寂寞

菊月 十八

寂寞

 目を開けていてもまるで暗闇の中に居るようだ。

それならばと更に先を求めて目蓋を閉じた。

深く深く沈んでいく意識。

辿り着いた先は暗黒の世界ではなく透き通る水の世界だった。

私は水底に座っている。

水と言ったが冷たさは感じられず、何故か息は出来るので苦しさは全くない。

ここは川であろうか。

見上げたが空は見えない。

では、海であろうか。

分からない。

見回したが辺りには何も無い。

何も居ない。

そして何も聞こえない。

ここで私はふと思い出した。

私は水が怖いと言うことを。

海、川は勿論、プール、水族館。更に温泉。

酷い時は自宅の湯船の中の水にさえ怯える事があるくらいである。

どうしてこんなにも恐怖心があるのか分からないが、今はそんな気持ちはこれっぽっちも無くただただゆらゆらと緩やかな流れに身を任せている。

心地よく段々とうつらうつらし始め、この場から動くことすら考えられず、水中でも目蓋を閉じてしまった。



 この世界は、人は皆、円盤の様なモノの上に乗って障害物を避け、お互いぶつかれば方向転換をし、一向に交わることがなく、おはじきみたいにビー玉みたいにお互いを弾き飛ばしてあって。

面子みたいに裏が表に、表が裏に引っくり返ったりして。

嘘が本当で、本当が嘘で。

悪が善で。善が悪で。

白が黒で。黒が白で。

何が真実か分からない。気がする。

幼い頃はそんなこと微塵も思わなかった。

何も疑ったりしなかった。

見たモノ感じたコトが全てが真実だった。

いつからだろうか。

疑い深く人を信じられなくなったのは。

これが大人になると、なったと言うことなのだろうか。

それなら子供のままが良かった。

子供のままで居たかった。



 目蓋を開くとそこは一面緑であった。

空色であった。

草原の様である。

雲一つない。

風がゆっくりと流れそれに合わせて草が微かな音を立てる。

ぽつりと独り佇む私は今度は移動しようと思った。

が、目指す場所が無くただ歩くのは苦痛になるだろうと辺りを見回した。

何も無い。

延々と緑が続くばかりである。

仕方がないので何も考えずに思い付きで進むことにした。

どれくらの時間、どれくらいの距離を歩いたか分からない。

見渡す限り同じ景色なので元の場所へ戻る事はもう不可能であろう。

鳥の声の様なものが聞こえた。

生き物が居るのだろうか。

もしかしたら水辺があるかもしれない。

当てもなく進むのを止め声の主を探すことにした。

大きな平たい岩を見付けた。

少し休もうと腰を掛け前方に目を向けると遠くに何かの姿があった。

いつ現れたのか、目を凝らすと立派な角を持った一頭の白い鹿がこちらを見ていた。

初めて見たがなんとも神々しい姿。

光を放っているようで目が離せず凝視していたが、瞬き一つすると姿は無かった。

それから徐々に徐々に辺りが暗くなっていった。



 今日も円盤に乗りあちこちくるくる回る。

なるべく人を避け障害物を避けながら。

私のそれは他人より小さく頑丈では無い為日々の点検が必要不可欠だが、少しおかしな所があってもまあまだ大丈夫だろうと誤魔化していたら最近調子が良くない。

もう長い付き合いなのでいつ機能しなくなるのか心配だが、それも運命である。

もう少し要領よくズル賢く出来ればと思えど、生まれ持ったモノなので仕方無い。

何も持ち合わせていない私は、今までに幾つを諦めこれから何れ程諦めなければならないのだろう。

もし、何処かでほんの少しの違いがあったのなら、私は違う人間として産まれて来たのだろうか。



 真っ白な空気に包まれている。

全身にかなりの風を浴びながら雲を掻き分け前進している。

と言っても私自身が空を飛んでいるのではない。

実際には見たことの無い、恐らく誰も見たことの無いイキモノの背中に乗っている。

虹のように輝く体。

私は落ちないようにと素晴らしく立派で綺麗な羽根を掴んでいる。

痛くは無いだろうか。

重くは無いだろうか。

と申し訳なく思う。

一筋の光が見えてきた。

そろそろ雲から抜け出すだろう。

抜けた先はどんな世界なのだろうか。

当り一面花畑だったら香りの中でも寝そべるのもいい。

星の世界だったら月に降り立つのもいいかもしれない。

もしかしたら私と同じ境遇の人と出会うかもしれない。

緊張と興奮。

いつぶりだろうか。

心が踊るような、気持ちが高揚する感じは。



もう少しで視界が開ける。


あと少し。


あと少し。



「なんて美しいんだ」



私は両手を広げ宙を見上げた。

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寂寞 菊月 十八 @kikutowa

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