推しの裏アカ女子が俺専用のサブアカを作ってくれた
虹元喜多朗
プロローグ:もしもクラスのアイドルが裏アカ女子だったら
「なあ、
放課後の教室で、俺――
スマホ画面に開かれているのは、SNSアプリ『
そこに写っている、鼻から上が見切れている女性は、ブカブカのティーシャツを着ており、大きく開かれた襟から、レース地の青いブラジャーが覗いている。相当な巨乳の持ち主のようで、胸の谷間はビックリするほど深かった。
「これ、裏アカ女子ってやつ?」
「ああ。『みゃあ』って子。最近見つけたんだけど、妙に引きつけられるんだよな。下着から先は見せてくれないのに。フォロワー数もスゲぇぞ。エロ系裏アカ女子のなかでも相当上位になるんじゃねぇかな」
「ふーん」
鼻息を荒くしながらズイッと顔を寄せてくる祐助に適当な相槌を打ち、学級日誌に視線を戻す。
俺の塩対応を受けて、祐助が呆れたように息をついた。
「こんなにもエロい自撮りに食いつかないって、お前、マジか? 本当に男なのか? ちゃんとついてる?」
「ついてるに決まってるだろ。変なこと言わないでくれよ」
ジト目で反論すると、祐助が苦笑を浮かべる。
「相変わらず真面目だねえ」
「不真面目よりはマシだろ」
祐助と言葉を交わしながらなおもペンを走らせ、やがて日誌は書き終わった。
パタン、と日誌を閉じて、俺は席を立つ。
「さて。これを届けたら俺はそのまま帰るけど、祐助はどうする?」
「俺はまだいるわ」
教室の後ろにあるロッカーから自分のリュックを取り出しつつ尋ねると、スマホに目を向けたまま祐助が答えた。『みゃあ』の自撮りに夢中になっているらしい。
溜息をつき、俺は祐助に忠告する。
「見るのは勝手だけど見つからないようにしなよ?
「わかってるわかってる」
明らかに生返事だった。俺の忠告を聞き流した祐助は、相も変わらずスマホを眺め、鼻の下を伸ばしている。
もう一度溜息をつき、俺はボソッと呟いた。
「そんなんだからカノジョができないんだよ」
中学時代にモテなかった祐助は、カノジョがほしくて高校デビューしたらしい。金色に染めた髪はオシャレに整えられており、左耳にはピアスがつけられている。顔立ちも決して悪くなく、むしろいいほうだ。
しかし、念願のカノジョはいまだにできていない。きっと、ちょっとした言動から、そういう下心を見透かされてしまうのだろう。女の勘は侮れないってよく聞くし。
「それじゃあ、また明日」
「ういうい」
祐助と挨拶を交わし、俺は教室をあとにした。
□ □ □
「失礼しましたー」
日誌を届け終えて職員室を出た俺は、帰ったらなにをしようかなあ、と考えながら昇降口に向かう。
その途中で、
「スマホ?」
廊下にスマホが落ちていたのだ。
「誰のだろう?」
近づいて拾い上げ、俺はキョロキョロと辺りを見回す。が、授業が終わってから時間が経っていることもあり、周りには誰の姿もなかった。
スマホを開けば誰のものか特定できるかもしれない。しかし、他人のスマホを勝手に見るのはよくないだろう。
とはいえ、このまま放置するわけにもいかない。現代社会でスマホをなくすなんて、財布を落とすよりも深刻なことなのだから。
「とりあえず職員室に届けるか」
そう決めて、元来た道を引き返そうとしたときだった。
「ない……ない……どうしよう……」
廊下の先から、ひとりの女子生徒がやってきたのは。
星空を写し取ったような、長く
クリクリと愛らしい、琥珀色の瞳。
高二女子としては平均的な背丈と肉付き。しかしながら、胸の膨らみは超高校級。グラビアアイドルとして通用しそうなくらいだ。
柔和な顔立ちを曇り空みたいに陰らせている、彼女の名前は
困ったように眉根を寄せた花咲さんは、なにかを探しているかのように、廊下の上に視線を滑らせている。
状況的に考えて、このスマホは花咲さんのものなんじゃないか?
そう推測した俺は、花咲さんに声をかけた。
「花咲さん。もしかして、これを探してるの?」
「え?」
花咲さんが、廊下に落としていた視線をこちらに向ける。
拾ったスマホを彼女に見せると、潤んだ瞳が目一杯に開かれた。
「わたしのスマホ!」
「やっぱり花咲さんのだったんだ。さっき、ここで拾ってさ。職員室に届けようと思ってたんだけど、その前に会えてよかったよ」
「そうだったんだ……ありがとう、火野くん」
胸を撫で下ろし、花咲さんが頬を緩める。安堵の微笑には、百合の花みたいな気品が
花咲さんとは二年に進級してから同じクラスになったのだが、クラスメイトになってからあまり時間が経っていないので、ほとんど話をしたことがない。言ってしまえば知り合い以下の関係だ。
それでも、一発で恋に落ちてしまいそうなほどの魅力が、彼女の笑顔にはあった。
流石は花咲さん。『おしとやか』とか『清楚』とかの表現が、ここまで似合うひとはそういないよ。
熱を帯びつつある頬をポリポリと
花咲さんの指がスマホに触れた――まさにそのとき。
ムーッ! ムーッ!
「ひゃっ!?」
「わっ!?」
通知でも届いたのだろうか?
驚いた俺と花咲さんは、その弾みでスマホをこぼしてしまう。
廊下に落ちて、カツンッ! と音を立てるスマホ。
マズい! 液晶画面が割れたりしたらどうしよう!?
焦りとともに、廊下のスマホに目を落とす。
幸いなことに、液晶画面は割れていなかった。
だが、不幸なことに、落ちた衝撃でスイッチが入ったらしく、スマホの画面が点灯してしまう。
不幸は続いた。
おそらく花咲さんは、なくす直前までスマホを操作していたのだろう。画面に映っていたのは、
「……え?」
俺は我が目を疑う。
スマホに表示されている、Postterのホーム画面。そのプロフィール欄に記されたユーザー名が、『みゃあ』だったからだ。
タイムラインには、先ほど祐助に見せてもらった、エロティックな自撮りが
「あっ! こ、これは……その……っ」
一目でわかるくらい動揺する花咲さん。
スマホから得られた情報と、彼女の反応から考えて、もはや間違いない。
「花咲さんが……『みゃあ』?」
「――――っ」
花咲さんの顔から血の気が引いた。
無理もないだろう。自分がエロ系裏アカ女子であることが、俺にバレてしまったのだから。
数秒程度の重苦しい沈黙。
「……ふふっ」
その沈黙を破ったのは、俺が漏らした笑みだった。
自然と
なんて運がいいんだろう。こんなにも重大な秘密を知ることができたなんて。
俺の様子に怯えたのか、花咲さんが息をのみ、
スマホに落としていた視線を花咲さんへと向けた俺は、衝動のままに彼女の両肩をつかむ。
ビクッ! と花咲さんが身を
もう我慢できない。この気持ちを抑えられない。花咲さんにぶつけずにいられない。
口を開き、俺は告げた。
「いつもありがとうございます!」
「…………はぇ?」
花咲さんが間の抜けた声を漏らす。なにが起きているのかまったくわからないと言いたげな反応だ。
だが、花咲さんの様子を気にかける余裕なんて、いまの俺にはなかった。
「花咲さんの――いえ、『みゃあ』さんの自撮り、最高です! 男心をくすぐるっていうか、性癖にぶっ刺さるっていうか……昨日のポスタもメチャクチャ興奮しました! ティーシャツのブカブカ感が彼シャツっぽくて、襟から胸が見えているアングルも、ノゾキをしているような背徳感があって、ムラムラが止まりませんでした! 毎日素晴らしいオカズを提供してくれて、どれだけ感謝してもし足りないです!」
きっと、俺の目は
許してほしい。
なにしろ俺は、『みゃあ』さんの大大大ファンなのだから。『みゃあ』さんは、俺の推しなのだから。
普段は真面目ぶっているけれど、実を言うと俺はエロい。三度の飯よりエロコンテンツが好きな変態。いわゆる、むっつりスケベというやつだ。
先ほど祐助から『みゃあ』さんの自撮りを見せられたときは、語りたい欲求を我慢するのに必死だった。塩対応をしてしまったのはそのせいだ。
こんな本性は隠さないといけない。自分が変態だなんて、誰にも知られたくない。
けど、無理だよ! 無理無理無理! 絶対、無理! だって、目の前に『みゃあ』さんがいるんだぞ? 推しがいるんだぞ? 神がいるんだぞ? 我慢できるか? 感謝を伝えずにいられるか? そんなわけあるか! 溢れ出るパトスを抑えきれないよ! 後先なんて考えられないよ!
脳汁がドバドバ出ているのがわかる。さながら、ブレーキを失った機関車のよう。明らかに俺は暴走していた。
もはや自分がなにを言っているのかさえわからず、俺はただ、口が動くままに賞賛と感謝の言葉を連ねる。
そんな俺をポカンと眺めていた花咲さんは、
「――――」
ただの一言も発さず、不意に顔をうつむけた。
途端、俺は我に返る。
あ、あれ? もしかして、俺、喋りすぎた? 呆れられた? ……ていうか、『興奮した』とか『ムラムラが止まらない』とかって、女の子に伝えていい言葉かな?
いまさらになって、ようやく俺は、自分がしでかしたことの愚かさに気づいた。
それまでの熱が嘘みたいに引き、焦燥感が俺を
いやいやいやいや、いいわけないだろ! いくら花咲さんが裏アカ女子だからって、言っていいことと悪いことがあるだろ! しかも、ずっと隠していた自分の本性までバラしちゃったし!
頬がひくつき、嫌な汗がダラダラと流れる。
花咲さんはプルプルと小刻みに体を震わせていた。うつむいたままなので、彼女の表情を確かめる
しかし、俺がしでかしたことを踏まえれば、花咲さんがなにを感じているのかを推測するのは簡単だ。
ひ、引いてる! 引いてるに決まってる! 『こんな変態がクラスメイトだったなんて』とか、『こんな最低なやつに推されてるなんて』とか、絶対に思われてるよ!
推しに嫌われる恐怖に、心臓が凍りついたかのような錯覚に
後悔がグルグルと頭を駆け巡るなか、花咲さんが、うつむけていた顔を勢いよく上げた。
「わかってくれるの!?」
「…………へ?」
俺は間の抜けた声を漏らした。なにが起きているのかまったくわからない。
だが、花咲さんには、俺の様子を気にかける余裕なんて、ないみたいだった。
「火野くんの言うとおりだよ! あの自撮りはね? 『気になってる子にシャツを貸してたら胸が見えちゃった』ってシチュエーションを想定したものなの! 嬉しいなあ、わかってくれるなんて! それに、火野くんはいつも、わたしの自撮りをオカズにしてくれてるんだよね? ヌいてくれてるんだよね? ああ……想像しただけでゾクゾクするぅ!」
花咲さんの頬は紅潮していて、口端からはいまにもヨダレが垂れそうだ。
その表情には気品なんて微塵もなく、『おしとやか』とか『清楚』とかの表現は、間違っても使えない。
いつもの花咲さんを知っているひとは、いまの彼女を見たら幻滅するだろう。落胆するだろう。失望するだろう。
けど、俺は幻滅も落胆も失望もしなかった。
むしろ、俺が得たのは感動だ。
花咲さんが、『みゃあ』さんが、推しが、神が、俺の話にノってくれている!
その事実さえあれば、あとは
立ちこめていた霧が晴れるように、頭を駆け巡っていた後悔が消え、失われていた高揚が蘇ってくる。
「やっぱり『みゃあ』さんは、男心を理解していたんですね! 最高のシチュじゃないですか!」
「ありがとう、火野くん! よかったぁ、わたしの好きなシチュは、フェチは、男のひとにも刺さってたんだね!」
「当たり前ですよ!」
力強く頷き、俺は続ける。
「ずっと思ってたんですけど、『みゃあ』さんは女性目線じゃなくて男性目線で自撮りしてますよね? シチュエーションとか構図とか、男が見たいものを見せてるって感じがするんです。だからこそ、下着より先を見せてないのに人気なんでしょうね」
「そう! そうなの! 火野くん、本当にわかり手だね!」
「そりゃあ、そうですよ! だって俺、『みゃあ』さんのフォロワーのなかでも最古参なんですから! 『みゃあ』さんの自撮りをずっと見てきたんですから!」
「最古参?」
花咲さんが目をパチクリとさせて、なにかに気づいたかのようにハッとする。
「もしかして……火野くんって、『ハレ』さん?」
「え? ど、どうして俺のユーザー名を……?」
「やっぱり『ハレ』さんなんだね!」
花咲さんの瞳がキラキラと輝いた。
驚かずにいられない。花咲さんの言うとおり、俺のPostterのユーザー名は『ハレ』なのだから。
だが、自分が『ハレ』だと花咲さんに明かしたことは、もちろんない。
どうして花咲さんは、俺が『ハレ』だとわかったんだ?
その問いを口にする前に、花咲さんは答えをくれた。
「最古参のフォロワーで、わたしのことをここまで理解してくれてるひとって、『ハレ』さん以外に考えられないもん」
ふにゃりと頬を緩めた花咲さんが、優しい両手で俺の手を包み込む。
「わたしがポスタしたら、いつもいいねしてくれるし、
そのとき抱いた感情に、俺はなんて名前をつければいいだろう? 『感動』? 『幸福』? 『歓喜』? 残念ながら、どれもふさわしくない。その程度の言葉では表しきれない。
ただ、これだけは言える。
「生きてて、よかった……!」
「あははは、大袈裟だよぉ」
大袈裟でもなんでもない。推しが感謝してくれているなんて、推しから直接『ありがとう』と伝えられるなんて、推しの心の支えになれているなんて、幸せすぎるにもほどがある。
どうしてこんな幸せが舞い込んできたんだろう? 前世で徳を積んでいたのか? だとしたら、ありがとう、前世の俺。
目頭が熱くなり、視界が潤む。たとえ死んでも悔いはない。
生きとし生けるすべてのものへ、心のなかで感謝を伝えていると、こちらをチラチラとうかがいながら、花咲さんが
「ねえ、火野くん? このあと、時間ある?」
「え? あるけど、どうして?」
「よかったらさ? エッチなコンテンツについて、語り合わない?」
脳天に雷が落ちた気分だった。
推しが、俺に、語り合いたいと誘ってきている。しかも、俺の大好きな、エロコンテンツについて。
あまりの衝撃に頭が真っ白になった。目と口をまん丸にして、俺はただ呆ける。ただ立ち尽くす。
俺からの返事がないためか、花咲さんが不安そうに眉を下げた。
「ダメ、かな?」
「ダメなわけない! 行こう! すぐ行こう! 語り合おう!」
俺史上、最速のレスポンス。
俺の返事を聞いた花咲さんが、パアッと笑みを咲かせた。
「うん! 一緒に語り合おう!」
『おしとやか』とも『清楚』とも違っていたけれど、その笑顔は、いままで見てきたどの笑顔よりも素敵なものだった。
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