、こちらを」と言った二問目はちょっとよく分からなかった。
「……こ、これはどうなるんだろう……」
「これは、ここにかっこがありますから、先にこちらを展開して、こうなって……」
天乃原さんがペンで俺のノートに書いていく。距離が近くなって俺はドキドキしていた。い、いかん、勉強に集中しないと。
「……こうなるんです。どうでしょう? 分かりましたか?」
「あ、なるほど……うん、分かった。ありがとう」
「いえいえ、じゃあ次はこちらを……」
そんな感じで、天乃原さんが指定する問題を解いていく。分からなくなったらすぐに天乃原さんが教えてくれる。やっぱりトップオブトップなんだな……いや、その意味はいまいち分からないんだけど。
「天乃原さん、さすがだね、なんでも分かってる」
「いえいえ、大したことはありません。分かってもらえると私も嬉しいです」
いつもの真面目な顔なのだが、口元が少し笑っているようにも見えた。
外は雨が上がっているようで、部活をやっている人たちの声が聞こえてくる。ここは窓際の席なので聞こえやすいと思う。橋本も今頃頑張っているのかな、そんなことを思った。
「次にこの問題を解いて、物理に移りましょう」
「あ、ああ、天乃原さん、もうちょっとゆっくりいかせてもらえるとありがたいんだけど……あはは」
「ダメです、このくらいやらないと、すぐに分からなくなってしまいます。一気にやりましょう」
天乃原さんは、教えるのは上手なのだが、スパルタだということに俺は初めて気が付いた。
* * *
「だいぶ進みましたね、今日はこのくらいにしておきましょうか」
「…………」
「……赤坂さん?」
「……魂が抜けそうです」
あれからみっちりと天乃原さんの厳しい指導……じゃなかった、天乃原さんに詳しく教えてもらった。なんでも答えられる天乃原さんはさすがだった。
「あ、天乃原さんは、家でも結構勉強してるの?」
「そうですね、予習復習は欠かさないようにしています」
「……さすがでございます」
やっぱりあれか、元々の勉強量が違うのか。俺も見習わないといけないな。
「じゃあ、赤坂さんも頑張りましたし、帰りに美味しいものを食べませんか?」
「え? 美味しいもの?」
「はい、ご褒美というものですよ」
そう言った天乃原さんの顔は、なんだか嬉しそうだった。
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