第35話 新しい仕事

――光乃視点――



夏を過ぎた。

いまや、宮殿をつくるための木材、檜皮や、それを建立するための職人の日当、舞踊や音楽を豪華絢爛に飾り立てるための絹や金銀宝玉の調達が完了し、今は粛々と前に進めていくというフェーズになっている。


そうなると、予算と実支出の調整に忙殺されていた光乃にも余裕が生まれてきた。

夏ごろまでは、帰路ほとんど鶏鳴に及ぶというありさまで、しかも毎日休むことなく働き続ける必要があった。


最初に光乃が着任した際に、先輩は

「ウチの部署には休みはないよ。でも倒れた時は休んでいいよ」

と言った。

その後、宣言通りその先輩は、民部省(≒財務省)との苛烈な折衝の果てにぶっ倒れて休む運びとなった。


だが、光乃のほうは、いかんせん武者の娘であるから、心身ともに頑丈この上ない。

したがって一日の休みを得ることもなく今に至っている。

光乃自身は気づいていないけれども、モレイの裏切りと死の忘却、という意味では激務はいい作用をもたらしていた。



さて、光乃の職場は、都の北側、官公庁のひしめくエリアの中心部、太政官庁内の一角にある。

ふだんは太政官たちの食事・休憩スペースとして利用されているところを、臨時で大贄祭の推進実行委員会たる行事所がつかっているのである。


太政官庁自体が陰陽寮のとなりにあることから、ときおり変なにおいがする。

変なものを調合したり、術式がなんかしている臭いなのだろうが、今更誰も気にしない。


また、よく言えば伝統がある、悪く言えば古い建物である。

外つ国の古の大帝国、伽羅からの建築様式を採用していることから、相当に古いだろうということは光乃にもわかる。


”たぶん、見た目だけ古の帝国の真似をしたもんだから、都の実際の風土にあっていない”

と、光乃が思うのは、とにかくやたらと壁が多くて、風通しが悪くて暑いからである。


ある朝、いつものように空気のよどんでいる職場に出勤した光乃は、特に仕事がないことに気づいた。


「あれ、先輩、今日ってなんも打ち合わせとかない感じですかね?」


「あー、光乃さんは、そうか、もうあらかた仕事は片付いたもんね」


「あ、じゃあひさしぶりに――」

休みでももらっていいですかと光乃が言いかけたのを察知したのか。


「あ! そういえば警備のことをほったらかしてたんだった! もともとオレの担当だったんだけど、わり、オレちょっと余裕なくてさ。おねがいできる?」


「え? 警備って?」


「祭りの警備。ほら、大掛かりな祭りでしょ。メチャクチャ治安悪くなりそうじゃん。普段の祭りよりも警備のことしっかりしないとさ。」


大贄祭は、まず国家としては神との契約更新であるし、一方で民衆の側から見れば、数十年に一度のビッグイベントである。


基本的には神々も騒がしいお祭りが大好きであるから、あちらこちらで太鼓の音に謎の歌、この日のためにめかしこむ夜鷹がいたかと思えば、いつもは偏屈な町屋のジジイが半裸で踊り狂う。

この日のために大海原を満たすほどのお酒が用意されて、上は大臣から下は乞食まで、みなが同じ酒をかっくらう。

腹におさまりゃ何でもお神酒だ、といわんばかりで、もう飲んでるんだか浴びているんだかわからない。


と、いうことは治安も当然悪化する。

万が一にも神との再契約作業に失敗しては、これは大事、というわけで自然、警備のほうも重要になるのである。


警備、といっても間抜け面の警邏が何人か突っ立っているだけでは意味がない。

僧侶、陰陽師、それから神力を巧みに使う武者。

この三者が巧みに協同しなくてはいけない。


――というようなことを、先輩は手短に説明する。


「なるほど、警備の必要性はよくわかりました。これ引継ぎとかって――」


「あ、そこは大丈夫。気にしないでいいよ」


「気にしないでいい、といわれましても……」


「本当に大丈夫。なんでかっていうと、これ言うの恥ずかしいんだけど、ってかオレがマジでメチャクチャ忙しいのは光乃さんも知ってると思うんだけど……」


「はい」


「まだ警備はなんも手付かずなんだよね」


「え?」


「そうそう。手付かず。だから、光乃さんの好きなようにやっていいから、うん。いちおう前回の大贄祭のときの資料は書庫にあるはずだから、それ見ながら進めといて」


「あと祭りまで二か月なんですけど、間に合うんです、これ?」


「うん、そこも含めて、前回のときの資料をみつけないとだね。ほら、なにをやるのかわからなけりゃ間に合うかどうかもわからないでしょ。よろしく」


と、光乃は、祝祭に向けたもろもろの警備の調整担当に任命された。


とりあえず先輩の指示通り書庫に向かい前回の大贄祭の資料を片っ端から漁るが、いっこうに資料は見当たらない。

なんせ前回の即位も二十年近く前のことだというから、資料のありかを知る人がいるわけもない。




「うーん」

終日書庫にこもって、ありかもわからぬ資料を探すこと、三日と三晩がたった朝。

さすがに集中力の切れた光乃は、いったん一条にある織路の屋敷に戻ることにした。


「おーい、姫様!」

後ろから馬蹄をひびかせ、なにものかが話しかけてくる。


「おや、十一郎か」


「ずいぶんぶりですな。ここ最近は屋敷にも戻っておられないとか」

追い付いてきた十一郎が、光乃の馬の横に己の馬をつける。


「そうなのよ、新しく任された仕事がさあ」


そういえば、と思い至った光乃は何かと物知りな十一郎にとりあえず話を振ってみていた。


「警備ですか。なんといっても大事なのは朱雀大路でしょうなあ」


「朱雀大路、というとあの都のど真ん中の馬鹿みたいにデカいあの」


朱雀大路、というのは都の中心を南北につらぬく巨大な大通りである。

なんとその幅は100mちかいという、度肝を抜かれるほどの太さ。


「そうそう。あそこを貢物が通っていくんでね。もうあそこが、なんというか催し物の中心になりますわ」


これは大贄祭の専用道路として作られているものである。

日常的に道として利用されているかというと全然そんなことはない。

というよりは、幅100メートル、長さ数キロの巨大な公園のような扱いを受けている。


「ははあ、それでいまあんなに必死で整備しているんだ」


普段は都の住人が勝手に農作物を植えたり、童が鬼ごっこしていたり、夕暮れ時にはけんかっ早い荒くれものが馬に跨り決闘に興じていたりしている。


「そういえば、朱雀大路といえばね。あそこの四条付近。最近では、織路氏の姫君が、一人で騎馬武者五人を相手取って、全員をコテンパンに叩きのめした、ということでも、都中で噂になっているんだそうですよ」


「へええ。相手はどこのどいつなの?」


「小野宮家のなにがしとかいう大貴族の家人みたいですな。なんでも、牛車の止める位置を巡って、我らが土御門殿の家人、というか信乃様と小競り合いになったみたいで。ほら、牛車ってそれぞれの家で止める位置は決まってますけれども、いかんせん勝手に牛が動くでしょ。それでいつもぶつかったぶつかってないの喧嘩になるんですな」


「まあよくある話だね。というか警備の話もききたいけど、いったんそっちの話も聞こうか」


「でね、堪忍袋の緒が切れた信乃様が放った矢が、小野宮なにがしの牛の尻に刺さったもんだからあたりは大騒ぎ。牛は暴れてどっかの御屋敷の築地に突っ込むは、便乗した乞食が屋敷になだれ込んで財物を奪おうとするわ。さすがに小野宮なにがしの随身(ボディガード)もトサカにきてましてね。これはさすがにまずいかなと私も思ったんですがね」


「あ、十一郎もその場にいたんだね」


「当たり一町(100m)四方に通りそうなほどの声で信乃様が申し上げるには『うぬらも武者であらば、ここは一騎打ちにてけりをつけん。いや、うぬらごときまとめて相手にしてくれようぞ。さりながらここは馬を使うにはあまりにも狭い。さあさあさあ、朱雀大路にていざ勝負。各々がた、駆けよ!』」


十一郎は、身振り手振りで馬に鞭を当てる様子まで再現する熱中具合。


「そんなにかっこつけて言ったとも思えないけどね、信乃が。いや、もう大丈夫。結末は分かったから。あと都中に噂って、噂ばらまいてるのはどうせ十一郎でしょ。それよりも、警備について聞きたいんだけど……」


そうこうするうちに、一条の織路の屋敷に二人は到着する。

中級貴族ながらも随一の富豪として知られる織路氏の御屋敷だけあって、真っ白な築地塀がどこまでも続く、一町(100m)四方の邸宅である。


普通の貴族の邸宅と違うのは、その門扉に盗人の首がぶら下げているところだろうか。

織路氏は都でも指折りの富豪だけあって、命知らずの強盗によく狙われる。もちろん、織路武者たちの警備は完璧だから、強盗が成功することはない。

だが、そうした強盗の首をつるしておくと、一定の防犯効果が見込めるということで、それをやっている。


「まあでも、警備のことだったら、姫君の御父上に聞いた方がいいですぞ。前回の大贄祭に警護担当として参加してますからな」




光乃が父親と会うのも、なんだかんだ半年ぶりだった。

姉妹が都にのぼるまえに、ちょっと挨拶したのが最後である。


といっても、満道は基本的に多忙で不在であるから、もとより半年か一年に一度程度しか顔を合わせることはない。


”やあ、だと軽々しすぎる? ご機嫌麗しゅう、だとあまりにもかしこまりすぎ?”

満道に会う機会が訪れるたび、光乃はどんな言葉から切り出せばいいのかわからずに悩む。


”前回はどんなふうにはなしたんだっけ……”


織路の邸宅に戻った光乃は、馬をつなぐと母屋にある満道の執務スペースに向かう。


久しぶりに会った満道は、やけに老け込んでいるように見えた。

顎を覆う髭には白いものが目立ち、目はどこか落ちくぼんだようである。

その眼だけは、前に会った時と変わらない強い生命の意思を宿している。


一通り光乃から話を聞いた満道は、手をたたいて家人を呼ぶと、土御門邸の九条道永に使いを出した。


「道永卿が警備についてはすでに手配を回していたはずだ。彼に聞くのが早かろう」


道永は、大贄祭の責任者である。

光乃も道永に仕えているといえるが、不明点を聞きに行けるような間柄ではない。

光乃と道永の関係は、いうなれば新入社員と本部長くらいのものだからだ。


一方の満道も、四位の中級貴族にすぎず、位階だけ見れば、三位以上の高位な貴族とは全く対等ではない。

だが、武者の棟梁としてのこれまでの実績が生み出す重み、また道永の父であり、摂政でもある九条鐘家に仕えている、という立場から、道永に対して対等に接することができるのである。


一瞬の沈黙。


「仕事のほうはどうだ? なれたか?」


「そうですね。だいぶ慣れてきました。武者らしい仕事ではないですが」


父親とはなにをはなせばいいのだろうか、と光乃は思う。

もとより半年か一年に一度くらいしか会わない。

しかもモレイを殺している。いっぽうで、それによって母や信乃、光乃を救ってもいる。


「そうか」


もしかしたら、と光乃は思った。

”御父上も、そうなのかもしれない。なにをはなせばいいのか、わからないのかもしれない”


大贄祭おおにえのまつりの行事所だったか。民部省との折衝をしていたときいた。武者らしい仕事ではない、というがそれも大事な仕事だ」


「はい」


沈黙。


「信乃をよく助けて、支えてやってくれ。あいつには武者を束ねる華やかさはあるが、どうにも頭の回りがよくない。今、光乃のやっている仕事は織路氏の経営に役に立つ。姉妹で助け合って、織路の氏を盛り立てていくのだ」


「はい」


満道がこんなことをいうのは初めてだった。

織路氏の継承、ということを、光乃は初めて明確に意識した。


と、同時に来るべき未来、今言葉として与えられたけれども実像としては何も見えてこない、霧に包まれた未来に向けて、疑問がわきあがる。


なにをするのだろう? 織路氏を盛り立てていくとは? 自分は、そして信乃はなにをすればいいのだ?

だいいち、満道はなぜ今こんなことを?


「信乃にも伝えてある。光乃を頼れ、二人で支えあって棟梁となれ、とな」


何か聞くべきだ、と光乃の直感は告げていた。

だがなにを?


「殿。土御門邸から使いが戻って参りました。日出洲家に取りまとめをすでに依頼しているとのこと。ただ織路からも武者を出してほしい、とのことです。」


「わかった。日出洲家にも使いを送ろう。光乃も同席なさい。それが役目だろう」


「ありがとうございます」

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