第21話 ルールシェイドが踏んでいた(4)

 ノックの音がした。


 反射的に、システムウィンドウを閉ざす。


 指先で操作する必要はなく、消えて欲しいと思った瞬間には、パッと消えていた。


 本当は、俺以外にはシステムウィンドウは見えないようなので、わざわざ隠す必要はない。ジョブ『偽神の使徒』の詳細を食い入るように眺めていたので、不意打ちのようなノックの音に驚いて、思わず消してしまった。


「どうぞ」


 平静を装いながら、ドアの向こうに声をかける。 


 メイド服の若い女官が三人、部屋に入ってきた。


「おはようございます、ルールシェイド殿下」


 三人の女官は横に並び、丁寧な所作で頭を下げる。


 若い、とは入室してきた瞬間にも感じたけれど――。


 一礼を終えて、ゆっくり顔を上げた彼女らを見つめていると、いや、やっぱり若いにもほどがあるだろうと思った。むしろ、幼いと云うべきか。


 『リアライズ・リロール』はJRPGによくある中世ファンタジーの世界観であるため、西洋風の顔立ち。日本で生まれ育った俺からすると、容姿から年齢帯を見極めるのが難しいものの、それでも十代前半、中学生ぐらいだ。


 現代ならば、労働基準法でアウトである。


 とはいえ――。


 中世ファンタジーならば、これは仕方ない。


 雑学をかじる程度だけど、俺は、そこら辺の知識を一般人よりは持ち合わせている。仕事の性質上、少しは勉強する必要があったからだ。


 王家、あるいは公爵家のような人間の身の回りの世話をする使用人たちは、決して、身分の低い者ではない。ほとんどの場合、彼らも貴族の子女である。


 要は、行儀見習いとしての奉公。日々を生きるための労働者ではなく、将来的な箔付け、いずれ国家の中枢になる人物とコネクションを築くことなども目的としている。だから、必然的に、十代の年若い者ばかりになるわけだ。


「ああ、おはよう」


 無意識に、こちらも「はい、おはようございます」と丁寧に返しそうになる。


 アラサーだった俺の感覚からすると、大人が子どもを相手にするようなもの。できるだけ優しくしなければ、という気持ちになる。


 なんとなく、職場体験にやって来た中学生たちを思い出してしまう。ああ、ちょっと懐かしい……。


 広報課の担当者から事前に、うちの部署に対して、「子どもたちに見られるときぐらい、現場の方々も身だしなみに注意してください。デスクも、できるだけ片付けて……ええ、特に! エッチなフィギュアなどは絶対に隠してください! それから、明るい笑顔を忘れずにお願いしますね」などと、俺たちの方が子ども扱いされた記憶が蘇ってくる。


 リーダーということで、俺だけスマイルの練習をさせられた。


 練習というか、あれは地獄の特訓だった。


 今も、ヘラヘラと笑いそうになるけれど、さすがに踏みとどまる。


 女官たちを子ども扱いするのは良くない。


 俺は、ルールシェイドである。


 10歳の子どもである。


 相手も、中学生ぐらいの子どもたちに過ぎないけれど、現在の俺からすれば、立派な年上なのだ。この年代での3歳、4歳の差はとても大きい。10歳の小学生から見た中学生なんて、しっかりしたお姉さんたちだろう。ややこしい。


 その上で、さらに。


 俺は、絶対的に上の立場でもある。


 やっぱり、ややこしい。


 上司と部下みたいなものか? いや、たぶん、それは適切ではない。根本的に、身分が違う。俺の命令に対して、彼女らは逆らうことを許されない。ざっくばらんに云えば、彼女たちから見て、俺はめちゃくちゃ偉い人なのである。


 だから、へりくだる必要はない。


 そんな風に考えての、「ああ、おはよう」なんて、ちょっと上から目線のあっさりした返事で済ませたものの――。


「え?」


 三人の女官たちは、一様に、驚いた表情になる。


 ……え?


 こちらも、驚かされる。


 なにか、間違った?


 俺の挨拶は、なにか変だった?


「どうした?」


 表情は変えず、平静を装いながら尋ねる。


「い、いえ、申し訳ございません」


 女官たちは、深々と頭を下げながら答えた。


「で、殿下に朝のご挨拶を頂けるなんて、は、初めてのことでしたので……」


「いや……。まあ、気まぐれだ。気にするな」


 俺は内心で、頭を抱える。


 クソガキめ。


 ルールシェイドめ。


 専属の女官たちに対して、普段からどのような態度を取っていたのか、初手でわかってしまった。相変わらず、嫌なヤツとして期待を裏切らないな、こいつ……。


 とりあえず、無駄な違和感を与えないためにも、彼女たちの情報が必要である。


 ルールシェイドの記憶を大急ぎで探ってみた俺は、しかし、結果として、心の底からのため息を吐くことになってしまった。


「で、殿下? どうされましたか?」


「いや、悪い。気にするな。俺自身の問題だ」


 云ってみたものの、確かに、これは俺が取り組むべき問題になりそうだ。


 ルールシェイドの尻拭いである。


 真剣に、頭が痛くなってきた。


「ごめん。本当に……本当に、自分でも情けなくて、涙が出そうなぐらい申し訳ないんだけど……」


 公爵家の嫡男という立場で、若い女官たちに謝罪するなんて、前代未聞――。ああ、そうさ。少なくとも、ルールシェイドが頭を下げたという記憶は、俺の中には欠片も存在していなかった。


 ルールシェイドのキャラクターは、いつでも、偉そうである。いつでも、わがままである。ふんぞり返っている記憶ならば、いくらでも思い出されるので気が滅入る。


「本当に、ごめんね」


 実際、俺は、こんな態度を取るべきではないのかも知れない。公爵家の人間としては、軽々しく他人に頭を下げるなんて、逆に問題行動になってしまうか? もしかしたら、偉い人に怒られるかも?


 まあ、知ったことではない。


 叱るならば、これまでのルールシェイドの方だろうさ。


 人として、こうするべきと思ったから、俺は彼女たちに謝罪している。


「皆さんの名前を、教えてもらって良いでしょうか?」


 10歳の悪ガキ、ルールシェイド。


 この大バカ野郎は、毎日世話をしてくれている女官たちの名前すら覚えていなかった。

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