火の神さまの加護のもと、悪役令嬢の中身をたまわりました
日野
第1話
1
もし悲しそうだったりつらそうだったり、恨みのひとつでも彼女が語っていたなら、また違っていただろう。
終わったのね、と彼女の清々しい声には、笑った気配さえあった。
そして消えた。
消えたと思った瞬間、取り巻くすべてが変化した。
それは目覚めだった。
――他人の身体で目が覚めた。
目覚めてからは急流に身を置くような日々となった。
眠り続けていたという、その期間は十日だ。
「どうぞ足元にお気をつけください」
執事のリスタは不安そうにしている。
目覚めてからずっと、彼の不安そうな表情を目にしていた。彼の周囲には不安になる要素しかないのだから、仕方のないことだ。
彼が仕えるエニューオラ公爵家の令嬢が襲撃を受け意識不明となり、次いで当主夫妻が出先で急死し、現在なお混乱を極めた状態にある。
「ここからはひとりで」
告げると、リスタはさらに不安そうな顔をした。
「ですが……状況が状況です。本日は欠席させていただいても」
「ありがとう。リスタは馬車で待機していて」
「……かしこまりました」
差し出された杖を受け取ると、老執事の目がまっすぐ見返してきた。彼は微笑んだ。微笑むしかないだろう。彼は有能だった。ひどく動揺しているのに、それを押し留めようとしている。まだ十日だが、信頼に足る人物だと深く理解していた。
「またあとで」
到着した王城へ足を向ける。杖をつくか振り回すか考え、ひとまず脇にかかえる。リスタの気遣いは嬉しいが、用意された華美なドレスでは扱いにくかった。
エントランスホールでは複数の来客たちが歓談に勤しんでいる。すべての客がまるで競い合うように飾り立てた装いとなっている。そちらからちらちらと視線を受け、この状況は彼女には不憫なものだ、と思わず鼻を鳴らした。
ぐるりとホールを見渡す。
ワーガンド国の王城は清廉城との呼び名があった。
夜目には陰影の強さが印象に残ったが、城内に入れば建材や調度、飾られる花のすべてが白かった。
白と白と白――白といっても様々な種類があり、しかしどうしても骨片を思い起こしてしまう。これを清廉と呼ぶのが正解なのか、内心首をひねる。
賓客たちの華美なドレスの波の向こう側、探す顔があった。探しまわることにならずに済み、素直によかったと思える。
そちらに向かおうとした矢先、近づいてくる女性陣と目が合った。
避けて進もうとしたが、あっという間に彼女たちに囲まれてしまった。
「まあフレイヤさま、おひさしぶりです!」
「フレイヤさま、お怪我をしたと聞いて心配しておりましたの」
「ご無事でなによりですわ、公爵さまたちの訃報にも驚きました……夜会にいらっしゃると思いませんでした」
全員可愛らしい顔をしている。十代の半ばだろうか――みな化粧が濃く、振りかけた香水がきつかった。まだ若いのに、とどうしても感じてしまう。
「そうそう、ホウロ殿下はお見舞いにいらっしゃいまして?」
やわらかい声、にこにこと朗らかそうな笑い方。しかし声に陰湿な粘つきがあらわれていた。
「殿下、最近忙しくしてらっしゃるようですけど……ほら、親しい方ができたって聞きますのよ」
「親しいというか……愛しいというか、ねぇ?」
立ち並んだ彼女たちは、やかましい壁のようだった。鬱陶しくなって杖の先で強く床を叩くと、驚いたのか彼女たちは一様に口をつぐんだ。
「葬式の準備もあって忙しい。挨拶だけで帰らせていただく」
距離はあったが、目当ての顔の灰色の瞳と視線が合った。
壮年の凜々しさを持ち、よい老い方をしていると思わされる。がっちりとした身体つきをしているのが、じゃらじゃらとたくさんの飾りをつけた軍服の上からもわかった。
彼に向け、手を上げてみる。
「ギム」
彼の名を呼ぶと、周囲の顔が驚いた表情になった。
「まさか、いま将軍を呼び捨てにしたのか?」
「エニューオラ家の令嬢だろう? あそこは色々続いてるが、頭でも打ったのか?」
ギム・ハンマー――声を聞き間違えていなければ、最後に会ったときと違い将軍になったようだ。
「こっちだ」
その場の注目を集め続けているが、かまっていられない。
――襲撃を受けた令嬢、その両親は亡くなった。
しかしそれ以外にも、衆目の集まる理由をもとから持っている。
フレイヤ・エニューオラ公爵令嬢は、ワーガンド国の第一王子であるホウロ・ワーグリンドと婚約状態にある――が、それは破綻するだろうという噂だ。
すぐに寄ってきた令嬢たちの様子から、まわりはおもしろがっているようだ。
「フレイヤ嬢、此度の災禍、言葉もありません」
なつかしさを覚える足音と振動だ。異様なものを見る目をしながらも、彼はやってきた。上背がある厳つい顔つきは、すぐ平静に戻っていった。
さっとあたりに視線を走らせ、ギムはひとつうなずいた。
「どこか休める部屋を手配いたしましょう。痛みがあるなら、鎮静剤を――医者は外出許可を?」
どうやら助けを乞うたと思ったらしい。
続々と招待された貴族が到着し、ホールが喧噪を取り戻していく。時間はあまりなさそうだった。
「奥歯はまだあるか?」
尋ねた声は思いがけず大きなものになっていた。あらためて周囲がしんと静まり返り、聴衆の耳はすべて大きくなっている錯覚を覚えた。
「……いま、なんと?」
頬を軽く叩いて見せる。
「おまえの奥歯は私に権利がある。大事にしていただろうな」
襲撃を受けて寝つき、いまも顔色がひどいことは理解している。だがやらなければならないことがあった。襲撃で負傷した部分に痛みもあるが、それを押してでも成さねばならない。
「誓いを忘れるな。手を借りたい」
「ま……待ってくれ、ま、待って――まさか、そんなわけが」
「悩む時間はない。騒動が起きる、黙って見ていてほしい」
「フレイヤ嬢……ち、違うのですか」
「簡単だが妄言のようなことが起きたんだ。奥歯が無事ならいい、大事にしていろ」
ギムは狼狽を隠していなかった。冷や汗をかき、口を開け閉めし、言葉が出なくなっている。
「ああ、レギウスと会えるよう手配しておいてくれ」
「あ、レギウスはいまは……」
さっさといけ、という意思表示に、追い払うように手を振った。
ギムより先に足を動かす。十日も眠っていたとは思えないだろう歩みで歩を進める。痛みがなにより強い。
目覚めてからここまで、たいていのことは間違えないで済んでいる。
残り滓のような記憶があるおかげだ。
――もうその残滓を頼らないと決めていた。
「エニューオラ公爵家、フレイヤさまご到着です」
両開きの扉が開かれ、その先に進む。
たくさんの顔があった。貴族だ――ワーガンド国の貴族たちが集まっているのは、国王であるバルドル・ワーグリンドの生誕を祝すパーティだからだ。
国中から貴族が集められ、愛国心と忠誠を王家ワーグリンドにしめす。
本来ならエニューオラ公爵家当主夫妻が謁見するはずだが、いまはもうこの世にいない。
「ご一緒します」
小走りに追ってきたギムに、肩をすくめて見せる。
「騒動というのは」
ひっそりとした声だ。内容は周囲の耳に届いていないだろうが、ギムがエスコートに駆けつけたためか、目に見えてざわついている。
「婚約者がいるだろう、この娘の」
「……ええ、ホウロ殿下が」
戸惑いの乗った掠れた声だった。
「そいつと揉めるようだ」
「ようだ、というのは」
「決まり事らしい。この娘にかかった呪いのようなものかな」
「そうなのですか?」
「どうだろうな」
ギムがため息をついた。彼越しに見える広間の顔――たくさんの顔が、好奇心を隠さない視線を向けてきていた。フレイヤとギムの取り合わせは、おそらく彼らには意外性の高いもののはずだ。
「このフレイヤという娘を身軽にしてやりたい」
「そこなんです、これはいったいどういった状況です」
「私とフレイヤの死んだ時間が一緒らしい。気がついたら私はこの娘のなかにいた」
縁もゆかりもない、見知らぬ娘のなかで目覚めた。
「し、死んだ……?」
「ああ」
灰色の双眸が狼狽に揺らめいた。
ギムはいま努力している。わけのわからないことを聞かされ、それをどうにか理解しようとしている。
「知った顔があってよかったよ」
「事前にご相談いただくわけには」
「他人の揉め事なのに、奥歯の権利を手放す真似をしろと?」
ちいさく笑ったのと同時に、ギムはため息をついた。
しばらくこのため息を聞くことになりそうだ。
そう思ったとき、周囲のざわめきを物ともしない声が響き渡った。
「ホウロ・ワーグリンド王太子殿下のご到着です!」
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