あの夏のキセキを忘れない
アサギリナオト
①
???
「痛っ――!」
六月の中旬。
柳瀬みのりは
擦りむいた膝から血が流れ、苦痛に顔を歪める。
現在の居場所は河川敷。
痛みは少しずつ引いてきたが、出血ばかりはどうしようもない。
みのりは近くに見える休憩所まで足を運び、木製のベンチに腰を下ろした。
???
「大丈夫か?」
すると休憩所で煙草を吸っていた茶髪の不良少年が話しかけてきた。
少年はみのりが転倒する瞬間を目撃し、足を引きずっていた彼女が心配になったのだ。
少年がみのりの膝に顔を近付ける。
少年
「あ~あ……。結構血ぃ出てんじゃねえか……」
少年は煙草を口に咥え、懐に手を突っ込んだ。
そして休憩所の自動販売機で水を買おうとするが――――
少年
「あれ……」
少年は自分が財布を持っていないことを思い出した様子だ。
みのりが少年の目の前に右手を突き出す。
みのり
「小銭くらい持ってます。お金で借りを作りたくありません」
少年は、みのりから受け取った小銭を自動販売機に投入し、ボタンを押した。
取り出し口から水を取り出し、ペットボトルの蓋を開ける。
みのり
「あとは自分でやります。私に構わないでください」
みのりは少年から水を引ったくり、ベンチに腰かけた。
ジャージのポケットからハンカチを取り出し、水を染みこませる。
少年は溜め息を吐きながら肩をすくめ、みのりの隣に座った。
そして彼女の顔をまじまじと見つめる。
みのり
「……何ですか?」
少年
「いや……。結構可愛いなって思って……」
みのり
「っ――⁉」
みのりは顔を真っ赤にして少年に水をぶっかけた。
少年は慌ててその場から飛び退いた。
少年
「何すんだよ、いきなりっ――⁉」
みのり
「それはこっちのセリフです! 何なんですか、貴方は――⁉」
見知らぬ女子に馴れ馴れしく声をかける男にロクな奴はいない。
彼女は本気でそう思っている。
以前に同級生の友人が初対面の男にナンパされ、酷い捨てられ方をしたことがあったのだ。
少年
「年の近い女の子とちょっとお近付きになりたいと思っただけだろ! それがそんなに悪いか⁉」
みのり
「私は不良が嫌いなんです! 自分勝手だし、人に迷惑かけるし、ルールを守らないっ!」
みのりが少年の煙草を鋭く指さした。
みのり
「もう話しかけないでください! 自分のことは自分でやります!」
そう言ってみのりは少年を突き放した。
ここまで言われてしまっては、さすがの少年もこれ以上付き合っていられない。
少年
「ああ、そうですか……。 そら悪うござんしたね」
少年はお手上げのポーズを見せたのち、みのりの側から離れて行った。
休憩所に設けられた鉄柵に背中を預け、新しい煙草に火を点ける。
少年
「(ちっ……。気分悪ぃ……)」
彼は深呼吸するように煙を深く吸い込み、それを空に向かって大きく吐き出した。
みのりは膝の痛みが少し楽になり、ペットボトルをゴミ箱に捨てて家に向かって歩き出した。
少年は彼女の方に見向きもしない。
みのり
「(何なのよ、アイツは……⁉)」
少年に何か特別悪いことをされたわけではない。
しかし、何故かイライラが収まらない。
みのりは自分の苛立ちの正体がわからないまま、その場をにした。
――――――――――――
みのり
「もうっ、気分最悪~っ……」
次の日。
みのりは学校の昼休みに昨日の出来事を思い出し、友人の『叶あずさ』に愚痴を漏らした。
あずさ
「みのりん。今日はずいぶんとご機嫌ナナメだね?」
みのり
「ねえ、聞いてよ、あずさ~。昨日不良にナンパされちゃってさ~」
みのりは教室の机に突っ伏しながら、口に咥えたストローを通じて牛乳パックの中身を吸い込んだ。
あずさ
「ほうほう……。その話をもう少し詳しく……」
あずさは普段から男っ気のない彼女の男話に興味津々だった。
みのり
「ソイツいきなり私のこと可愛いとか抜かすんだよ? お世辞にも程があるっつ~の」
みのりは「う~ん」と体を大きく伸ばし、数秒後に再び脱力した。
あずさ
「でも、みのりんは自分を可愛く見せようとしてないだけで、素材自体は全然アリなんだよ?」
彼女の言っていることは事実であり、みのりを密かに狙っている男子生徒は多い。
しかし、本人はそのことを自覚しておらず、恋愛自体に全く興味がないのだ。
あずさ
「ほめてくれるのは嬉しいんだけどさ~。その……、何て言うか……」
みのりが言葉選びに頭を悩ませていると、あずさはピンときた。
あずさ
「みのりん。もしかして私に気を遣ってる?」
あずさは以前ちょいワル風の彼氏に酷い捨てられ方をしたことがあった。
デートの約束をしたその日。待ち合わせの場所に彼氏は現れず、彼氏の代わりにみのりが彼女のもとに駆け付けた。
その日を一緒に過ごした二人は、あずさとの約束をすっぽかした彼氏が別の女子と遊んでいる現場を目撃したのだ。
その後、彼氏から連絡が来ることは一度もなかった。
あずさは怒ったり、わめいたりせず、ただ静かに泣いていた。
みのりはあの日の殺意を今でも忘れない。
みのり
「別にそんなんじゃないけど……」
あずさに気を遣っているわけではないが、その事をきっかけに不良を嫌いになったことは確かだ。
不良は他人の迷惑を考えず、自分勝手に振る舞う最低の人種である。
みのりは大切な友人を傷付けたあの
あずさ
「私の元カレは確かに酷い人だったけど、その全員が悪者なわけじゃないんだよ?」
みのり
「そういうことをする奴らだから不良って言うんだと思うけど……?」
みのりの言い分は正論である。
しかし、あずさが言っているのはそういうことではない。
同じルールを守らない人間でも、ただルールを守らないだけの人間とルールだけに縛られない人間とでは、その意味合いは全く違う。
あずさ
「みのりんは頑固だね……。でも初対面の人を頭ごなしに否定するのは、さすがに違うと思うな」
あずさはみのりの正論に対して正論で返した。
みのりもそれについては間違いだとは思わない。
あずさ
「まさかとは思うけど、その可愛いの一言で不良さんに悪態ついちゃったわけじゃないよね?」
みのり
「う……」
みのりは見事に図星を突かれてしまった。
あずさは彼女の反応から〝全て〟を察する。
あずさ
「ついちゃったんだね……」
あずさが呆れた表情で溜め息を吐いた。
あずさ
「その人に悪気があったならともかく……。知らないうちから全部を決め付けるのは、みのりんの悪い癖だよ」
みのりはとても真面目な性格である。
そして彼女のような誠実な人間ほど差別主義の思想に囚われやすい。
今の彼女は、まさにその典型だ。
そういった人間は無自覚に敵を増やしてしまうため、あずさは彼女のことが少し心配だった。
みのりは返事こそ返さなかったものの、顔にはしっかりと反省の色が浮かんでいた。
彼女自身、自分の言動に思うところがあったのだ。
みのりは昨日、
あのケガは自分の不注意が原因である。
しかし、彼女はそのイライラを例の不良少年にぶつけてしまったのだ。
少年の立場からすれば、八つ当たりもいいところである。
あずさ
「……で、どんな人だったの?」
みのり
「は……?」
あずさ
「その人の顔とか名前は?」
あずさが急にテンションを上げてみのりを問い詰めた。
あずさ
「みのりんをナンパした人って、どんな人だったの?」
その瞬間、周りにいた女子生徒たちの注目が二人に集まった。
みのり
「ちょ、あずさ……。声が大きい……」
みのりがあずさに耳打ちするが、時すでに遅し。
二人の周囲に女子生徒たちが集まり始めた。
女子生徒A
「なになに⁉ 柳瀬さん、ナンパされちゃったの⁉」
女子生徒B
「どんな人、どんな人――⁉」
恋バナを期待した女子生徒たちが、みのりを質問攻めにする。
みのり
「いや、でも……、普通に断ったし……。みんなが思ってるようなことは何も……」
女子生徒B
「その人、イケメンだった?」
「はい?」
女子生徒A
「顔はどんなだったの?」
女子生徒たちの気になるところは、結局
彼女たちにとってそれ以外の質問は、ただのおまけである。
みのり
「顔は、まあ……」
みのり曰く、身長は175センチ前後。
服装や雰囲気的にも、点数はそれなりに高かったと思われる。
しかし、未成年にも拘わらず、煙草を吸っていた点はいただけない。
その時点でみのりのストライクゾーンからは大きく外れてしまっていた。
みのり
「(不良じゃなかったら結構好みだったんだけどなぁ……)」
みのりの頭の中で少年の姿が再生される。
あずさ
「…………りん……。――――みのりんってば⁉」
みのり
「っ――⁉」
あずさの呼びかけでみのりは我に返った。
みのり
「あ、ごめん……。ソイツのこと思い出してたら、つい……」
あずさも含め、周りの女子生徒たちが目を丸くする。
するとみのりは慌てて自分の発言を撤回し始めた。
みのり
「あ、違っ――! 今のはそういう意味で言ったんじゃ――!」
女子生徒たちは頷いたフリをしながらニヤニヤしていた。
女子生徒A
「へえ、そうなんだ……」
女子生徒B
「ふ~ん……」
そして、あずさがトドメの一撃をみのりにぶっ刺した。
あずさ
「みのりん。意外と乙女だね?」
みのり
「だから違うんだってば~っ――!」
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