第2話
「フレイヤ、わざわざ顔を出さずともよかったのに」
真正面に立った彼のそれは、憎々しげなものだ。
黄金の髪と青い瞳はどちらも色味が薄い。表情がそれに見合った酷薄そうなものになっているのは、憎しみを隠すことなく乗せた結果だ。背も高く、見下ろしてくる視線は冷え冷えとしている。
大広間の中央は、気がつけばひとが捌けている。周囲に貴族たちの人垣が出来上がっていた。ふんだんに用意された照明の光をまとった装飾品が、無数のきらびやかな光を返している。
ことの成り行きを見守るつもりか――以前から流れ、確実とされている噂があったのだから。
いわく、フレイヤ・エニューオラとホウロ・ワーグリンドの婚約関係は終わりに近づいている、と。
「まさか婚約者としての責務だと思ったか? ご苦労なことだな」
ホウロのかたわら――というには近すぎる位置に、栗色の髪をした令嬢が立っている。ふたりは顔を見合わせると微笑み合い、彼女の肩をホウロは引き寄せた。
「出席できたなら怪我もたいしたことはないのだろう、見舞いに行かずにいたのは正解だったな。だがエニューオラ公爵たちの葬式くらいは顔を出してやる」
背にまわされ肩にかかった手に甘えるようにしていた彼女は、ホウロに胸に身体を擦りつけていく。
「ホウロさま、そのようにおっしゃらないで。お身内を亡くされて、きっとフレイヤさまも冷静ではいられないんだわ」
甘えた声にホウロは満足げな笑みを浮かべた。
「レティシアは思いやりがあるな……体面ばかりに重きを置いて、肉親が生命を落としたのにパーティに出て来るような女とは……」
ギムが聞こえよがしに大きなため息をついた。王子殿下とはいえ、巨躯の将軍の顔色をうかがうらしい。ホウロは大きな咳払いをする。
「……まあいい、ここでおたがいの立場をはっきりさせておいたほうがよさそうだ」
――そろそろか。
ホウロは彼女を抱えていないほうの手を振り上げた。芝居がかった動きで、注目すべきものが誰でどこに立っているか把握し、衆目に訴えている。
「諸君! ここにわたくしことホウロ・ワーグリンドと、そこなるフレイヤ・エニューオラの婚約を破棄することを宣言する!」
一斉に戸惑いと好奇を孕んだ声が上がり、あたりが喧噪に飲みこまれていく。
半年ほど前から、ほぼ確定事項として貴族の間で流れはじめた噂だ――第一王子殿下は、新しい恋人との未来のために、婚約者を整理しようとしている。出てくる名前の誰に対しても不名誉な噂だが、それを事実として宣言した当人は気にしていないようだ。むしろ誇らしげにしている。
「殿下、なにをおっしゃいますか! それは王家と公爵家での」
「ギム、黙れ! 両家の取り決めでの婚約など、時代錯誤も甚だしい!」
将軍の一喝に一歩後ろに下がったが、ホウロは負けじと声を張り上げていた。
「どれほど泣きすがろうと、俺たちの愛を阻めると思うな!」
ホウロの指が突きつけられると、周囲の喧噪がさっと引いていった。
「破棄で結構だ」
「……な」
信じられないものを見るような目で、突きつけてきた指をホウロが上げ下げする。
「用は終わったか?」
「お、おっ、おまえは……このレティシア嬢への嫌がらせを……」
言葉は途切れ途切れだった。端正な顔をしているのに、ずっとそれが歪んでいる。
「おまえと呼ぶな、馴れ馴れしい。私が用があるのはそっちだ」
呆然としたホウロの背後に、レティシアが隠れようとする。そちらに向けて杖のにぎりを振って見せる。こちらには武器がある、と誇示するように。
「や……やめてください、暴力なんて……! 私たちはちゃんと愛し合っていて……っ」
「愛の話などどうでもいい。これまでに九十九度、おまえは達成している。理解しているか?」
レティシアの顔から表情が消えていく。見開かれた瞳が激しく揺れていた。
「フレイヤさま、な……なんのことだか……」
「違う、私は呼ばれてきたとでも思ってくれ。百にさせないために、この娘が祈りそれが成就した。たぶんそんなところだ」
震えるレティシアから、大きく息を飲む音がした。
「こっちとそっちでは、把握している状況が違うか? おまえはどこかから呼ばれたそうだな。交換条件はなんだった? 本来ならうまく糾弾して追い出して、処刑できる算段なのだろうが」
「な……なんのことか、私には……っ」
「成し遂げられず起こらない一度の話はしていない。おまえが踏みにじり続けた九十九度の死があり、それはもう終わったことだ。そしておまえは今回失敗した」
レティシアの身体が震えはじめる。足に力が入らなくなったのか、ホウロの腕にすがついていた。ホウロもすかさず彼女を支えていく。
「貴様、レティシアにいったいなにを!」
「なにかしたように見えたか?」
「だ、だがっ、おまえはレティシアを突き飛ばしたり……汚い言葉を浴びせたり……嫌がらせの限りを尽くしただろう!」
おたがいにまわされた腕の強さが、対面しているだけでもわかる。
婚約破棄となった後、ふたりが円満に結ばれるならとやかく言うつもりはない。ただの外野になろう。だがそこでフレイヤ・エニューオラが悪意をもって悪事を働いていた、とされるのは心外だ。
――脳裏にあるフレイヤの記憶では、そんな出来事はひとつもないのだから。
「どんなふうにやったのか、ここで私にやってみろ」
杖で床を叩く。くちびるを震わせたレティシアが首を振った。可愛らしい衣装と、合わせた意匠の耳飾り、それがチリチリといい音を立てる。
「このような圧力をかけて……どうなるか……っ」
「どうかなるのか? ここで私にやってみろ」
ふたたび杖で床を叩く。ふたりがおたがいを抱きしめる手に力がこもっていくのがわかった。
「これは何事だ」
ぴしゃりとした低い声が響き渡り、その場の目が一点に集中していく。
「ち、父上……!」
国王であり今夜のパーティーの主賓であり、祝福されるべき人物が訪れていた。
「ワーガンド国王、バルドル・ワーグリンド陛下ならびにエリーズ・ワーグリンド王妃陛下のお成りです!」
広間に向け、声が放たれた。
国王夫妻――バルドルもエリーズも、場にふさわしい出で立ちで腕を組んでやってくる。揃いの意匠で絢爛に飾り立てた夫妻は、その身に威厳を育て上げていた。
祝賀の会場の状況に眉をひそめたのはバルドルだ。となりに立つエリーズは見事な無表情だった。
「状況を説明できるか?」
「楽しいおしゃべりをしていたなら……いいのだけど」
ふたりの深く重みのある声に、すでに騒ぎが起きていたと耳に入っているのは明白だ。
「父上……いえ、陛下ならびに王妃陛下、わたくしはこの席で未来の王妃にふさわしい女性を紹介――」
「戯れにもならんぞ、ホウロ」
国王であるバルドルの声は地を這うように低い。だがとおりがよく、どこからも衣擦れひとつ聞こえてこなくなっていた。
「フレイヤ嬢、エニューオラの災禍のなか招待に応じてくれたことを嬉しく思う。そして謝罪しよう、静養するべきその身に鞭打たせてしまった。その上ホウロの所業は看過できるものではない」
ギムと顔を合わせたときとおなじく、片手を上げる。
「なにかね」
「貴様、父上をさえぎって――」
「坊やは黙っていろ」
言い放つと、ホウロだけでなく国王夫妻も目を丸くした。カタカタと目に見えて震えるレティシアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちている。
「フ……フレイヤ嬢?」
「話をできる場を――その顔についているものの権利は私のものだ」
バルドルの顔から血の気が引き、エリーズは口元を両手で覆った。
「耳も目も鼻も失わずにおまえが帰還したのは、おそらくこのためだ」
杖で床を叩くと、バルドルの目がギムに向けられた。
「陛下」
「ギ、ギム……これは何事だ」
「陛下が思い浮かべられた方で間違いありません。いまは場所を移しましょう」
周囲を取り前いていた聴衆からさざめきが起こり、それは喧噪となる。詳細はともかく、なにか起きていると伝わっているのだ。
「待て! 貴様、話はまだ終わっていない!」
喧噪のさらに上をいく大音声で、ホウロが怒鳴った。一瞬喧噪が消え、じわじわと戻ってくる。
「おまえに用はない、黙っていろ」
「お……おまえだと!?」
杖を振る――思い切り、容赦なく。
「ヒッ」
ホウロは短い悲鳴を上げ、喧噪には甲高い悲鳴が無数に入り混じった。
杖はホウロの首ギリギリのところで止めてある。殴るつもりはない。ホウロを殴っていいのは、フレイヤだけだ。
「坊や、おまえとその娘も来るんだ」
視線を巡らせると、聴衆の壁は兵や騎士たちに半ば取って変わられていた。それを留めているのはギム・ハンマー将軍だ。
「ギム、謁見室に」
バルドルの囁きに、ギムは反応しなかった。だが謁見室のあるだろう方向に足を向けていく。
その間、エリーズをともなったバルドルは、広間の中央でホウロの背を抱き寄せていた。
「祝いの席だ、集まった諸君の楽しむ声と顔を、なによりの贈り物として受け取ろう――では、楽しんでくれたまえ」
国王がそう宣言するなら、臣下たちはそうするべきだった。
「お、おめでとうございます!」
「バルドル陛下に栄光を!」
祝福の声が後から後から上がっていくのを横目に、ギムの背を追うことにした。
「ギム、部下をやってくれ。あの娘は絶対に逃がすな」
回廊に出て進みはじめると、喧噪が遠退きどこからか吹く風を頬に感じることができた。
「娘というと、レティシア嬢ですか」
「聞きたいことがある」
振り返らず立ち止まらなかったが、ギムの肩が反応していた。
「しばらくつき合ってもらおう。ああ、部下のお使いついでにもうひとつ。エニューオラ家の馬車で執事を待たせている。先に帰らせるか、どこかで休ませてやってくれ。心労が重なっている」
「親切ですな」
「働き者には優しくするものだ、ギム」
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