第34話 事件


事の起こりは半年前にさかのぼる。

梅の花がほころぶかほころばないかという頃合いであった。


都の守りをつかさどる北嶺寺で、一人の僧侶が殺された。


僧侶が殺されただけでも大問題である。

さらに問題だったのは、僧侶が結界を張るために勤行ごんぎょうしていたことだった。


都にはあやかしがでない。

すくなくとも害を及ぼしうるほどに強いあやかしは。


それというのも、都の北の山々にそびえる『北嶺寺』で、一日、一秒もかけることなく勤行が行われ、よってもって都を守る結界を張っているからだ。


もちろん、結界は一人で張っているわけではないが、一人が欠ければ当然力はよわまる。


結果、都にあやかしが出た。

あやかしは即日討伐されたし、被害もさほどなかったものの、あやかしが出たこと自体が問題であった。


ちょうどミカドが変わったタイミングと重なったのもよくなかった。

ミカドが変わったことに神々が怒ったのかもしれないし、その怒りがあやかしとなって都を襲った可能性は十分にあった。


怒り狂ったのが摂政である九条鐘家だ。(道永の父でもある)

鐘家は、息子である道鐘みちかね(道永の兄)に、「どうにかしてこの事件を解決するように」と指示を出した。

道鐘みちかね検非違使けびいし(≒警察+裁判所)の長官職についていたからである。


道鐘は道鐘で、検非違使、の中でも子飼いの日出洲家の武者たちに、「なにがなんでもこの事件を解決しろ」と指示をとばした。



だが事件はいっこうに前に進まなかった。

誰が、いったいなぜこの僧侶を殺したのか、ちっともわからないまま、花が咲いて、散って、若葉が鮮やかに色づいた。



「そんなの、北嶺寺の僧侶に聞き込みでもすればすぐにわかるじゃん、寺の中だし、周囲に人もいたでしょ」と思うかもしれないが、そうもいかない事情があった。


というのも第一に、北嶺寺というのは、半ば独立勢力だったからだ。

公権力というか朝廷の権力――この場合は検非違使――が容易には立ち入れないような、そういう組織になっていた。


武者の力を動員して、強引に押し入ることも、できなくはない。

あるいは座主(トップ)や大僧都(本部長級)のような主要ポストをすげかえることもできる。


だが、それでへそを曲げて僧侶を派遣してくれなくなるとか、結界維持のための勤行をとりやめられると、今度は朝廷のほうがこまる。


したがって、北嶺寺内部での解決と並行して、朝廷と北嶺寺の双方の妥結可能な範囲内で、僧侶の立会いの下で検非違使が調査する、という極めて後ろ向きな調査方針とならざるをえない。

要するに、「基本は寺の中で解決しますんでまっててください。そのほかに、知りたいことがあったらいってください。情報を出せるかはこっちできめますが……」ということである。


しかもさらにやっかいなことに、北嶺寺内の政治抗争はきわめて苛烈であった。


北嶺寺、といっても一個の寺ではない。

田舎にある地域密着型、寺社一体型の寺とはわけが違う。

北嶺寺やその周辺に散らばる無数の寺や大伽藍を総称して北嶺寺、と呼んでいるのである。


人が三人あつまれば政治が起きる。

あつまる人が賢ければ賢いほど、多ければ多いほど、そして勝者の得る権力が大きいほどに、政治は苛烈になる。


北嶺寺は、とびっきり賢い人たちがうんざりするほど集まって、至高の権力を求めて抗争を繰り広げる場所になっていた。


実際の政治はそんなに単純ではないのだが、ざっくりいうと

『山門派』

と呼ばれる、山にこもって朝廷からの独立を志向する一派と、

『地門派』

とよばれる、地に分け入って朝廷と一体になろうとする一派が争っている。


当然、地門派のほうが、大貴族や朝廷との結びつきはつよい。


だが大貴族〇〇家の意向をうけた地門派の僧侶に対抗して、〇〇家の政敵である××家と山門派の僧侶が結びつき……みたいなことをあっちでもこっちでもやっていたから、結果その政治事情や情報というのは複雑怪奇にこんがらがってほどけないようになってしまっていた。


「情報が欲しかったら言ってください。ただし開示できるかどうかはこっちで決めます」

これが北嶺寺の基本的なスタンスである。

だがこんな状況では、「どの情報を朝廷に開示できるのか」をまとめきれるはずもない。

結果、維葉をはじめとした検非違使たちは何もできないまま夏を迎えた。


「すんません、進捗ないです」


激高したのは検非違使長官、すなわち維葉のボスたる九条道鐘である。


「夏が終わるまでにどうにかけりをつけろ。大贄祭おおにえのまつりまでには絶対に解決しろ。さもなくば……」


追い詰められた維葉これはは、尋常ならざる手段を選択した。

誘拐、そして拷問である。




維葉これはは、すぐさま子飼いの放免ほうめんたちの取りまとめ役であるウシ丸に段取りをつけるよう指示した。


「というわけで、北嶺寺の中に手を突っ込みたい。足がつかないやり方でそれなりの僧侶をさらいたい」


放免、というのは元犯罪者を警察として取り立てる制度のことである。

『羊たちの沈黙』のハンニバルレクターのしょぼいバージョンだと思ってもらえればよい。

検非違使たちが人員不足なのと、蛇の道は蛇ということで、公的に制度化されている。


ウシ丸の場合は元犯罪者というだけではなくて、現役の犯罪者でもあったから、裏の道にもよく鼻が利いた。


「旦さんのまえですがね、あんまりそれはおすすめできませんや」


「ウシ丸、私はお前に相談をしているわけではない。意見はもとめておらんのだ。なに、やり方は考えてある。その通りに動いてくれれば問題ない。そんな顔をするな。いつもお目こぼししてやってるだろう?」


「うーん、旦さんがやるとおっしゃるなら、まあやりますがね。あっしが責任を取るわけでもないんで。誰を狙うかは旦さんが考えてくださいよ。こっちにゃ北嶺寺に伝手なんかないんでね」


そう言って、ウシ丸は牛車と浮浪者、追剥ぎをどこからともなく調達してきた。


一方、維葉これはは、適当なターゲットを見繕った。


まず、都と北嶺寺を行き来していて誘拐する隙のある、ようするに朝廷とのパイプ役を務めている僧侶でなければいけない。

だれでもいい、というわけには行かない。

あんまり下っ端では情報を持っていないし、偉い僧は護衛がついていたりとかで現実的に難しい。


関係各所にそれとなく探りをいれたり、最終的には北嶺寺をはじめとした仏教を管理する部署に忍び込んで、いつだれが朝廷に来るのかをとらえた。


尋海じんかい、という中堅どころの僧侶がターゲットに選ばれた。


時間はなかった。

もう、蝉の死骸が木の下に転がりはじめていた。

夏のおわりはすぐそこに来ていたし、尋海じんかいが朝廷に来るのは月に一度だけ。

実質的にチャンスは一度きりだった。




時は流れ、誘拐拷問した日の夕暮れ。


首尾よく攫う所まではよかったのだが、とウシ丸は思っていた。


維葉これはは一心不乱に手を洗っている。

立ち上がると、頭から水をかぶった。


「水を汲んで来い」


「旦さん、その辺でご勘弁。もう五回目でっせ」


維葉はずい、と桶を突き出した。

あきらめたようにウシ丸はそれを受け取る。


「いちおう言っておきますがね、この桶、漏るんですわ。水を汲んで持ってくるのだって楽じゃないのにねぇ。おっ、おっとおっと。怒らないでくださいな。桶をなげないでください。わかりましたよ、もう」


ウシ丸が苦労して汲んできた水で、維葉はまたもや手を洗い始める。


結論から言うと、作戦は失敗に終わった。

攫ってきた尋海じんかいは最後まで口を割らず、そのまま秘密とともに泉下へと旅立っていった。

あるいは本人の言うとおりに、何も知らなかったのかもしれない。


ウシ丸の過去の経験にてらすと、そもそも僧侶相手に拷問は効き目が薄い。


まず、法力を得る際に特殊な鍛錬を積んでいるから痛みに強いし、ガンギマっている僧侶は死を恐れない。

痛みに強い相手に対しては、人質をとる、すなわち「家族を守りたければ、キリキリ吐け」というのが定石だが、僧侶の場合はそうもいかない。

基本的には俗世との縁を断っていて、家族がいないからだ。


「だから止めたのに」と思うが口には出さない。


維葉はなおも手を洗っている。

血まみれの水干もすっかり着替えて、もうとっくに血は落ちているのにもかかわらず、だ。


「そんなに殺しがお嫌なら、武者なんてやめちまえばいいじゃありませんか」


維葉はウシ丸の言葉を無視して、手を洗い続けた。

ウシ丸のような根無し草からすると、殺しの穢れを嫌悪する維葉が、いったいなんだって武者でありつづけようとするのか、皆目見当もつかなかった。


尋海じんかいの死体は、ウシ丸が堀川に流した。

一条堀川の戻り橋付近が『殺しの名所』、とされているのは殺した後に速やかにその死体を川に流せることによる。


その死体は、明日の朝までには堀川を七条あたりまで流れて、東市の船着き場あたりでみつかることだろう。




道永の兄である道鐘みちかねは、検非違使の長官職であり、つまるところ維葉これはのボスである。


道永とは八つほど年が離れ、御年30歳。位階は三位。道鐘みちかね卿、もしくは邸宅を構えている町尻小路をとって『町尻殿まちじりどの』と呼ばれる。


怒り狂う牛によく似た面構えをしていて、女子供に人気の出るふうではない。

というか、実際ここのところはいつもイライラしていた。


まず、なんといっても事件の進捗が思わしくない、というのがある。

道鐘は道鐘で、維葉これはを𠮟りつけてればいいわけではない。

もちろん、報告しに来た維葉を手ひどく殴りつけはしたが、それはそれとして、結果を出すことを強く求められている。


誰にか。


父であり、摂政でもある九条鐘家にである。


しかし、進捗が何もない時、「進捗ありません」と、報告したがる人はさほどいない。

道鐘も、あれやこれやと理由をつけては、父との面会を避けてきた。

が、限界が来た。

「北嶺寺の件、どうなってるんだ」と鐘家から使いが来たのである。


そして今、鐘家の邸宅である東三条殿の執務スペースは沈黙に包まれている。


奥には鐘家がどっしりと腰を下ろし、その前では道鐘が平伏低頭している。

侍っている家人は呼吸一つもらさず、かたずをのんで成り行きを見守っている。


――ガゴン

報告、というか報告がなにもないこと(ならびにその言い訳)を聞いた鐘家は、文鎮を床にたたきつけた。

道鐘よりは、道永によくにたその顔は憤怒に歪んでいる。


が、口は開かない。


「出てけ」の意であろう。

このうえなく雄弁な沈黙であった。

道鐘はゆっくりと、しかし決して父と目を合わせないようにしながら立ち上がると、父の前から退いた。




帰路、牛車の中で「進捗がないことくらい、親父にだってわかっていたはずだ。進捗があったら報告するにきまってるんだから」とこの三十路男は思っていた。


怒り狂う父の気持ちがわからない道鐘ではない。

九条家にとっては、この事件はたんに坊主が死んであやかしがでた、というだけにはとどまらないからだ。


なにせ、陰湿なはかりごとでミカドを挿げ替えただけに、九条家は大層評判が悪い。

この事件に対して「都にあやかしが出たのは、ミカドの交代に対する神々の怒りなのでは?」と思う人が多ければ、所詮は陰謀で得た権力など不安定なもの、その地位もたやすく揺らぐ。


だからこそ、大贄祭おおにえのまつり、すなわち神々と新帝の契約儀式をとりおこなうまでには、なんとしても犯人を明らかにし、しかるべき処置をとらねばならないのであった。


「でも、もはやどうでもいい」とこの男は考えていた。

「なぜならさきのミカド退位の功労者であるはずのこのオレは、その功に十分な見返りを得ていない。」


出世していないわけではない。

昨年までは四位であった道鐘は、ミカドの代替わりならびに父親の摂政就任と合わせて、三位に昇っている。

まごうことなき高貴の身分である。


「だが、道永のやつまで三位に上がった。わずか22歳で! なにもしていないのに!」

道鐘の、根本的な怒りはそこにあった。嫉妬である。


道鐘の任命された検非違使長官(≒警察長官+最高裁判長)の職も決して軽いものではない。

が、道永の任じられた職務――すなわち大贄祭おおにえのまつりの責任者――に比べると、すこし、いやかなり見劣りする。


「父は道永を己の後継者にしようとしている。八つも年下の、あの弟を!」


親友でもあったさきのミカドを裏切ったのはオレだ、親父を摂政の座に押しあげたのはこのオレだ!


町尻小路の邸宅に戻っても怒りはおさまらない。

目についた仕事のアラを取り上げては、家人や女官をネチネチと詰める。


「どいつもこいつも無能だらけだっ!」


嫉妬と怒りは、ここ半年ほど、熾火のように道鐘の心中で燃えている。

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