第27話

 ◇


 ――若藻視点――


 四本目の尾を無事に御神木の残骸の中から見つけたオレは、大慌てでモレイを追いかけて織路館まできていた。

 山を下りるまでの道中こそ、隠密性を重視してカナヘビだったが、平地に降りたらこっちのもの、元の四尾の狐の姿に戻って一筋の風となって疾駆してきたってワケだ。


 館まで近づいたオレは、モレイにバレることを恐れて、ふたたびカナヘビの姿に戻ると、塀の上に這い上る。

 ビビりだなんていわないでくれよ。

 格上相手に「こんちわー、ご機嫌いかがですかー?」なんて正面から入っていくほど、オレは間抜けでもなければガキでもない。


 塀の上から見える館の前庭では、馬上の光乃とモレイがゆっくりと円をえがくようにまわっている。

 威嚇しあう猫の喧嘩みたいな具合で、なかなかお互いに手は出さない。時折弓をつがえるふりをしては牽制を図っている。

 じりじりとした時間が流れているようだった。

 威嚇しあっているだけでもどっちが格上かはすぐにわかるのも、猫の喧嘩と同じだ。

 なんだろうな……。モレイも光乃も堂々とした武者ぶりだが、心なしかモレイのほうが余裕があるようにみえる。

 姿勢や、馬の手綱をくいっとひっぱるしぐさの一つ一つが、なんというか、ゆっくりして見えるからだろう。


 ――と、一瞬目を離した瞬間にモレイが駆け出した。少し遅れて光乃も馬を走らせる。

 まるで雄のサイが決闘するみたいに向かい合って突進しているから、二人の相対距離は一瞬にして縮まる。


 モレイが矢を放つ!


 ゴクっ。オレは息をのむ。


 間一髪のところで光乃はその矢を回避する。

 ギリギリのところだった。

 掠った大袖の端っこがチリ紙みたいに吹っ飛ぶが、目もくれずにモレイに向けて疾駆する。

 そのままモレイに近づいて薙刀で斬りつけようという魂胆だろうが、敵もさるもの、馬を巧みに使って直角に曲がって、光乃を寄せ付けない。


 二人から漏れ出した神力が、こうこうとかがり火の焚かれた空間にあってなお、ほうき星のように煌めく。

 ひろい前庭をあっちにこっちに馬を走らせるその様は、例えは下品だが、宙を舞う蛍のつがいにもよく似ていた。

 交尾したいオスと逃げたいメスが追いかけっこしてるようなやつだ。

 蛍とのちがいは、一見すると逃げているように見えるモレイのほうが圧倒的に優勢だ、というところだろう。

 たしかに、光乃のやつは死に直結するような一撃こそは回避できているものの、大鎧でも防ぎきれぬ矢を何本か食らって、その動きは精彩を欠いているようにみえる。


 むろん、オレも何もしていなかったわけじゃない。

 塀の上からハラハラドキドキ、手に汗握っていたのは確かだが、それだけではなくどうしたものか必死に頭をひねっていた。

 こういう場に乱入するのが苦手なタチではないが、どうせなら最大の効果をひきだしたい。

 だがのんびり考えている時間はない。時間は相手の味方だ。


 ふと、オレはあるものに目を止めた。


 ひらめいた! 今こそ攻めに転ずる時だ。

 オレはすばやく脳みその中で作戦を組み立ててゆく。

 これならばきっと……。



 ◇



 ――光乃視点――


 時間はどちらの味方なのだろう。

 悩みながらも、光乃は押し捩り(バックショット)の一撃をすんでのところでかわす。


「よく躱した! 成長したな!」

 モレイは生き生きと笑う。

 光乃は返事をしない。余裕がないのを悟られたくないのだ。


「息が荒いぞ! 肩で息をするなと教えたろう!」

 光乃のことなどモレイにはお見通しだった。


 モレイの死角にもぐりこみたいが、そのたびに矢で牽制され、馬で躱され、おもうようには位置取りができない。


 あと一手、が遠い。たぶん、というか明らかにモレイは本気を出していない。

 あるいは、モレイもまた迷っているのかもしれない、と光乃はおもった。


 光乃は悩む。

 このまま勝てるとも負けるともない時間稼ぎを続けるか、それともいちかばちかで打って出るか。


 もし若藻が生きているならば。

 単に尾を取り戻すのに手こずっているだけならば、よけいな危険は冒さないで時間稼ぎに徹するべきなんだろうか。

 いやしかし、夜明けも近い。

 夜が明けたら、若藻は著しく弱体化してしまうだろう。

 時間稼ぎばかりでは、モレイを夜明けまでに抑え込めないかもしれない。

 ならばここは一か八かに賭けて猛攻にでてみるか。


 逆にもし若藻が死んでいるならば。

 さっさと諦めたほうがいいだろう。

 単独で勝てる見込みはない。モレイと光乃に、馬の差はない。

 馬とそれをあやつる術に巧拙の差がないならば、得物の有効距離が勝敗を分けるのは道理である。

 ならば次回以降にすこしでも優位に立てるよう、モレイの癖や弱点を引き出したい。時間稼ぎだ。


 だが、悩んだのは一瞬だけだった。

 生と死の反復横跳びを、光乃は生のほうへ、大きく跳躍することにした。



 場の空気が変わる。

 なかなか決着がつかず、どこか間延びしていたような空気から、あふれそうなギリギリの水のような緊張した空気へと。


「はっっ!!」

 光乃が黒毛の馬に鞭をくれる。

 馬の残体力を無視するかのように、光乃は全速力でモレイに駆けていく。


 ”もうここで馬の体力を使い切ったってかまわない!”


 振り向いたモレイが、少しだけ意表を突かれたような面持ちで、やなぐいに手を伸ばすのが見えた。

 時間は引き延ばしされたかのようにゆっくりと流れていく。

 まばたき一瞬ほどの時間が、何刻にも感じられる。


 ”もしこれをかわそうとしたら。大きく馬を動かすとか、回避行動をとったら、もうモレイとの距離を詰めることはできない”

 噴き出す汗や息遣いからみて、もう一回疾駆する余裕は光乃の馬にはない。

 この攻撃が最後の機会だ。


 ならば……!

 ならば、このまま突っ込むしかないではないか。

 いちかばちか、モレイが矢を外すことに賭けて、腕の一本や臓物の一切れをくれてやる覚悟で突っ込むしかないではないか。


「うぉぉぉぉ!」

 思わず光乃は腹の底から叫んでいた。


 モレイが矢をつがえる。

 遠い。

 モレイが遠い。


 モレイは矢を引き絞る。

 もしも避けるなら、今この瞬間が最後の機会だ。

 モレイがあの指を離したら、もう回避行動をとることはできない。


 モレイは指を離す。

 矢を放つ。


 光乃は来るべき衝撃に備えて、ぐっと丹田に力を籠める。


 その瞬間、

 ――くぅぅん、くぅぅん

 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 荒々丸の声だ。

 それも人型を取る前の、あやかしの正体を現す前の、忠犬だったころの。

 弱弱しくびっこを引いて、よたよたとモレイに向かっている。


 光乃は思わず動揺した。

 ”たしかに仕留めたはず……!?”


 モレイも動揺したのだろう、矢の狙いがぶれた。

 放たれた矢は、大鎧ごと、光乃のわき腹をえぐってそのまま飛んでいく。


「荒々丸っっ!!」

 モレイが慌てて駆け寄る。


 ――くぅぅん、くぅぅん。

 ”なんで私を見捨てたの”とでも言いたげな瞳でモレイに這い寄っていく。


 瞬間、妖力が膨れ上がる。

 荒々丸がモレイにとびかかった。

 足を痛めていたのが嘘のように力強く跳躍する。


 いやじっさい、嘘だったのだ。

 足を痛めていたことも。それはおろか、そもそも荒々丸じたいも。


 一瞬の交錯。

 モレイの馬は、首から上を失って倒れこむ。


 四つ足の影が馬の首を咥えながら着地したときにはもう、荒々丸の姿はなく、そこには月よりも美しく輝く四尾の狐がいた。


「クソっっ!」

 馬を身代わりにしたモレイが鬼面の表情で地面に降り立つ。


「モレイ姉ぇぇぇ!」

 光乃はモレイとの距離をぐっと詰めていく。


 ――つがえ、ねらえ。


 モレイの声が耳元で聞こえる気がする。

 幻聴だ、と光乃にだってわかっていた。


 ――はなて。


 光乃自身が矢になったかのように、ただただ駆ける。

 血が噴き出ているのかすら、もはやわからない。

 あついのか、つめたいのかも、くるしいのか、きもちいいのかも。

 すべての感覚を置き去りにして、光乃はモレイとすれ違った。


 弓をにぎりしめた腕が宙を舞った。

 モレイの腕だ。


 モレイはあっけにとられたようにそれを見ている。


 狐が妖術を放った。

 その妖力は光輝く鎖となって、モレイをぐるぐる巻きにした。



 ◇


 ――若藻視点――


 勝負あり、とそのときは思った。

 オレだけじゃない。場にいる誰もがそう思ったはずだ。

 モレイの腕を斬り飛ばしてオレの妖術で抑え込んで、これでめでたしめでたしだと思った。


 だが、そうじゃなかった。

 奇妙なことが連続的に起きた。


 まず斬り飛ばされた腕が、宙を舞っていた腕が、するするする、とモレイにくっついた。


 それは、クモが吐き出した糸を吸い込むような、水が低きから高きに流れるような、散って舞い落ちた花びらが再び花のガクに戻るような、奇妙で不自然で冒涜的な光景だった。


 ついで、オレのはなった妖術が無効化された。

 陰陽師の術式が人間を通り抜けてしまうみたいな調子で、オレの放った鎖はモレイを通り抜けてしまった。


 混乱して動けなくなったオレを他所に、モレイはゆっくりと光乃に向かって歩いて行く。


「光乃、成長したな。ここまでとは」

 その口調はどこか優しげだった。


「モレイ姉、なんで……」

 馬上の光乃は意識を保つのもやっと、馬のくびにすがりついてかろうじて落馬をまぬがれているようにみえる。


 だが、絶望も一瞬、突如として強大な神力を背後に感じた。

 振り向いた瞬間、オレをかすめるようにしてまばゆく輝く矢がモレイに向かって飛んでいった。


 オレが気が付いたのなら、モレイだって気づく。

 振り向いたモレイは、必要以上に大きく避けたように見えた。

 大慌てで飛びのいたモレイを追いかけるように、幾人かの騎馬武者が飛び込んできた。


 なにがなんだかわからないが、どうやらモレイの敵らしい。

 ならばきっとオレたちの味方だろう。


 ほっと胸をなでおろしたオレの眼に、馬上から崩れ落ちる光乃のすがたが飛び込んできた。


「おおい、おおい! 法師どの! 」

 オレは大慌てで治療のための坊さんを呼びに行った。このままだと、せっかく勝ったのに光乃が死んじまう。


 きっとどうにかなった、ってことなんだろうな。わけがわからないが。



 ◇


 ――光乃視点――


 視界が赤い。

 一歩、一歩とモレイが近づいてくる。

 にこやかに、何か話しかけてきている。

 でも、もう光乃には何も聞こえない。


「なんで……」

 そうつぶやいた自分の声すらも聞こえなくなっていた。


 その時、すさまじい光が視界の端から端にかけていった。

 目の前に流れ星が落ちたみたいだった。


 塀の隙間からつぎつぎと騎馬武者が飛び込んでくる。


 ”お父様……!”

 なんでここに、と心中でつぶやいた。

 満道と、その郎等たちだった。


 あんなに苦戦したモレイがみるみる追い詰められていく。


「お父様、殺さないで!」

 果たして声は出たのだろうか。

 眼を開けていることすらできなくなったのか、光乃の視界は、真っ暗闇に包まれた。



 ◇


 死んではいないらしい、と光乃は思った。


 眼を開けて視界に飛び込んできた空はまだ夜空だ。

 意識を失っていたのは一瞬だったのだろう。


 源建法師と、貴公子姿の若藻が心配そうに光乃を見下ろしている。


 ”モレイは……。”

 そう聞こうとして、上手く声が出せないことに光乃は気が付く。

 一瞬焦ったが、たんに唾が喉に絡まっていただけだった。


「んっんんっ」

 小さくせき込む。


「ねえ、モレイは。どうなったの」


「あー」

 若藻はどこか気まずそうな表情を浮かべる。


「ねえ、モレイは! ……くっ」

 光乃は起き上がろうとするも、どこかに痛みがあったのか顔をしかめる。


「興奮するな、おいおちつけ。なんだ、意識がもどったばっかしなんだし、もう少し安静にしておいた方がいい。そうとう血を失ったんだから。坊さんもなんか言ってやってください」

 慌てたように早口になる若藻を無視して、光乃はゆっくりと立ち上がった。


 右足を前に出して、左足を前に出して……。

 太刀を杖代わりに、ゆっくりと光乃はあるく。


 ”ああ……。そうじゃないかとおもった。”


 起き上がったときに見えた光景は嘘じゃなかった。

 見覚えのある鎧、水干。

 首から上を失って、血だまりを作っている死体。

 首の傷跡は決してきれいなものではない。

 きっと斬り落とされたのではなく、強力な矢の一撃を食らって吹き飛ばされたのだろう。


 そう。モレイは死んでいた。



 ◇


 ――若藻視点――



 目の前で光乃が太刀を抜き払う。


 なにをするんだ、なんて今更思わなかった。

 と、いうか小娘のやつが意識を取り戻す前から、わかりきっていた。


「光乃様!」

 駆け寄ろうとする源建法師を押さえつける。


 やりなおすならとっととやり直してほしいからだ。

 光乃はそのまま喉元から頭のてっぺんへと太刀を突き入れた。


 あーあ。

 今回は結構いいところまで行ったんだがな。


 視界はまっくらになった。意識だけ吹き飛ばされるこの感覚は何度経験しても慣れない。


 眼を開けるとあの真っ暗な洞窟……ではなかった。

 こうこうとかがり火がたかれていた。館の庭だった。

 オレは横たわって坊主に治療を受ける光乃を見下ろしていたのだった。


 意識を取り戻した光乃と目が合う。小娘のやつも完全に混乱している。


 ”なんでここに……。”

 しゃべらなくたって考えていることは分かる。

 ゆっくりと起き上がった光乃は、再びモレイの亡骸を見つけると、即座に自殺をした。


 同じことを四回か五回繰り返した後、光乃はついに崩れ落ちて泣き出してしまった。

 なんども、なんども喉に太刀を突き入れる。

 だが、なんどやってもあの洞窟に戻ることはできなかった。


 泣き崩れた光乃をどうすることもできず、オレはぼんやりと立っていた。


 どれくらいぼんやりしていただろうか。

 ふと、きがつくと山の稜線から朝日がさしたきていた。

 かがり火もずいぶんと明るいな、とおもっていたが、本物の太陽は比べ物にならない。

 神力なんかよりよっぽどまばゆい太陽の光は、月を、星をまたたくまに追いやってしまう。

 オレと光乃は同じ夜を無限に繰り返していた。明けることのない夜だとばかり思っていた。


 オレはながいこと生きてきて初めて太陽の姿に感動していた。

 光乃への申し訳なさはもちろんあったけど、こればっかりはしかたないだろ?

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